出発前夜
ベレニスは、少しだけ困っていた。今回、ビルドラペに向かう隊には、ベレニスとシルヴァン以外にも三人護衛役がいた。元々三人だったところを、一人増やすための試験だったわけで、当然ベレニスとシルヴァンは新参者になるわけだが、シルヴァンの扱いは少しだけ違っていた。
護衛役達は割り振られた一室で雑魚寝をする事になっていたのだが、シルヴァンだけは個室をもらったという。
贔屓だと言って騒ぐものがいるかと思えば、異議を唱えるものはいなかった。
「……なんだって黒鷲が隊に加わってるんだよ」
三人の中で最も長身、横幅の広いブノワが言った。
「俺も驚いた、隊長、いくらで雇ったんだ、というか、今回の旅はそんなに危険だったのか?」
身長はブノワに並ぶほどだが、横幅はその半分にも充たない、ひょろひょろしたシリルは顔色も悪い。
「自分から同行を求めたらしいぞ、聞いた話だと」
小柄なアメデはベレニスとあまり変わらない背の高さだが、目端がきくのか、どうも三人のリーダー格は彼らしい。
「ベルナール、あんた何か聞いてないのか、一緒に入隊したんじゃないのか」
アメデに聞かれてベルナールことベレニスは言葉を濁した。実際、シルヴァンが同行することになった理由は聞いていない。
「ビルドラペに行く必要がある、としか」
かろうじて知っている事実のみを言っても、三人の好奇心は満たされないようだった。
「黒鷲が隊商と同道? あいつだったら一人で野盗一団くらい瞬殺だろうに」
「単独で往復してるのを何度も見たぞ、もちろん俺達よりずっと速く」
「あ! わかった! 誰かに追われてるとか!」
「黒鷲を単独追尾するような猛者がそうそういるとは思えないんだが……」
「確かに」
と、三人が声を揃える。
「あの、黒鷲っていうのは……」
最初の酒場でもそんな言葉を聞いたような気がすると、ベレニスが尋ねると、ブノワが驚いたように言った。
「お前、黒鷲を、百人殺しのシルヴァンを知らないのか」
「……昨日キュイーヴルに着いたばかりで」
苦笑しながらベレニスが答えたが、アメデが一蹴した。
「お前、どこの田舎から出てきたんだ、シルヴァンの名は王都だけで無く、近隣諸国にも鳴り響く、凄腕の剣客だぞ」
なるほど、と、そこで初めてベレニスは合点がいった。酒場で、市場で、シルヴァンを遠巻きにしながら見守る人々が向ける視線の意味を。
あれは畏怖、もしくは恐怖。
「もちろん、いきなり一般人を斬り殺したりはしないがな」
「だが、あいつに挑んで腕を落された者がいるとか」
「報復に手下を連れて来た奴らも併せて返り討ちにしたとか」
シルヴァンが強いだろうということは、ベレニスにもわかっていた。しかし、そこまでとは思わなかった。
「そんなに、強い人だったとは……」
思わずベレニスがつぶやくと、三人は口々に言った。
「知らずに一緒に?」
「俺はてっきり旧知の間柄なのだとばかり」
「さっきだって一緒に市場へ行っていたようだし」
「最初に、この街へ来た時に親切にしてもらって」
そう言うベレニスを、三人はじっと見た。
床にぺたりと座り、くつろいだ姿のベレニスは華奢で、少年のように見える。ヒゲもほとんどなく、顔もつるりとして、まるで女のようだった。
「ベルナール、失礼を承知で言うが、あんたもしかして、その」
シリルが言いかけたところで、アメデが脇腹を小突いた。
「バカ、失礼な事を言うんじゃ無い」
「けどアメデ、なんか、ベルナールって、その……」
ブノワがベレニスを見て、ごくり、と、つばを飲んだ。
「お前、今回ケチって娼館へ行ってないだろ、だから男相手にそんないやらしい顔をするんだ、改めろ、共に旅をする仲間なんだぞ」
アメデにたしなめられて、ブノワがしゅんとなった。
「悪い、ベルナール、あんた、なんか、華奢だし、肌もつるつるでさ、いやらしい目で見て悪かったよ」
ブノワは素直にベレニスに詫びた。
けれど、ブノワの嗅覚は正しい、事実ベルナールことベレニスは女なのだから。
ベレニスは、素直に女である事を言っておくべきなのではないかと思った。アメデは、共に旅をする仲間と言ってくれた。
新参のベレニスに対して信頼を向けてくれようとしている相手を、ベレニスは偽っているのだ。
「あの、皆、僕は」
「ベルナールはいるか」
ふいに、四人の部屋にシルヴァンがやってきた。
アメデ達は突然姿を表したシルヴァンに驚き、緊張のあまり固まったように動けなくなっていた。
「シルヴァン、僕ならここだ」
「お前は俺の部屋へ来い、商隊長に許しはもらった、えーと、アメデというのは」
「俺だ、自己紹介が遅れたな、共に旅ができてうれしい、よろしく頼む」
さすがのアメデはずっと硬直しているような事は無く、すぐに立ち上がってブノワとシリルを紹介した。
「ああ、俺は」
「あんたの事ならこの街の皆が知ってるさ、ベルナールに用というなら連れて行け」
「すまないな、四人では手狭だろうから、移動した方がいいだろう」
