王の宴
ベレニスは困惑していた。使者は、驚くべき事に王からの使者だった。しかし、シルヴァンはそれに驚く事なく対応している。
使者曰く、今晩市長邸で開かれる宴に参加して欲しいという事だった。
「何故いまさら俺を?」
シルヴァンが使者に尋ねると、
「陛下の意図はお手紙の通りです、お会いしたいのですよ、あなた様に」
国王からの直接の手紙で、さらに向こうから会いたいと請われる人物とは、黒鷲とはそれほどの大人物なのだろうか、と、ベレニスは自分の世間知らずに苛立った。
本当に、自分は何も知らなかった。領内の事だけで精一杯だった。こんな事で、領地の運営など到底できるとは思えなかった。
「同行者を連れて行きたいのだが」
使者とシルヴァンのやりとりを、心ここにあらずといった様子で見ていたベレニスは、ふいに自分が話題になって驚いた。
「え、わた……僕ですか?!」
使者の方は、同行者が必要というシルヴァンのものいいを意外そうな顔で見ていたが、身元の確かな人ならば、と、納得した様子で、そのまま先導しはじめた。
どうやら、そのまま二人を市長邸まで連れて行くつもりらしい。
「シルヴァン! 困る、いきなりそんな」
「お前、さっき何でもするみたいな事を言っていたじゃないか、俺を救けると思って同行してくれ」
小さな声でぼそぼそとやりとりをしつつ、使者の後に着いて行く。すでにデジレには許しを得ているようであるし、ベレニスは無抵抗でシルヴァンに着いて行く他無かった。
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ベレニスは、ベルナールとして王に謁見する羽目になった。まさか一貴族の娘にすぎないベレニスの名前を把握されているとも思えなかったが、用心にこしたことは無い。
つまりは、男のまま、同行しているわけで、美貌の王妃はベルナールを値踏みするような目で睨めつけている。
その場は、『謁見』と、呼ぶような仰々しい集まりでは無かった。驚くべきことに、護衛の兵士は部屋の外におり、同じ卓についているのだ。
シルヴァンとは、いったいどんな立場の人間なのか、ベレニスは見当も着かない。しかし、この親しさは、肉親、ないしはそれに準ずるような立場の人間なのでは無いだろうか、とも思った。
そう思えるほどに、国王と王妃のシルヴァンに対する様子は親しげだ。
「シルヴァンが友を連れてくるとは驚きだ、ベルナール殿、彼は無口だろうに、よく友達付き合いをしてくれているな、感謝する」
「いや! そんな! わた、僕が一方的に助けていただいているだけで、そんな、友人だなんて」
「あら、でも、シルヴァンはあなたをそう言って紹介してくれたわよね、そうよね、シルヴァン」
王妃の方も親しげに話しかけてくる。
「恐縮です」
ベレニスは言葉を濁して、硬い笑顔を貼り付けているのが精一杯だった。今のこの状況を、誰か教えてくれないだろうかと思いつつ、シルヴァンは目を合わせても苦笑するばかりだ。
食事も美味で、優しい会話が続くものの、なんとも言えない疎外感を感じるばかりで、早く帰りたいとすら思えてくる。
「どうかしら、今夜はシルヴァンもこちらに逗留しては?」
国王王妃と同宿する、本当にシルヴァンはどういう立場なのだろうと、ベレニスは困惑する。
「それでは、僕はここで失礼させていただきます」
頃合いを見計らってベルナールが立ち上がろうとすると、その手をシルヴァンが掴んだ。
「へ……?」
ベルナールことベレニスが間の抜けた声を出すと、シルヴァンが必死に『行くな』と言わんばかりにすがるような目で見つめている。
いや、だって、そんな、無理だろう。と、視線で訴えかけても、シルヴァンは掴んだ手を離さない。
そんな二人のただならぬ視線のやりとりに、反応したのは王妃だった。
「お二人は、本当にお友達なのかしら」
