プロローグ -お前の師匠より
人の死体など見慣れたもんだ。
三角形を見れば血やら焦げた人肉やらの匂いが充満する戦場を思い出し、四角形を見れば燦々たる廃墟となった村を思い出し、五角形なんぞを見れば珍しいなとでも思いつつ、自らの命を捧げて自爆した魔導使いを思い出す。
そんな程度には人も村も、果てには一つの宗教すらも相手に殺害破壊駆逐を繰り返してきた。そしてそんな鬼畜の所業を世界の安寧を保つための行為などと、心の底から信じちまってた俺ってやつは本当にいい性格をしている。
だがなあ、そうでもしなきゃ、信じなきゃやってらんなかったんだ。
最初にこんな地獄に片足突っ込んだのは俺自身だし、片足入っちまったら泥沼みってえに責任やら規則やら、戦仲間との友情やらが纏わりついてきて抜け出せなくなっちまった。だから、ただ己がやっていることが正しい、必要とされてるって思って擦り切れねえように、壊れねえように俺の心を守ってきた。
今考えれば当たり前なんだが、元々俺はこんなことに向いてるタマじゃなかったんだ。俺の同僚のほとんどは一切の迷いなく人を消し炭にするし、そんなかでも特にイカれてるやつは尋問と拷問と遊びをごっちゃにした人体実験ごっこをまるでガキみてえな無邪気な面でやりやがる。いや、ああいうのは倫理観も育ってねえガキそのものなのかも知れんがな。
だけど、そんな俺はなぜだかその仕事でまあまあいい地位までいっちまって、いつの間にか周りから《冷徹のガウル》などという二つ名で呼ばれるようなった。当時の俺はお前らがそんな二つ名で呼ぶのはお門違いだろと思っていたが、確かに今考えてみればその通りだったしか言いようがない。時に常人ってやつも生まれついての狂人を超越することがあるってことだな。
ともかく俺の最盛期の頃がその《冷徹のガウル》だ。
あの頃には指十本2進法で使っても数えられんくらいの人間と、後それに近しい者どもを処分してきたと思う。いつもと変わらず、ただ人類の安寧を願ってな。
___もちろん、あの世は久遠の安寧の地、故に全員殺せば人類安泰なんて超理論を振り翳してたわけじゃねえからな。
んで、ある時そんな俺を変えるやつに出逢っちまった。そいつのせいで俺は組織を少々強引に退職したし、永遠に来ることのねえと思ってた育児をする羽目になったんだ。殺ししか知らねえ俺が、正しく老いた普通の爺さんみてえな平和でつまんねえ日常を俺も体験することになったんだな、幸か不幸か。ハッ、まさか、《冷徹のガウル》がガキ一人に骨抜きにされちまうなんて当時誰が考えただろうな!
まあ、ともかくだ。
お前はな、ランゲル___
俺の人生を変えたお前はな。
俺があの任務中に瓦礫の山の中から見つけた子供なのさ。
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雪がシンシンと降っている。磯の匂いが鼻腔を掠める。その中に血の匂いが混じっている。息を吸えば、冷気と共に磯やら血やらの匂いがいっぺんにやってくる。もう一度息を吸えば、今度は焼けた木の香ばしい匂いも感じられる。
眼前に広がっていたのは、焼け落ちた家々と人間の死体の山だった。
「またか。ここまで派手にぶっ壊されてるってことはウルド族の襲撃と見てほぼ間違いねえな」
「異議はねえぜ、ガウル。奴らくらいしかこんな馬鹿みたいな魔法の痕跡は残せないしな」
白髪混じりの金髪の男、ガウルと呼ばれたその者は隣の黒髪の男が言った意見に対し首を縦に振った。それが終わると、ガウルは雪に埋もれかけた黒焦げの木片を拾い上げ、その匂いを嗅いだ。
「ガウル、何かわかるか?」
「いや別に。ただ匂いを嗅ぎたかっただけだ」
「おお、そうか……」
黒髪の男は戸惑ったように組んでいた腕を崩して頭を掻いた。そして少し間を置いた後、ガウルの方に腕を差し出した。
「俺にもくれよ、こういうのってやっぱ経験ってやつだろ?」
「ん? まあいいが」
そう言ってガウルは焦げた木片を相手の手のひらに落とした。なんとも言えない、奇妙な雰囲気があたりに展開されていた。しかし誰もそんなことには反応しない。彼ら二人の後ろには数十人ほどの厚手のコートを着た集団がいたが、彼らも同じくぴくりとも表情を変えなかった。
「さ、ともかく仕事だ仕事。お前たち始めるぞー!」
後ろを振り返ったガウルは村の方向へ向かって人差し指を伸ばした。すぐさま合図を受け取った後方の集団は風のような速さで散らばって調査を開始する。それを暫く見送っていたガウルは思い出したように口を開いた。
「おーい、部下ども。いつも通り俺たちははじめから居なかった者たちだということを忘れんじゃねえぞー、……って返事も無しか」
「もうこの距離じゃ聞こえやしねえって。聞こえてたとしても耳にタコができるほど言われたことに今更返事なんてしたくないだろうぜ」
「そんでも返事すんのが礼儀ってもんだろ。少しはあいつらも年長者の俺を敬うべきだと思うがな。こんな仕事やっててここまで老いることができたやつなんて俺以外見たことねえぞ」
「まあ、大抵の場合寿命迎える前に殺されるからなぁ」