ぬけぬけと言ってシルヴァンは荷物ごとベレニスを連れだした。
二人がいなくなると、アメデ達は緊張の糸が切れたようにへたりこんだ。
「……あいつ、イイヤツそうなのにな」
ブノワがぽつりと言った。
「もしかして、シルヴァンが隊商に加わったのって」
シリルがアメデに向かって言うと、アメデも納得してしまったかのように言った。
「ベルナール目当て、なのか、……気の毒に、田舎から出てきたばかりだろうに」
「明日、ベルナールが辛そうにしてたら、助けてやろうな」
ブノワが言うと、アメデもシリルも納得したように頷き合った。
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「お前、あいつらに女だと言うつもりだっただろう」
シルヴァンに与えられた個室は、商隊長の隣で、先ほど四人でいた部屋よりはずっと狭いが、ベッドがあった。
「ああ、だって、あなたも知っているし、共に旅をする皆に嘘はつきたくないと思って」
「やめておけ」
間髪入れずにシルヴァンが言った。
「だって、あなたは気づいたのでしょう? もしかしたら、既に気づかれているかもしれないし」
「俺が気づいたのは……」
言いかけて、シルヴァンは赤面した。それは、ベレニスも初めて見るシルヴァンの変化だった。
「何故、そんな顔をするんだ、やっぱり、昨夜何かしたのか? 私は!」
「いや、違う、そうじゃない、俺はお前を抱きかかえた、……直接触れればわかる、その、……お前は、やわらかかったから」
照れたように言葉を濁すシルヴァンなど意に介さず、ベレニスは全く違う部分に反応した。
「鍛え方が足りないから、だから私が女だと?」
あきらかに憤慨している様子のベレニスは、自分の二の腕を見せて、力こぶを見せながら言った。
「鍛え方が足りない、筋肉ができていないと」
「いや、違う、やわらかいのはそこじゃない、……って、何を言ってるんだ、俺は」
自分の髪にくしゃっと手を入れて、シルヴァンが悩ましそうに言った。
「お前が女だとわかると、色々と問題があるんだ、だから黙っていろ」
「でもあなたは知っているじゃないですか」
「俺は、いいんだ、というか、だからこそ俺はここにいるんだ」
「言っている意味がわかりません」
「いいから、黙っていた方がいい、これは忠告だ」
「……忠告、ですか」
やっとシルヴァンの言葉に納得した様子を見せて、ベレニスは口をつぐんだ。
「あなたの忠告なら、意味があるのでしょうね、黒鷲、ですか、それこそどうして言って下さらなかったんですか」
「言ってどうするというんだ、俺は自分からそう名乗っているわけではない、いちいち否定してまわるのが面倒だから好きに言わせているだけだ、俺はただの旅の流れ者にすぎない、それ以上でも以下でも無い」
「でも、剣豪である事には違いないですよね」
「剣豪かどうかも知らん、俺はただ強い相手と戦いたいだけだ」
「何故ですか」
「強くなる事に理由が必要か?」
「……いいえ」
「お前が俺に一定の敬意をはらってくれるというならば、忠告を聞いてくれないか、女である事は隠すと、俺も出来る限り協力するから」
真剣な様子のシルヴァンに圧倒されたベレニスは、言われたことに従う事にした。根負けしたせいかもしれないし、何しろ自分を救ってくれた相手であり、シルヴァンがいなければベレニスは採用されなかったかもしれないのだ。
「何故なんだ、シルヴァン、どうしてそこまで私によくしてくれる」
「気まぐれさ、俺もビルドラペに行く必要があっただけで」
「でも、アメデ達がシルヴァンであれば隊商に加わらずとも単独でどこへでも行けると」
「確かに、俺は一人で旅をしているが、旅の安全について言えば一人よりも複数で行く方がいいに決まっている、単に安全上の理由だ」
シルヴァンは、あくまでも偶然にすぎないと言い切った。ベレニスは気づいていないが、常であればほとんど口をきかないシルヴァンがここまで饒舌である事はあまりない。
しかし、それをシルヴァン自身からベレニスへ伝える気持ちは無かったし、この先も伝える事はないだろう。
「いいからお前は早く休め、出発は早朝だ」
そう言うと、シルヴァンはこの間そうしたように床で寝る準備を始めた。
「待て! ここは本来あなたの部屋だ、私が床で眠る」
ベレニスはそう言って、自分の荷を解こうとしたが、シルヴァンが止めた。
「お前は初めての長旅になるのだろう、足手まといにならないよう、体を休めておけ、俺は慣れているから」
キツく言ってから、シルヴァンはベレニスを抱きかかえてベッドに寝かせた。
「でも……」
未だに食い下がるベレニスを押し倒すような体勢になりながらシルヴァンが耳元に言った。
「そこまで言うなら、共に眠るか?」
言った方のシルヴァンも顔を真っ赤に染めていたが、ベレニスの顔はそれ以上に赤かった。
「……お休み」
固まって、微動だにしないベレニスを放置して、シルヴァンは床に自らの体を横たえた。