引っ越してきた隣人が庭に竹を植え始めた
俺は平穏に暮らしていた。
家族との関係は良好。
ご近所との付き合いも欠かさない。
空いた時間で庭いじりをするのが俺の趣味。
色とりどりの花を花壇に植え、芝生をキレイに整える。
妻からの要望には必ず応えている。
どのようにデザインして欲しいか、どんな花を植えたいのか。
もともと庭いじりは妻の趣味だったのだが、彼女が体調を崩してから代わりに俺がやるようになり、続けているうちにはまってしまった。
今では自分の小遣いを庭いじりのグッズに当てるほど熱中している。
最近、近所の方からは、庭がきれいですねと褒められることが多くなった。
なんだったら庭でホームパーティーを開いてもいいかなと思っている。
俺は庭造りの計画で頭の中がいっぱいだ。
最近は岩の購入を検討し始めている。
大きな岩をドーンと庭に飾りたい。
さすがにこれには妻が難色を示しており、子供たちも俺の計画に呆れている。
時間はかかるだろうが少しずつ説得を続けて家族の理解を得よう。
岩を買うのはその後だ。
「こんにちはー」
隣家との境界にあるフェンス越しに、見慣れない顔の中年女性が話しかけてきた。
……誰だろうか?
「あっ、こんにちは」
「今日からこちらに住むことになったんです。
よろしくお願いしますね」
そう言って軽く会釈する女性。
こちらもつられて頭を下げる。
彼女はそれだけ言うと家の中へ入って行ってしまった。
引っ越しの挨拶がフェンス越しで一言だけとは、なんともぶしつけだなと思いつつ不快感を打ち消す。
隣人との付き合いは寛容さが必要だ。
挨拶だってしないよりましじゃないか。
隣家は長い間、空き家であった。
管理人が定期的に除草作業をしているものの、夏場にはやぶ蚊がわいて疎ましく思っていた。
これから庭をしっかり管理してくれると言うのであれば、こちらとしても願ったり叶ったりだ。
この時はまだ、呑気に構えていた。
彼女が暴走を始めるのは翌日のことになる。
「あっ……あなた!」
仕事から帰ると、妻が血相を変えて飛び出してきた。
何事かと思っていると庭へと連れていかれる。
「アレを……見て!」
震える手で彼女が指さす先には、隣家の庭。
そこには無数の竹が植えられているではないか。
「なん……だと……」
俺はその植えられたばかりの竹を見て絶望する。
こんなにもたくさんの竹を……どうやって⁉
妻が言うには、昼間に業者が来て植えて言ったという。
なんて仕事の速さ……!
竹と言えば、地下茎を張り巡らせて増殖する厄介な植物の代表。
その増殖スピードはとどまることを知らず、あっという間に勢力範囲を拡大して全てを飲み込む蟒蛇のような存在だ。
そんなものを大量に植えるなんて……正気の沙汰ではない。
俺はさっそく隣家へ赴き、抗議することにした。
「すみません、あんなものを植えられたら困るんですけど!」
「……はぁ?」
要領を得ない隣人。
俺はいかに竹が危険な植物なのかを力説する。
しかし、鼻で笑われてしまい取り付く島もない。
あまりしつこいと弁護士を呼びますよと隣人。
呼ぶのが警察ではなく弁護士と言うところが、これまた厄介。
そう……これは民事なのだ。
竹が我が家に被害を及ぼそうとも打つ手はない。
除草剤を使って枯らしたりしたら損害賠償を請求されるだろう。
ううむ……対策が必要だ。
話し合いは無意味と判断し、俺は我が家に帰って対策を練ることにした。
さて、色々と調べた結果。
我が家に侵入した地下茎を切断すること自体は違法ではないと分かった。
越境した枝も、何度かお願いした上で相手が取り合わなかった場合は、切断が認められる場合があるらしい。
本格的に面倒なことになったら法律家を頼るとして、俺は警告文を隣家のポストに入れる。
内容は『もしこちらの敷地内に竹の根が入り込んだら切断する。枝が超えた場合は直ちに剪定すること。取り合わない場合は、法律家に相談の上、一週間後にこちらで切断する』という内容だ。
もちろんコピーも取ってある。
手紙を送ったが、隣人からの返答はなかった。
向こうからは一切コンタクトがなく、やきもきしながら数日を過ごすことになる。
そして数日後。
女性の代理人を名乗る男性が挨拶に来た。
別に弁護士でも何でもなく、ただの知人らしい。
彼は手紙の内容には同意するらしいとだけ伝えて、さっさと行ってしまった。
相変わらず沈黙を貫く隣人。
竹は少しずつ成長して勢力範囲を拡大している。
それから数か月後。
ついに恐れていた事態が起こった。
我が家の地下に竹の根が侵入を始めたのだ。
しばらく様子を見ようと思ってはいたが、本格的に侵入が始まると気が気ではない。
定期的に境界付近の土を掘り返して確認していたのだが、フェンスの地下をくぐって我が家へ侵入してきた地下茎の姿を見つけた時は、さすがに戦慄した。
ついに我が領土へ足を踏み入れた無遠慮な侵入者に殺意を覚える。
いっそのこと、全て焼き払ってしまいたい!
