Aria~第3小節~
「ねえ、シア、聞いてくれる? といってもあなたがもう世界のどこにも存在しないのは知っているけれど、あなたは世界が与えた役目を全うしないまま死んだ、世界を殺した大罪人だから、ロティのように別の世界に行くことすら叶わないのだけれど……子どもの頃から仲良しのお友達がいなかった私の話を聞いてくれる女の子なんて、もうシアしかいないわ」
空を飛びながら、赤紫の髪を漂わせながら、人の形をした魔女は語った。それは孤独の詠唱歌。誰も聞いていない無言歌。魔女はもういない誰かに向かって語りかけていた。
その姿は超常なるものだった。空気のない宇宙空間で人間は息もできないし、上下左右もわからない。音だって、宇宙空間の中には概念すら存在しないというのに、その少女は黒い服を身に纏い、真っ直ぐ宇宙空間を飛んでいた。まるで風があるかのようにスカートはたなびくのに、その癖のついた髪はふよふよと無重力のままに流れている。こんなものを科学者か何かが観測したなら、彼女を取って捕まえて、徹底的に研究することだろう。
しかし、彼女──星光の魔女シェロはもはや人ではなく、魔女といってもおとぎ話に出てくるような存在ではなく、概念的な存在だった。彼女は星を魅了する力を内包する概念。概念に老いはない。やはり彼女は人ではなかった。
きらり、きらり。ずっと向こう、ずっと遠くの星が瞬く。星がどこかの星に落ちていったのだろう。あれは星の最期の煌めきだ。命として、そこにあった星の死の瞬間。
それを星のような色をした目で見送り、シェロは歌った。以前は「役目」だったが、今は役目から解放されて、シェロの趣味となっている歌だ。
「星には星の命が
人には人の命が
あるという、あるという
いつか共に眠り就く」
シェロの歌は、以前、世界に落ちてくる星を逸らすための歌だった。が、世界が滅んで、今はその歌の効果はない。ただただ星が永遠の眠りに就くのを見届ける子守唄になっている。
シェロは宇宙という概念の法則を無視する、または宇宙という概念そのものと言える存在だ。属していた世界が滅んで尚、生きたことから、そういう風に昇華した。
ただ、昇華される前、更に言うなら、シェロが星光の魔女になる前、シェロは人間の少女だった。故に、概念という形なきものになった後も人の形を保つことができている。
「シア、星にも色々あってね、光る星と、光らない星があるの。光も何もかもを超越した黒い星もあるのよ。空の向こうにはたくさん星があって、星の数だけ世界があって、星の数より物語があるのだわ。
学校で、光る星と光らない星のことは学んだことがあるような気がするけど、忘れちゃったわ。何せ千年以上前のことですもの。あらあら、からかうのはおよしになって。古語が読めることと記憶力がいいのは全く違うことなのよ。ふふ」
シェロが話しかけているシアというのは、シェロが世界の終わりに出会った死神だった。死神の力を手にしてしまった少女、アイシア。彼女は滅びゆく世界にもたらされた最後の希望だったが、アイシアは世界が生き延びることを望まなかった。世界と共に自分が滅んでいくことをよしとし、滅びゆく世界の中で、シェロが生き延びることを星に願った愚かで敬虔で愚鈍で愛おしい少女だった。
シェロが生きた千年からしたら、アイシアとの邂逅なんて、ほんの一瞬のことだった。けれど、シェロがアイシアのことを覚え続けているのは、シェロにとってアイシアが命を救ってくれた大恩のある友人だからだ。
世界を滅ぼそうとしていたのはシェロであり、世界の人々はアイシアにシェロを殺すように乞うた。けれど、アイシアはそれを救うどころか切り捨てて、シェロの命を選んだ。
アイシアが「命」とさえ思えば、道端の石ころでも、落ちてくる星でも切り裂ける力。おそらくそれで、アイシアは世界中の人間を切り裂き、世界の命すら絶った。
「そうそう、こないだ行った世界でね、シアにとっても似合う言葉があったのよ。Memento moriっていうのだけれど。『死を思え』『死を忘れるな』って意味なんですって。死を恐れ、死を回避しようとし続けた世界に対して、これ以上皮肉の利いた言葉はないわ。シアはすごいわよね。世界が散々逃げてきた死をちゃあんと世界に与えたのだから」
誰もシェロを咎めるものはない。だからシェロは自由に歌った。
「その世界からはね、遥か彼方未来の星の輝きが見えて、近くには光らないけれど、夜空を彩る星がいくつかあるの。光る星が照らすから、光らない星も夜空で輝いて見えるんですって」
