太陽の子供
太陽の子供
にぃにが落っこちたらしい。セイヤの状態を告げる放送と警備ロボットの足音が、シェルターの中に響き渡る。ハルは機械音に導かれて、その場所へと向かった。そこには、セイヤが頭から血を流しながら倒れていた。ロボットたちが応急処置をしたが、手遅れだった。ハルは白い布で覆われたセイヤを眺めながら、横掛けバックの持ち手をギュッと握りしめた。
「なんでみんな落下死なんかするんだ、馬鹿馬鹿しい」
放送が流れたときに言う、セイヤの口癖である。危険要素のない安全なシェルター。そんな場所でも、老衰ではない死因で亡くなる人が多かった。100人の人々は水の泡のごとくいなくなって、もうハルとセイヤしか残っていない。
「俺らは何が何でも最後まで生きような」
「うん」
ハルはセイヤの拳に自分の拳をコツン、とぶつけた。唯一の家族であり、兄であるセイヤの手は、大きくて頼もしかった。母親のことはほとんど覚えていないけれど、セイヤと一緒なら何でもできる気がした。
いつも食べていたツナの缶詰の味が消えた。まるで、使い捨ての箸を噛んでいるようだった。動いていた顎は動きは鈍くなっていって、ツナは舌の上で停滞している。ハルはただツナ の缶詰を眺めている。濁っている油と、くすんだピンク色で塊になっている身。こんなものをずっとおいしく食べていたと考えると気分が悪くなる。にぃには好んで食べていたんだけどな。ハルはセイヤのことを考えれば、考えるほどよくわからなくなる。誰よりも信じていた人が、しかも落下死で。
ハルはもう一度その場所へ行ってみることにした。記憶をたどりながら、ゆっくり向かった。そこは天井の方に通路があって、壁には梯子代わりのさび付いたパイプが埋め込まれている。そして、通路の先にはマンホールのような扉が待ち構えていた。その真下に、セイヤいたのだ。なぜ安全なシェルターの外を出ようとしたのか、理解できなかった。周りを少し散策すると、壁の方にボトルが落ちていた。ゴシップ体の字体で「日焼け止め」と書いてある。それは、小さいころお母さんがいつも塗ってくれていたクリームだった。蓋を開けると、ほんのりバニラの香りがして、お母さんの柔らかくて暖かい手が思い出させる。日焼け止めの裏面には注意書きが書いてある。傷の上には塗らないこと、赤い斑点がでたら使用を中断すること。そして、太陽の光が当たる場所で活動するときは必ず使用すること。「太陽」?
ハルは日焼け止めをもって、初めて図書室へ向かった。パソコンに検索をかけても、フィルタリングで出てこないし、辞書はその場所だけ墨で塗りつぶされている。がむしゃらに図書室の本を読み漁っていると、一冊だけ他の本と違うものがあった。背に題名が書いていなくて、あからさまに他のものと素材が違う。開いてみると、それは手書きで書かれている日記だった。
今日、またオゾン層が破壊された。そろそろ地上では暮らせなくなってしまうの?ネット上で流れている、家の中も安全ではないというデマも信じざるを得ない。念のため、ハルとセイヤは隅々まで入念に塗っておくか。日焼け止めの残量が心配だけど、その分私の塗る分を減らすしかないかな。買い物に行くときは日傘をさせばいいし。そういえば、日傘が無い…と思ったら手に持ってた、みたいなことが多すぎる。老化かな。最近視力が落ちた気がするしなぁ。やっぱり老化かな。
今日、最後のオゾン層が破壊された。でも、シェルターが完成したから、そこに避難できるらしい。小さい子と健康な人?だけらしいけど、きっと避難できる。だから、荷物整理しなきゃ。着替えと、粉ミルクと、水と…あと一応日焼け止めか。もうあと少ししかないから、節約しないと。そうだ、私たちが行くシェルターは結構大きめのシェルターっぽいから、ようやくハルとセイヤを思いっきり遊ばせれる。早く走り回ってる姿がみたいなぁ。カメラももってこうっと。写真撮る時私も取ってもらおうかな。結構シミ出来てるから、ちゃんとメイクしないとね。あ、メイク道具入れるの忘れてた。
今日、避難先で私だけ拒否された。白内障と皮膚がんだって。ハルとセイヤは外出てないし、ちゃんと日焼け止め塗ってたから大丈夫だったけど、私がダメか。2人だけシェルターに預けるのが1番かもしれないけど、やっぱり離れ離れになるのは嫌だな…。自分勝手で最低な母親でごめんね。今夜までなら待ってくれるって言ってたから、ぎりぎりまで考えさせて。本当に本当にごめんね。
少し読んだだけでわかった。お母さんの日記だ。ハルは涙が止まらなかった。お母さんが自分たちのために、犠牲になったのだと。ハルはじっとしてはいられなかった。気づいたら、日記をもって走っていた。
お母さんが死んだ場所。にぃにが目指して死んだ場所。行ったとしても死ぬという結果しか残らないけど、行かなければならない気がした。ハルはさび付いたパイプをつかんで上り始めた。1段1段と着々と進んで、いつの間にか扉の目の前に着いた。扉を開けようと片手を伸ばした。扉に手を付けた瞬間、
「あつっ」
言葉を発する前に、もう片手も離していた。重心が後ろになって、視界がさかさまになる。下に、落ちていく。にぃにと同じようになる、と思ったハルは必死に重力に逆らって体を丸めた。初めて風を感じた。
「!」
腰に衝撃が走る。痛みは腰から指先と脳まで伝わり、しびれる。不思議と下半身の痛みだけ引いてきた。すると、また放送が流れた。ロボットが駆けつける振動を感じる。このままだと、ロボットに連れていかれる。そう思ったハルが立ち上がろうとすると、なぜか下半身が動かない。そもそも、感覚が無い。
「うごけっ、うごけっ」
ハルは拳で太ももを力いっぱい殴った。しかし、ただ肉が揺れるだけで、少しも痛くないし動かない。
「うごけっ、、うご、、」
だんだんと大きくなる振動に、焦ってもっと殴ったが動かない。もうやるしかない、と思ったハルは匍匐前進でパイプの近くまで 下半身を引きずった。肘はすれて赤くなっていく。そして、ハルはまたパイプを上った。下半身で踏ん張れない分、腕に力がかかる。腕がちぎれそうだったが、それでも下唇をかみつぶして、上った。ようやく扉の近くに到着した。ハルは息を吸って、吐いた。
ジュッ
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。扉のレバーの熱が、やがて痛みへと変わっていく。痛みは血管に乗ってゆっくりと向かってくる。それでも離さずに徐々に回して、思いっきり上にあげた。
「」
扉が開いたと同時に眩しい光がハルを突き刺してきた。深紅色に輝く太陽は、容赦なくハルを向いてくる。
「僕たちは、求めてしまうんだ」
太陽の光が強くなって、薄れていく。
「あなたの子供だから」
ハルは力を振り絞って、手を伸ばした。すると、火傷したハルの手を、柔らかな光で優しく包んでくれた。