男装令嬢の旅の理由
ベレニスには妹はいるが弟はいなかった。兄も。男の兄弟は一人も居ない。だから、一応覚悟はしていた。領地を維持する為に、異に沿わぬ相手と結婚しなくてはならないであろう事を。
しかし、ベレニスは知ってしまった。若くして出奔した父の弟の存在を。
遠からずくるであろう縁談を父がもってきた日の事だった。
「またとないよい話だ、王弟殿下を夫に迎えるなど、我が家は栄達の梯子に片足をのせたようなものだぞ」
父は、だいぶ薄くなってしまった頭を気にして、どこへ行くにも帽子を脱がない。しかし、汗をかくのか、帽子をうかせて頭皮の部分を拭うのがクセになってしまっている。本人は気づいていないのだろうか。そうしていると、帽子の影から薄くなった頭髪が抜け落ちているという事を。
「王弟殿下、ですか、あまりお見かけした事はありませんが、陛下とはお母様が異なるのでしょうか」
ベレニスは皮肉たっぷりに言った。王族の一人、などと言われても、父のように素直に喜ぶ気持ちになれないのは、ベレニスがうんざりするほど宮廷のうわさ話を聞いてしまっているからだろうか。
国王陛下は正妃への寵愛が深く、愛人を持っていないとか、先王が愛人を多くかかえていたから、それを反面教師にしているのでは、とか。
そんな先王様なのだから、国王陛下には、母親の違う兄弟が山のようにいるのではないかとかんぐりたくなるのだ。
腹違いの兄弟を、それなりの規模をもった貴族の婿にする。
悪いやり方では無いが、自分がその当事者になるとなっては話が別だ。父親が国王だったという一点のみで、やすやすと高い身分に収まるという事を、当たり前だと思っている人物なのだろうか。
ベレニスは相手の身分がどうこうというよりは、共に領地を治めるに足りる人物なのかを測りかねていた。
そして思った。幼い頃から覚悟はしていたが、やはり時間が欲しいと。
思いたって、ビルドラペを目指した理由は一つ。
ビルドラペには、聖職者になった父の弟がいるのだ。
父の後を、自分ではなく叔父に継いでもらう事はできないか。
叔父が何故家を出たか、出家したかは、ベレニスにはわからない。けれど、説得を試みるつもりだった。
叔父は、父と母を同じくする兄弟であり、父の後を継ぐ事に障害があるとするならば、今現在聖職者であるという事のみだ、そして、還俗する事は認められている。
ベレニス自身は知らなかったが、かつて父が跡目を継ぐ時に、叔父を推す家臣が居たと聞いている。叔父は、兄と自分が対立する事で、家が分裂する事を恐て出家したというならば、今こそ戻って父の後を継いでくれるのでは無いか。
ベレニスには、まだ覚悟が無い。顔も見たことの無い男と結婚し、その男の子供を産むという事に。
恋に夢を見るべきでは無いと、理性では思うが、感情がそれを許さない。あれこれ理由をつけながら、ベレニスは自分の為だけに時間を使う事を許して欲しいと思っていた。
幸いにして、父はまだ元気であるし、急ぎ跡継ぎをたてなくてはならない状況では無い。縁談の話はあるが、具体的な事はまだ何一つ決まってはいないのだ。
ベレニスが出奔した事で、縁談は一旦は止まるはず。父も、娘が縁談を嫌がって家を出たなどとは口外しないと読んでいた。
ビルドラペへ行き、叔父に会う事。そして、可能であれば叔父を連れ帰る事が、ベレニスの旅の目的だった。