黄色いマーカー(三十と一夜の短篇第67回)
かの暴力教師は、生徒たちから忌みきらわれていた。三十代半ば、社会科教師。波毛のダンディー気取り、チェーンスモーカーでヤニ臭い。名まえが「重喜」だから、渾名は「ゲキ」。
スキー教室の清掃時間中にUNOに興じていた三人組はことごとく、ゲキの鉄拳制裁を受けた。
「トランプやってて楽しかったか?」
「はい、楽しかったです」
「オメエはまちがってる!」
ガッ!
「トランプやってて楽しかったか?」
「いいえ、楽しくありませんでした」
「トランプやってて楽しくねえわけねえだろ!」
ボゴッ!
「トランプやってて楽しかったか?」
「............」
「黙ってるやつはいちばん嫌えなんだよ!」
バキッ!
平成一桁台より以前は、教師の暴力が容認されていた。平成後期から問題とされるようになった行為も、問題視されることはなかった。殴られる側にも非はあるが、暴力によって問題解決を図るのは短絡的である。が暴力を行使できない教師は、生徒たちから舐められる。舐められないための必要悪として、暴力は機能する。
ゲキが担任する2-4の教室で、事件は起こる。UNO三人衆のうちの最後の沈黙者がおもむろに、黄色いマーカーペンを取りだす。教室のうら(埼玉方言で、「うしろ」のこと)の壁に貼られた2-4の集合写真の中心にある、ゲキの顔を塗りつぶしはじめたのである。
恨み骨髄に達した筆圧によって、ゲキの顔は剥離する。顔の白い、一体の胴体。衆人環視の暴挙は、傍観者たちの笑声によって黙殺される。テロリストの陰湿な報復を是とし、ゲキに報告する者はいなかった。発覚は遅れに遅れた。
「あっ、担任の顔が!」
犯行の一ヶ月後、学年主任の美術教師が頓狂な声を上げる。総理大臣ふたりの姓名を重ねたこのヤクザのような風体の美術教師も、生徒たちから好かれていない。その姓から、「よしT」と呼ばれている。
よしTは誰を咎めるでもなく、犯人を探そうともしない。そして、ゲキに教えもしない。公の精神が欠落している。ゲキがおのれの顔なし写真と対面したのは、それからさらに一ヶ月後のことである。
「これはきょうは帰れねえなあ」
誰に言うでもなく呟いたゲキは、ホームルーム後にホームルームを続行する。
「ある人の顔がね、黄色いマーカーで塗られていたんですよ」
ゲキの悔しさにまみれた第一声に、2-4の生徒全員が笑いを噛みころす。知らぬは本人ばかりの、笑ってはいけない状況である。あの三ヶ月まえのかの陰湿は、ゲキの矜持を大いに傷つけたのだ。
ゲキは両手で写真を引きさき、顔なし胴体となった自分と生徒らを道づれにする。彼への攻撃は、ノーカンとなる。なにごとかを吠えたてる。その目にはうっすらと、涙を浮かべている。三十半ばの大人が、年齢ダブルスコア以下の少年少女と本気でぶつかりあう。
犯人が自首するまで、ホームルームは終わらない。しかし、犯人は名のりでない。犯人が2-3の生徒で、この閉鎖空間に存在していないからだ。犯人を報告すればホームルームは終わるが、そうする者はひとりとしていない。犯人をかばう仲間意識から来るものではなく、このイベントを楽しむ心を生徒らは共有する。
無駄な犯人探しを指摘する者はほんとうに現われず、延々と時間だけがすぎる。成熟していない精神は、この時間を無駄と感じない。これを乗りきった放課後と翌日の休み時間、この話題で盛りあがることはまちがいない。