お家騒動の収束と令嬢の婚姻
ベレニスの父が復調し、仕事に復帰する頃には、モラス領の仕事は、すっかり国王の指示の元、恙無く進行し、シルヴァンを軸にした新体制は整いつつあった。
お家騒動の為に、外部の介入を許し、モラス領は実質王家直轄地と変わりないような状況だった。
「……やられたな」
と、ベレニスの父は、どこかうれしそうにつぶやくと、王弟殿下の片腕として領内を掌握しつつある娘の成長ぶりに目を細めた。
「これで私は隠居できそうだ」
元気になったらなったで、今度はそんな事を言う。
「お父様は、もしかして最初から狙ってやっていた、なんて事はないですよね」
復調したとは言え、長期療養開けの父を車いすにのせて、ベレニスはそれを押して言った。
「私が父上を連れて隠居する、後は殿下と好きにしろ、ベレニス」
そもそも、父は領主という地位を重荷に感じていたのだろうか、どこか晴れやかな父の表情に、ベレニスは野心とは遠いところにいるという点で、父と叔父は似ている、とも思った。
祖父は祖父で、叔父を跡継ぎにした上で王位簒奪を目論んでいたというのだから、並々成らぬ野心の持ち主だろう、と、思っていたが、ジュストの話を聞いてベレニスの考えは変わった。
祖父は、妻の敵を討ちたかったのかもしれないと。
唯々諾々と、妻を夜伽に出してしまった事への後悔。王の子を身ごもった祖母の苦悩。無事生まれたものの、次男を残して死んだ妻への愛を、それを奪った先王への恨みつらみの結晶が、行き場を失って現王へ向かった事を、ジェラールは汲んでくれた。
ジェラールは横暴な王では無かった。全てを知った上で、奪うべきものは奪い、奪う必要の無いものは奪わなかった。
王が奪ったのは、モラス領を治める権限だった。もちろん、見た目は変わっていない。領主の娘と、王弟の結婚。婚姻による血族の融合。
裁きによって、命を奪われる者はおらず、自害すら許されなかった。生きて償え、国の為に働け、というのが、王の裁きだった。
巨大な穀倉地帯を持つモラス領。そこで執政をしくじる事は、国全体に影響が及ぶ。
婚姻の儀式にはまだ少しだけ時間があったが、すでにベレニスとシルヴァンは隣り合った部屋を割り当てられていた。短時間で成果を出したことの褒美かもしれなかったが、手の届く距離に愛しい女がいる事は、シルヴァンの精神衛生上よくは無かった。
その日も、ベレニスの部屋でお茶をともにしていると、ベレニスが不意に思案顔になる。
ベレニスは思っていた、すべては王の手のひらの上での出来事だったのだろうかと。自分が縁談を嫌がって出奔する事さえも。
そんな事を言うと、シルヴァンは真面目くさって言う。
「……待ってくれ、それを言い出すと、俺が宮廷を出たことすら兄の策なのではと思えてくるじゃないか」
ベレニスもシルヴァンも、さすがにそこまでは……と、思うのだけれど、決め手となる証拠も無いのでそれ以上追求する事はできなかった。
「でも、私のあなたへの気持ちは本物、だと、思う」
「どうして最後言いよどむんだ、ベレニス」
ベレニスが気の弱い事を言い出すと、とたんにシルヴァンもそれに引きずられる。
「……シルヴァンにも気弱なところがあるのね、なんだか、ちょっと意外」
「そうだ、俺は気弱なんだ、今だって、君が俺に愛想をつかして目の前から去っていくんじゃないかと気が気では無い」
「まさか! そんな事あるわけが……」
「可能性はあるさ、……たとえば、兄の後宮に入りたいと言い出すかもしれない」
ふてくされた様子のシルヴァンは、今まで見たことのないような幼さで唇を尖らせた。
「どうしてそんな風に?」
「結局、君の家のお家騒動を収めたのは兄だったしね」
ベレニスが答えずにいると、シルヴァンはさらに続けた。
「俺は、剣を振り回す事しかできない」
