旅支度
どうにも遠巻きに注目されているような気がするな、とベレニスは思ったが、きっとシルヴァンが男前だからだ、と、気にしない事にした。
「シルヴァンは、自分の準備はいいのかい?」
ベレニスが尋ねると、
「俺は慣れている、新しく整えるものは無い」
と、素っ気なく答えた。
ベレニスは、支度金の中から、昨晩シルヴァンに建て替えてもらった分を支払おうとしたが固辞された。旅の支度のためのものであるし、不備があってはよくないという事で、ベレニスは納得した。
無事に旅を終えれば報酬が支払われる、払ってくれるならばそちらからが筋だというシルヴァンの物言いはしごくもっともだった。
「靴の変えはあった方がいいだろうな、革製品は道中手に入れるのが難しい、他には薬や防寒の為の衣服、下着も」
旅慣れているシルヴァンに連れられて、言われるままにベレニスは買い物をした。
「あれはどうだ、お前に似合いそうだ」
そう言って、シルヴァンが指差したのは、踊り子用のドレスだった。布の面積が少なく、肌があらわになりそうな意匠に、
「からかわないで下さい」
と、ベレニスがむくれると、
「似合いそうなんだが、残念だ」
と、シルヴァンがつぶやいた。
「シルヴァンは、ああした服を着ている女性がお好みですか」
「ああした服、とは?」
シルヴァンが聞き返すと、
「その、肌の露出が多いというか、乳房が、その、大きいというか」
「いや別に」
むくれた様子のベレニスにシルヴァンは驚いているようだ。
「俺は何か気に触る事を言っただろうか」
真面目くさって言うシルヴァンの様子がおかしくて、ベレニスは何だか毒気が抜かれた気持ちになった。
「いえ、そういうわけでは」
そこでベレニスは思った。何故自分はむくれたのだろうかと。
「俺はあまり上手いこと話をする事ができない思った事があるなら言ってくれ」
「あの、シルヴァンは肌を露出した女性はお好きですか?」
「言っている意味がよくわからない、着ている服で好きだったり嫌いだったりするものか、俺は人を嫌いだとは思わない、相手がどんな人間かわからないからだ、お前は俺が裸だったら好きでそうでなかったら嫌いなのか」
シルヴァンに言われてベレニスははっとした。彼の言わんとする事が何となくわかったような気がしたのだ。恐らく、シルヴァンの言葉に深い意味は無かったのだ、単に自分に似合いそうだと思っただけなのだという事に。
「どうしてあの衣装が私に似合うと思ったんですか?」
「髪の色に、生えると思った」
シルヴァンが示した衣装は緋色を基調として、金色の糸で刺繍がほどこされていた。
「お前の髪は美しい」
シルヴァンは、今朝の、髪をおろしたベレニスを思い描いているように遠い目をして言った。
ベレニスはまっすぐ褒められて照れくさくなってしまった。
美しいのはシルヴァンの方だ、と、ベレニスは思った。艷やかな、漆黒の髪。鍛えぬかれた体なのに、肌はなめらかそうで、服を脱いだらきっともっと美しいのだろう、とも。
「どうした、俺の体がどうかしたか」
まじまじとシルヴァンを見つめてしまったベレニスは、顔を赤らめ、あわてて視線をはずした。自分のほうこそ、シルヴァンの裸体を想像したりして、なんてはしたない事だろうと。
「いえ、そうではありません、その、己が恥ずかしくなっただけです」
「ますます意味がわからない、結局あれは買わないのか」
しょんぼりしているシルヴァンに、ベレニスが冷ややかに言った。
「あれは、着る場面が限られるといいますか、ああいった衣装を必要とする機会は無いのではないかと思います」
「そうか? しかし、あまりかさばらないし、何かの役に立つかも知れない」
あくまでも気に入った衣装にこだわる様子のシルヴァンに、
「支度金を無駄遣いするわけにはまいりませんから」
と、やんわり断って、ベレニスは買い物を続けた。
「……そうか、似合うと思うんだが」
残念そうなシルヴァンを置いて、ベレニスはずんずんと進んで行った。
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シルヴァンを振りきって、ずんずん進むベレニスは、髪飾りを売っている天幕で足を止めた。強靭な糸で編まれた美しい髪留めは、華美では無かったが、黒地に銀の糸が編み込まれていて、一見すると黒一色なのが、よく見ると手のこんだ刺繍がほどこされている。
なかなか物もよさそうだ。
そして、それは、シルヴァンの黒い髪にとても似合うような気がした。
ベレニスはじっくりと確かめ、それを買うことにした。シルヴァンに頼った分には遠く足りないが、お礼の気持ちを形にしたかった。支度金を除くと、手持ちの銭は少ないが、その範囲で収まるという値段も気に入った。
本当は、穴の空いている装束を新調するつもりだったが、ツギをあてればまだ十分使える。だから、これは無駄遣いでは無い。と、自分に言い聞かせた。
うれしそうにベレニスが髪飾りを両手で包むように抱いていると、ふいに追いついてきたシルヴァンに声をかけられた。
「他に必要なものは無いか?」
ベレニスは驚いて髪飾りを手に握りこみ、咄嗟にふところに隠した。
「あ……シルヴァン、そこにいたのか、ええ、終わりました」
「何を買ったんだ?」
どことなくおもしろく無さそうな顔でシルヴァンが尋ねた。
「いえ、つまらないものです、自分用の」
「そうか? それにしては、とてもいい顔をしていた」
一旦言葉を区切り、少し早足になったシルヴァンを追いかけるようにしてベレニスが歩き出すと、後を追ってくるベレニスに安心したようにシルヴァンが続ける。
「……その、恋しい相手への贈り物のような顔をしていた」
「ちッ! 違います! そんな相手いません!」
あわててベレニスが否定した。
「そうだろうか」
信じられないという顔をシルヴァンが作る。
「なんでそんな風に思うんですか」
「だってお前はあの夜」
言いかけてから、今度はシルヴァンが口をつぐんだ。
「いや、なんでもない」
「言いかけてやめないで下さい、あの夜って、昨晩の事ですか?」
すたすたと歩きながら二人は会話を続ける。けっこうな混雑にも関わらず、道行く人々が、何故かシルヴァンに気づくと道をゆずってくれる為、人にぶつかる事なく二人は交易商館に向かって歩いて行く。
はっとしてベレニスが続ける。
「私、何か言いましたか、言ったんですね」
「ビルドラペに、会いたい人間がいると言っていた、恋人では無いのか」
「やだなあ、違いますよ、ビルドラペにいるのは叔父です、父の弟です」
「叔父?」
「ええ、父と、その、やりあってしまって、仲裁を頼みたいのです」
「親子喧嘩の仲裁にはるばるビルドラペまで? 命の危険だってあるというのに」
「あります、私の人生に関わる事です、……詳しくは、言えませんが」
ベレニスがちょうど交易商館の門のところで話題を終わらせた。
「だから、恋人なんていませんから」
ムキになって言い返して、ベレニスはシルヴァンを残して、門をくぐっていった。
「……そうか」
シルヴァンは、自分の口元がだらしなく緩んでいる事に気づいてはいなかったが、微笑んでいるシルヴァンを見て、門番がとても驚き、立ち去っていく二人を見送っていた。