それまで、柔らかく微笑みながら、ベルナールの話を笑顔で聞いていてくれた王妃とは思えない、どこか険のある物言いに思えた。
「どうだろう、ベルナール君も一緒に、市長に部屋を用意してもらおう」
「いや! もしそうならば、俺と同室で」
シルヴァンの必死の言葉に、今度は王と王妃が目をむいた。
ベレニスは逃げたい、と、思いながら、三人のやりとりを見ていた。
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「説明して欲しい、どういう事だろうか、これは、そもそも君は国王達とどういう関係なんだ」
シルヴァンの願い通り、ベレニスと一緒にと用意された部屋は、豪奢な調度類で整えられた部屋だった。市長が賓客をもてなすための部屋なのだろう。本来宿泊する予定だった部屋も、今まで使った部屋よりは比較的上等だったが、今いる部屋は比べ物にならない。
ベレニスは、郷里の自分の領主館よりも贅を尽くされた部屋だと思っていた。
「……言いたくない」
「はあ?! 事ここに至って、言いたくないって、それはどういう事なんだ、僕は居心地の悪い夕食の対価として聞く権利があると思うんだが」
シルヴァンは、自分の出自をベレニスに明かして良いものか判断がつきかねていた。黒鷲、旅の剣士としての自分について語る事は抵抗が無かったが、自分が現国王の弟である事を告げる事は容易では無かった。
もしベレニスが自分の出自を知ったら、離れていってしまうのでは無いだろうか。
困惑したシルヴァンは、言葉を探すように視線を泳がせる。
ベレニスはため息をついて言った。
「わかった、これ以上は聞かない」
「ベレニス……」
きっぱりと言い切って、表情をなごませるベレニスにシルヴァンが言った。
「僕だって、理由ありだ、そんな僕をあなたは何度も助けてくれた、ここに一晩泊まるくらいなんてことないよ」
ベレニスはそう言うと、立ち上がって、ふかふかしたベッドに体を投げ出した。
「あー、寝心地いい! こんなに上等なベッドは久しぶりだー」
両手両足を伸び伸びとくつろげて、ベレニスが言うと、シルヴァンは少し思った。
上等なベッドを久しぶりだというベレニス。女が、男のなりをして聖都へ向かおうとするのも特異な事だが、自分だけでなくベレニスにも隠している過去があるのだろう、と。
けれど、ベレニスは自分を追求しては来なかった。
好奇心が無いといえば嘘になるが、自分への思いやりゆえに詮索を止めてくれたベレニスに対して、自分の方が追求をするのは不公平だと。
けれど、ベレニスの素性がどうであれ、自分はベレニスを助けたい、と、シルヴァンは決意をした。
真っ直ぐで、自分という人間の本質の方を見ようとしてくれるベレニスに対して、シルヴァンは気づき始めていた。
同室で、無防備なベレニスを見るたびに、抑えられない劣情を感じながら、けれど、ベレニスが自分に向けてくれる信頼を裏切ってはならないという思いが歯止めになる。
人間として自分に信頼を寄せてくれているベレニスを、「女」として見る事を、シルヴァンはキツく戒めようとしていた。
迷ってはならない。守りたいと願えば願うほど、壊したいと思う自分の邪な感情を、シルヴァンは気づかないように、自分の心の奥底へ封じなくてはならなかった。
ややあって、ノックがあった。
扉を開けると、兄の使者だという。
「いや、俺は……」
言葉を濁そうとするシルヴァンに、使者だと名乗った侍女は声を潜めて言った。
「では、あのご友人に、貴方様の素性を告げてもよろしいので?」
シルヴァンが、己の素性をベレニスに知られまいとしている事に、兄も気づいているようだ。
舌打ちをして、シルヴァンは同意をした。
「……すまん、少しばかり出てくる」
「ああ、わかった」
ベレニスは、少し眠そうな様子でシルヴァンを見送った。