再び、兄と弟
「手を出したな、シルヴァン」
兄がとても敏いという事を、今更ながらにシルヴァンは思い知らされた。この兄に、そもそも自分の出奔の理由を気取られていないはずが無い、とも。
「どういう意味でしょうか」
しらじらしく臣下のようにうやうやしく答えてみても、兄には全てお見通しなのだ。
「まあ、婚約そのものは整っていたからギリギリ……いや、いい、とっとと結婚式を上げてしまえ、そして恩赦を出せ」
イシドールの命はもはや風前の灯火と言えた。元々、命数の残り少ないところで、無理をしていたのだ。命をかけた野望が潰えて、老人はただ『生きている』だけの状態だ。
一方、父によって死にかけていた領主オレールの方は快方へ向かっている。元々の望み通り、一人娘の婿として、王弟を迎える事ができた彼は、執政に復帰し、未来の息子を仕込む事に意欲を燃やしている。
もちろん、父が自分を殺害してまで、弟の方を跡継ぎにしようとしていた事に思う所はあるのだろうが、それを人に気取られるほどに、オレールは若くは無かった。
どちらかというと、父に振り回された異父弟のガスパールに同情すらしているようだ。
ガスパールは、聖都へ戻る事を望んだが、それは王に許されなかった。遠方にいる事で、目がとどかなくなる事を畏れられる程度には、ガスパールの血筋はやっかいなのだ。
「イシドール殿は、ガスパールとベレニスを娶せるつもりだったようだな」
ぽつり言う兄の言葉に、シルヴァンの顔色が変わった。
「そうまでして、愛した女の血を自分の支配下に取り込みたかったという事か……本当に、父上は酷な事をした」
そもそもの原因は二人の父なのだ。美しい女に目がない、幼稚な為政者。だが、それはかえって次代の王、王太子を目覚めされた。
反面教師、という意味で、これ以上の見本は居なかったわけだが、それゆえの負債は、実はまだ残っている。
「ここが片付いても、父の残した負債はあちこちにある、頼りの弟は長いこと放蕩生活を送ってちっとも兄を手伝ってくれなかったしな」
忌々しそうに言う兄に、シルヴァンは答える事ができなかった。
思えば、兄と自分の視点の高さはこうも違うのか、それをまざまざと思い知らされた。
自分が、兄嫁になる女への横恋慕に悶々としていた頃に、兄はどれだけの悩みを抱えて、それを解決してきたというのだろう。
男としての完全なる敗北。ナディーヌの男を見る目は残念ながら正しかったという事だ。
「そういうわけなので、お前も、とっとと子供を設けるように」
「は?」
突然切り替わった話題に、シルヴァンは頓狂な声をあげた。
「だから、出自のはっきりした親族を、禍根無い形で家族をなしておけという事だ、ちなみに、どこかに隠し子がいたりはしないな?」
念を押すような迫力の兄に、シルヴァンはぶんぶんと頭を振って答えた。
「ならいい、家族計画は大切に」
「そうおっしゃる兄上の方はどうなのですか」
自分にちょっかいを出してきた正妃ナディーヌの事を思い返しながらシルヴァンが言うと、
「ああ、あの後は、しっかりおしおきしておいたから、心配するな」
そう言う兄の顔は嗜虐心に満ちていて、シルヴァンは少しだけ不安を覚えたが、兄夫婦の事は兄夫婦でうまくいっているのだろうと思う事にした。
……自分の方といえば、すっかり主導権を握られているような気がする、と、シルヴァンは思った。どれほど自分が盛ろうとも、そんな自分を受け止めるベレニスは、日に日に凄みを増しているようにすら見える。
「まあ、身近に小舅もいるようだし、うかうか安心はしていられないくらいが緊張感があってちょうどいいであろう」
そう、ガスパールは、モラス領内に残る事になった。監視下に置く事で、勝手な事をしないようにという配慮だが、ガスパール自身は、代替わりの時に自ら退いたように、俗世とは距離を置いていたいようだ。
家令のジュストは王都へ連れて行かれる事になった。さすがにモラス領内に残すわけにもいかず、かといって、鏖殺する事は、現領主からも、ベレニスからも、助命嘆願があった為、できなかったのだ。
「彼がああなったのは父のせいだ、だったら私がどうにかするしかないだろう、そもそも、宮廷にはそんなやつばかりがいる」
命を狙うならば狙えという兄の捨鉢なのか、器が大きいのかよくわからないところだった。
「モラス領での差配を考えれば、いい仕事ぶりといえよう、俺に忠誠を誓ってくれれば、役に立ちそうなんだがなあ……」
単純にジュストの能力を惜しんで自分の手元に置こうとする兄を、シルヴァンは尊敬の目で見ていた。
「そういう度量を見せておけば、弟の尊敬も得られそうだしな、未来の妹も含めて」
シルヴァンの兄ジェラール、現ウーティア国王は、そう言って不敵に笑った。