両者の間に長い沈黙が訪れる。ガウルは長く生きた老人らしく過去を懐かしむような目で空を見上げていた。一方隣の男はまだ若いということもあるのか特に感慨に耽ることもなく、その翠眼を獣のように鋭く光らせて、眼前で行われている村の調査の様子を観察していた。同じ沈黙を共有している二人であったが、その方向性は全く逆と言えるものであった。
「お、見てみろよ、あそこのやつ何か見つけたみたいだぜ」
男は眉をピクリと動かす。その視線の先には、瓦礫の側に立ってこちらに手を降る部下の姿があった。ガウルの方もそれに気づいたらしく、間も置かずに素早く走り出した。
「あーあ、まったくせっかちな爺さんなこって」
一息ついて、男は力強く地面を足で蹴った。その衝撃で近くの木々の雪が流れ落ち、驚いた鳥は逃げるように飛んでいった。駆ける地面は深く抉られ、春まで顔を出す予定のなかった森の黒い土たちが、雪の上に散らばる。男は直ぐにガウルの背後に追随する形で走ることとなった。
「お前さ、俺の言葉聞いてたか?」
「自分たちは最初から居なかった者たち、だろ? 別に気にすることじゃねえよ。刺青の奴らの足跡だと思われるだけだ」
「そりゃそうなるだろうが、警戒するに越したことはないぞ。お前の悪い癖だ」
「へいへい、助言ありがとうございます。戦場を長く生き抜いてきた貴方様のありがたーいお言葉は大変この若造の耳に刺さりまくってございます。ぜひ鼓膜が破れるまでご教授いただけると幸いです、ね」
「そうかそうか。なら今てめえの耳に指突っ込んで、音のない世界でどうやって戦場を生き抜いていくかを教えてやろうか?」
話す内容は段々と皮肉混じりの口喧嘩に変化していったが、それも彼らが部下の見つけたものを見た途端に、両者次に何を言おうか考えていたことがすっぽ抜けてしまった。部下が指し示していた瓦礫の隙間に刺青の模様がちらりと見えたのである。そのことに可笑しさを感じた二人はつい口に出して笑ってしまった。
「おいおい、冗談だろ? 瓦礫の下に刺青野郎がいるじゃねえか! くくっ」
「こりゃひでえ、うっかり家の中にいた人間を襲おうとして崩落に巻き込まれたってか。ウルド族も落ちたもんだな?」
どこから聞いても不謹慎な会話がなされる一方、自分たちの上官がいかなる奇行をしようとも今まで表情を一切変えなかった部下の一人は、戸惑ったように一つの言葉を口に出した。
「あの、よく見てください。その刺青、普通のものと模様が異様に異なりますし、それに……」
「なんだ、別にそんな変わったことじゃあ、、、おお、そうか。俺の目が腐ってたぜ。確かにこいつぁ笑うところじゃなかったな」
それは決して異様な肉体の強さ、尽きぬ魔力で恐れられる刺青野郎___ウルド族ではなかったのだ。瓦礫の下敷きになっていたそれは赤子であった。極めてきめ細かい幾何学模様の刺青が、ただの幼くか弱い柔らかな布のような肌の上に現れている赤子。明らかに異常。ウルド族の生態に関する判明している事実は少ないが、だとしても一般的な彼らの赤子に現れる刺青はより単純で太い線で構成されることは分かっている。だから、異常。並大抵のものではないと想像がつく。そして、一番最初にその正体の可能性を提示したのは、その赤子を発見した部下だった。
「あれですかね、最近噂になってるウルド族の王の子供とかですかね?」
「そりゃあねえだろ。王様の子供がなんでこんなところにいるってんだ」
ガウルはなんとなく部下が提示した仮説を否定しつつ瓦礫を押し除けて、その赤子を平然と腕に抱き上げた。どうやら意識がないようで、なんの反応も示さない。それに安心したのか、いきなりの大胆な行動に驚いていた部下と男はそっと胸を撫で下ろした。
「というかよ、警戒警戒って言ってたくせに、お前も空から降って出てきたような謎の赤子を迂闊にも拾い上げてんじゃねえか!」
「うるせえな、俺の勘がこいつは危険じゃねえって言ってんだよ」
「はぁ、なんだよそれ!?」
男が大声を上げた瞬間、その声に反応したかのように赤子がモゾっと動いた。同時に体の刺青がすっと、まるで元々そこには何もなかったように消える。その場にいたガウルを除く二人は思わず警戒して一歩身を引いた。しかし、依然として赤子はガウルの腕の上であり、状況は刺青が消えたこと以外ほとんど何も変わっていない。
「なあ、その赤子どうすんだよ? 本部に持ち帰って研究するか?」
「おいおい、幼な子を研究材料にするってのか? そりゃ、倫理委員会が黙っちゃいないぜ。即横槍が入るに決まってる」
「じゃあよ、お前ならその赤子をどうすんのさ?」
長い沈黙の時が訪れた。先ほどから近くで聞き耳を立てていた部下たちが、謎の赤子とやらに興味を持ってあたりに集まり始める。皆、その視線はガウルの方に向けられていた。段々と聴衆が増えてきたことを察知したガウルは面倒くさそうに頭を掻き、最後にはこう宣言した。
「……はっ、育てるさ、俺が」
その瞬間、今まで空を覆い隠していた雲の隙間から、強い陽の光が村に差し込んだ。強い風が雪を運んできた。陽に照らされた雪は純白の光を放つ。その場にいた全員が、これから何か大きな変化が起こることを予感した。