焦る俺を妻はなだめるが、いてもたってもいられなかった。
前々から業者に相談していて、地下に侵入防止のためのシールドを張る工事の見積もりを出してもらったのだが……費用の関係で妻の同意を得られていない。
仕方なく、俺は実家に借金をお願いして工事を行うことにした。
両親は呆れていたが、俺は竹の恐ろしさを熱心に説いて資金を調達。
返済は俺の小遣いと将来相続する遺産から支払うことになった。
もちろん兄弟にも了承を得ている。
妻はそこまでしなくても……と、不安そうにしていたが、逡巡している暇などないのだ。
奴らが庭に侵入したら取り返しのつかないことになる。
俺がここまでムキになるのには理由があった。
小学校の頃、学校に隣接する民家に竹が植えてあったのだ。
俺が1年生の頃、それはまだ庭の一角を占めているだけだったが、小学校を卒業するころには庭のほとんどを占領し、高校卒業時には家が完全に竹で埋め尽くされていた。
民家はすでに空き家となっており、建物の床からは竹が突き出してとんでもない状況に。
あの光景を見て、竹は恐ろしい植物だと戦慄したのを覚えている。
俺は一家の主として、家族と住まいを守らなければならない。
これからもずっとローンを支払い続けなければならないのだ。
竹なんかに我が家を侵略されてたまるか。
工事が終わって数か月。
地下茎が侵入してくる気配はない。
しかし……上を見上げると元気よく育った竹の枝が我が家の領空に差し迫っている。
そろそろ警告をする頃合いだろうか。
弁護士にも相談しておかないとな……。
と、思ったら。
こちらから要求する間でもなく、隣人は竹の枝を切っていた。
どうやらトラブルになるのは向こうも避けたいらしい。
だったら初めから竹なんか植えるなと……。
それから数年。
隣人と衝突することはなく、穏やかな日々が続いた。
竹は地下茎も枝も我が領土を侵犯することはなく、平和は守られている。
しかし……。
俺は隣家の惨状に思ず目を背けた。
ほぼ竹で埋め尽くされているのだ。
隣人はもはや竹のコントロールを諦めたようで、完全に放置している。
野放図に生え散らかした竹は、いたるところからニョキニョキと空へ向かって伸びていき、隣家を完全に覆いつくしてしまった。
夏場にはやぶ蚊がわいて迷惑している。
ご近所では竹御殿として有名になっている。
対応が遅れた反対側に隣接する家は地下茎の侵入に頭を抱えているという。
俺の行動は間違っていなかったのだ。
「あなたのおかげで助かったわ」
その家の惨状を目にした妻は俺に頭を下げる。
小遣いアップを提案されたが、断った。
家族を守れるのなら、あれくらいの出費、安いものだ。
竹は増殖を続けている。
もはや竹御殿は竹でできた魔王城と化し、勇者の到来を待っているかのよう。
俺は来るべきの時のために備え、電動チェーンソーを購入した。
「パパは何と戦うつもりなの?」
中学に上がった娘が呆れ気味に尋ねる。
「竹」
そう答えた俺を、まるで幼子を見守るかのように見つめる娘。
これではどちらが親か分からない。
破滅の時は唐突に訪れた。
隣家が火事になったのだ。
俺は家族を離れた場所へ避難させ、消防隊の到着を待つ。
ごうごうと燃え盛る家屋。
立ち昇る黒煙。
あの様子では助からないだろうと思っていると、悲鳴が聞こえて来た。
「助けて! 出られないの!」
竹の向こうに隣人の姿が見える。
建物の外へ逃れたはいいが、竹が邪魔で逃げられないらしい。
仕方ない、俺が何とかしてやるか。
俺はフェンス越しに電動チェーンソーで竹を切断していく。
長いこと我が家を苦しめてきた竹をばっさばっさと切り捨てるのは爽快だった。
次々に倒れていく竹。
まるで勇者にでもなった気分だ。
なんとか退路を確保した俺は、隣人を我が家の庭へと引きずり込んで救出。
しばらくして消防隊が到着して消火活動を開始。
周囲に延焼することなく鎮火し、事なきを得た。
「この度はなんとお礼を言ったらいいか……」
掌を返したように頭を下げる隣人。
命の恩人に対しては謙虚にふるまうようで、迷惑料を支払いたいと言ってきた。
命を助けたことだし、ちょっとくらいは良いかと隣人が差し出した封筒を受け取る。
税金がかからないギリギリの額。
今までの苦労に釣り合うかと言われたら微妙だが、彼女を責める気は失せた。
「お父さん、すごくカッコよかったよ!」
娘がほめてくれた。
すごくうれしい。
妻も俺を誇りだと言ってくれた。
まるで新婚に戻った気分。
隣人を助けたことで表彰もされるし、地方のテレビ局がインタビューにも訪れた。
カメラを向けられた俺は、ここぞとばかりに竹の危険性を訴える。
あんなものを不用意に庭に植えてはならない。
それから数か月。
隣家の取り壊しが完了した。
竹は全て取り除かれ、美しく整地された土地が姿を現す。
長年、頭を悩ませてきた厄介な存在が、文字通り根こそぎ姿を消したのだ。
達成感を覚えると同時に、何処か寂しくも思う。
戦いの後はいつも虚しい。
しばらくして、新しい家が建ち、あの中年女性が挨拶に来た。
「先日は大変お世話になりました。
これからもよろしくお願いします」
ちょっと高めの折り菓子を持参した彼女は、ニコニコとした笑顔で挨拶をする。
こちらも快く迎え入れる。
「そうそう、私も庭造りを始めようと思いまして、
ガーデニングを勉強しているところですの」
彼女はそう言ってにこやかに笑う。
俺も「それはなにより」と愛想よく答える。
「それでね、さっそく庭にミントを植えましたの。
夏になったら収穫してハーブティーを作ろうかと。
沢山取れたらごちそうしますね」
無邪気な笑顔を浮かべて彼女が言った。