10
いつの間にか月が出ていた。
真っ白なナイフのように尖った月――それこそ血を欲しているような月だった。
「へっへっへ……」
『へっへっへ……』
「今宵の月は……」
『今宵の月は……』
「『血を吸いたがっているぜぇぇ!』」
狂気の笑みを浮かべる男にあわせて、私は『わおーん!』と吠えた。内心のパニックを紛らわせようと、二度、三度と遠吠えする。
すると『うるせぇ!』と、テッドがはじめて別の言葉を発した。
先ほどまでの陶酔した目に、殺意が宿る。
「ズタズタにしてやんぞおらああ!」
「――やめろ!!」
鋭い制止が響いた。
「そいつに、手を出すな……!」
焦燥を露わにしているのは、アルフレッドだった。
私を案ずるブルーの瞳と、目が合う。綺麗な目だった。なにか言おうと口を開いたそのとき、嫌な笑い声が割り入る。
「なんだああ、そのニョロニョロした変な生き物。お貴族さまの大事な、大事なペットなんですかぁ?」
「おいおい、俺たち、大逆転なんじゃねぇぇかぁぁ」
「テッド、よくやった! いいか、そのまま『それ』を離すんじゃねええぞ?」
ぼろぼろな男達はテッドに言い聞かせると、アルフレッドに、それはそれは下卑た笑いを投げた。
「形成逆転だな」
「さ、まずは武器を捨てて、その場に両手をついて跪いてくださいよ」
「っ、さっさと言うとおりにしろ!」
アルフレッドとユーリアは、剣を投げた。カラン、と空虚な音が響く。
そして、彼らの言うとおり、二人はその場に跪いた。苦渋の表情で。私を心配そうに見つめながら。
私はそれを黙って見ている……なーんてことはできなかった!
『こんのぉ! 卑怯者!!』
腹の底から大音量で吠える。吠える。吠える!
『犬質を取らないと勝てないってどういうことだこらぁ! それとニョロニョロした変な生き物って、なんだこらぁ!
こちとら、可愛い可愛い!! 愛嬌しかないコーギー様だぞぉぉ!!』
遠慮なしに吠える!!
テッドの手の力が緩んだので、長い胴体をいかしてグネングネンと暴れ回る!
「……この!」
『脱出!!』
男の顔を蹴っ飛ばし、私は華麗に宙を舞った。
解放された瞬間、希望の光が映る。世界は明るく広がって、私は勝利を確信する。
『よし!』
高揚感のまま、窮地のアルフレッドの元へゆき、吠えた。
『お前ら、全員やっつけてやる!!』
「お、おいお前、落ち着け」
牙を剥いてグルグル唸る私を、困惑したアルフレッドが後ろから押さえてくる。
「あ、ありがたいが、お前は下がっていろ。もう、大丈夫だ」
『いやいや、これでも腹が立っているんです。アルフレッドのほうこそ下がってて!』
「おい、踏ん張るな! お前があいつらに勝てると……」
『大丈夫!』
前足後ろ足を踏ん張って、私は高らかに吠えた。
我ここにあり!
世界一、魅力的なコーギー様だ!
『その魅力にみなはメロメロ。それがわからぬバカモノは――天にかわってお仕置きです!』
ちゅどーん!!
その瞬間、轟いた。
男達のすぐ前方、えぐい威力を秘めた火球が地面に突き刺さっている。
「「「…………え?」」」
みなあまりのことに呆然自失。なにが起こったか理解もできない。
そこに二発、三発と炎の塊が降り注ぐ。男たち目掛けて!
『ふっふっふっ』
情けない悲鳴。子犬のように逃げ回る男達。
阿鼻叫喚を前に、私は悪代官のように含み笑いをした。背後の崖の上を振り返る。唖然としていたアルフレッドが、私の視線の先を追う。
「あれは!」
燃えるような赤い髪。ほっそりとした腕で赤魔法を惜しみなく振るうのは、十五歳の悪役令嬢。
『ああ、アリア様! 助けにきてくれたんですね!』
私がいなくなったことに気づいて慌てて追いかけてきたのだろう。アリアのそばにいる馬の息が荒い。彼女の服や御髪は乱れている。
それでも、彼女は誰よりも美しい!
容赦なく敵を屠る我が主に、私はうっとりしていたが、アルフレッドは顔色を変えていた。
「やめろ! アリア!! これ以上、魔法を使うんじゃない!!」
そう叫んだ瞬間だった。
アリア様はその場に崩れるようにして倒れたのである。