面白い仕組みよねー、千年生きたのに知らなかったわー、など、のんびりした声が響く。まあ、そんなシェロの声を聞き届けるものはないが。
シェロは元いた世界が滅んでから、新天地を探して旅をしていた。その旅の最中、そういう世界があったのだという。
「その世界では、魔女はおとぎ話の世界の人物で、大概が悪者なのがいただけなかったわね。魔女裁判という言葉が印象的だったわ。魔女と認定されると、磔刑の上、火炙りにされるんですって。平和そうな土地だったけれど、私が魔女である以上、暮らしていくには不便と思って、離れたのだけれど。
ほら、だって私は不老不死でしょう? 本当に死なないのだったら、ずうっと火炙りされなきゃいけないじゃない。火傷ってとっても痛いのよ。私は痛いのが好きとかそういうことはないからごめんだわ。シアは、進んで処刑台に登りそうね」
シェロの知るアイシアは自己肯定の低い女の子だった。世界が滅んで、自分が死のうとどうでもいい、なんてことを言い切れる少女だった。そんな子に死神の力が宿ってしまったのがあの世界の運のツキというやつだ。
「そうそう、あの世界にはね、星に名前をつける文化があるの。一番近くにある光らない星を『ツキ』と呼んでいたわ。ツキにも世界があると考えられていて、ツキを崇めるお祭りがあるのよ。そこで食べたオダンゴ、美味しかったわあ」
面白いわよねー、とシェロは続ける。
「世界が自分たちの住んでいる他にも当たり前にあるという考え方。私はあの世界に生まれて、星光の魔女になれてよかったと思っているけれど、もし生まれ変わることがあるのなら、今度はあの世界に生まれてみたいわ。創造性のある想像力の豊かな人々がいるのって素敵。千年ぶりに、人間だった頃の充実感を味わったわ」
千年、シェロは星光の魔女として生きた。世界が滅んでからは、時間の指標がないため、どのくらい時間が経ったのか、あるいは経っていないのか、シェロに知る術はない。
世界が滅んだ時点で時間という概念はシェロの世界観から消滅しているのかもしれないし、世界ごとに、時間の進み方は違うのかもしれない。人間の姿であらゆる世界を巡るシェロは、人間のできる範囲でしか存在できない。簡単に言うと、シェロは一人しかいないので、他の世界との時間進行の違いを確かめる術はないのだ。
「まあ、私は死にたくないし、死なないし、安全な世界を探して、そこで私の、私たちの人生を語り継いでいくつもり。理想郷なんて簡単には見つからないけれど、これでも千年生きたし、もう時間の感覚なんて曖昧だわ。
あの世界の住人が言うには、あの世界から見える星の輝きは、その星の何億年も前の輝きなんですって。不思議よね。私たちの世界では、星は身近な死の象徴だったのに、他の世界に行くと時間すら違う輝きなのよ。神秘的よね」
そう感慨に耽っていると、シェロの方へ鋭い煌めきを放って、小石サイズの星が飛んでくる。シェロは箒を操ってかわした。小石サイズでも、速度が伴えば、殺傷能力は高い。シェロは不死かもしれないが、痛い思いをするのは嫌だった。
「私がこれから辿り着く世界も、あの世界にとっては遥か彼方未来の輝きを放つ星に過ぎないのかもしれないわ。それなら、遥か彼方未来の星からは、あの世界はどう見えるのかしら? それを確かめてみるのも、面白いと思うのよね。まあ、新しい世界から、あの世界を見ることができれば、の話だけれど」
シェロは人間だった頃から、本質は変わらない。美しくて神秘的で、とても口には出せないような、けれど誰かと共有したくなるような秘め事が、大好きだ。
宇宙を箒で飛んで、世界を探して旅をする、なんて、シェロにしかできない、秘密の大冒険である。もう聞く人がいない歌も、歌いたくなるというものだろう。
「それから、世界から出たついでに、ツキを覗きに行ったの。ふふ、世界の人々が夢想する世界を暴くだなんて無粋? ご安心なさい。私はもうあの世界に戻らないわ。私だってシアと同じ、一つの世界を滅ぼした大罪人ですもの。シアと同じ罰を受けているのよ。シアは生まれ変われないし、私は死なないから生まれ変われない。いくら生まれ変わったら、なんて空想を話しても、その夢は夢のまま、現実になんてなりやしないの。
それで、ツキの話なのだけれどね」
とそこまで歌い上げて、シェロは見た目年齢相応の悪戯っぽい笑みを浮かべて、人差し指を唇に当てる。スカーレットのルージュが煌めいた。
「やっぱり内緒。秘め事は乙女の嗜みですもの」