バチーーーーーーーーーーーン。
シルヴァンが言い切る前にベレニスがシルヴァンの横面を張った。
驚いて目を向いたシルヴァンの顔を両手で掴んだベレニスはシルヴァンの唇に自分のそれを重ねた。
唐突な鞭と飴に、シルヴァンは着いて行く事ができず、呆然としたままベレニスの唇を受け入れた。
「ベレニス……」
痛いのかうれしいのかシルヴァンはわからなかった。
「あやまらないから、私、黒鷲に平手打ちをする機会なんてそうあるものじゃ無いし、せいせいするかと思ったけど、ちっともすっきりしなかった」
ベレニスはシルヴァンを見て、顔を真っ赤にしている、それは照れているというより怒っているようだった。
「私は、あなたを愛してる、シルヴァン」
ベレニスの気迫に押されてシルヴァンはベレニスを見つめる事しかできなかった。
「ジュストに叔父様と共に連れ去られて、縁談を無理やり進められる事になった時、家の為にはもう耐えないといけないんだと思ってた、でも、ダメだった、王弟殿下があなただからよかったけれど、もしそうじゃなかったら、私は命を絶とうとすら思ってた」
一歩、ベレニスが近づいてきて、シルヴァンを抱きしめた。
「あなたが好き、あなたじゃなきゃダメ、どれくらい言葉にしたらわかってもらえる? それでも、私を疑うの? 別の方の後宮に入りたいんじゃないかと思われるくらい」
ベレニスはシルヴァンを腕に抱いた。硬直したシルヴァンを、ベレニスが柔らかく包み込む。
「ダメだ、ベレニス、それ以上は……」
ベレニスの背中に回そうとした両手を所在なさそうにしていたシルヴァンは、触れるまいとして耐えていた。
「どうして」
ベレニスの潤んだ目で見上げられ、シルヴァンは堪えていたものを全て解き放った。
ためらいがちだった両手がしっかりとベレニスを抱きしめて、今度はシルヴァンの方がベレニスの唇を奪った。
それは、ベレニスの方からされたものよりもずっと荒々しく、激しいものだった。柔らかさを確かめていたかと思ったら、次には隙間から、ベレニスの唇をこじ開けるように侵入していく。
絡みあう舌の動きに、呼吸を奪われたベレニスが、ぷあっ、と、音をたてて空気を求めた一瞬に、シルヴァンの唇は首筋に移った。
「あッ……シル、ヴァン……」
ベレニスは声をあげたが、それは拒絶では無かった。シルヴァンに支えられながら、ベレニスはシルヴァンの舌と唇を受け入れた。硬さと柔らかさを確かめるように、ありかを探るように、求められる事は、ベレニスの喜びだった。
「ずっと、こうしたかった、けれど、お前が怖がるのでは無いかと思っていたし、それに……その、儀式を終えてからで無いと、と……」
謝るようなそぶりを見せたものの、シルヴァンの指も唇も、すでに理性のクビキから解き放たれていた。
「いいのか、俺で、本当に」
「それ以上、もう、言わないで……」
もどかしいのか、ベレニスの手が、導くようにシルヴァンの手をとった。
ベレニスは、孤高の黒鷲を求めた。肌で、髪で、瞳で。それは媚態では無く、彼女自身の本能からくる素直な欲望だった。誰にも渡したくは無い。
自分にも、こんな風に男を求める気持ちがあるのだと、ベレニスは自分自身に驚いていた。
誰かに強制されたのでは無く、自らの意志で、求めた男と番う事。それが、ここまで身の内に熱をともし、誘うように求めるものなのかと驚きながら、それもまた自分なのだと受け入れた。
また、シルヴァンも、兄の替りで無く、ひたすらに自分自身を求めるベレニスが愛おしくて堪らなかった。
高貴ですらあったベレニスが、今はただ独りの女として自分を求めている。家を繋ぐ為とか、子供を残すためとか、考えなくてはならない事を押しのけてまで自分を支配する原始的な欲望に、二人は翻弄され、共に、繋がり、満たしていった。




