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残された事務処理の山

 先代領主、イシドールの乱心に端を発したモラス領のお家騒動は、王の直接介入によって収束した、という事になった。表向きには。


 出血は多かったものの、ガスパールは一命をとりとめた。今、モラスの領主館には、王にたてついた反逆者三人が別々に幽閉されている。幽閉といっても、健康体と言えるのはジュストのみであり、残る二人は寝台から起き上がる事もできずにいるという状況だった。


 ジュストが自害しようとしたが、シルヴァンの手によって止められた。


 シルヴァン曰く、


「これ以上事態をややこしくするな、お前は生きて、釈明をするのだ」


 生きる必要があり、責任があるのだというシルヴァンの言葉は、真面目一辺倒のジュストにはてきめんであった。


 唯一牢に入れられたジュストは静に、声をあげる事も、泣くこともせずに、ただ、窓の外を見ているという事だ。


 家令の仕事については、常に配下の者と共に行い、自分だけが知っているという状況をそもそも作っていなかったという。


 ジュストは、いつでも死ぬ覚悟を持っていたようだ。


 それは、いつからだったのか。ベレニスにはわからない。


 ベレニスにとっては、優しく厳しい、祖父のようで祖父では無いような存在だった。


 領主館は、王宮別邸の態で、ベレニスの父、オレールの執務室は、王の執政の場に変わり果てていた。


 横にはシルヴァンとベレニスがおり、こき使われている。


 国王は、なかなかに厳しかった。シルヴァンを弟だと言って甘やかす事は無いし、ベレニスを女と言って侮る様子も無い。


 ベレニスはひたすら領内の状況を書き起こさせられていた。領内の様子については、ほぼ父によって文書化はされていたものの、祖父である先代が意図的に隠蔽していたと思われる部分が出てきてしまったからだ。


「遡って課税されないだけマシだと思え」


 ジェラールは冷たくいいはなち、ベレニスは納税の為の台帳作りに奔走した。


 そして思った、自分は領内の事を何も知らなかったと。


 領主の息女、次代の領主と目されていながら、ベレニスの父、オレールは、ベレニスをそのように育ててはいなかったのだ。


 ベレニスは、思い上がった自分を恥じ入りつつも、泣き言を言う前に行動しなくてはと、歯をくいしばって手を動かし、足を使った。


 ジェラールによって厳しく働かされていたのはベレニスだけでは無かった。シルヴァンはさらに厳しく、それこそ、寝る暇も無いほどに、こき使われていた。


「お前が鍛えたのは筋肉のみか、愚か者、国内第一の領主になって安穏とできると思ったら大間違いだからな」


 すごむ兄の弟に対する叱責は容赦が無かった。


「お前の頭は飾りか、座学は一度忘れろ、人の話を聞け、裏の裏まで見通せ、人は利によって動くが利のみで動かない人間もいる、一番やっかいなのは利で動かない人間の方だ」


 シルヴァンは、兄の言葉をつい先日身にしみたばかりだった。


 忠実なる家令ジュストのとった思いもよらぬ行動。彼は自分の行動の責任をとるため、今は幽閉されている。


 何故ジュストが国王殺害などという暴挙に出ようとしたか、裁かれるのはこれからになるが、少なくともそうする事に『利』がある状況とは思えなかった。


 もし仮に、国王が挑発した通りに、ガスパールを本来国王であるべきと考えていたならば、あまりにもそのやり方は成功率の低い賭けであったし、実現性については言わずもがな。


「彼は、君のおじいさんへの忠誠心を最も大切にしていたんじゃないかな、ベレニス」


 国王とて人である。ベレニスとシルヴァンを働かせる以上に自らも働いていた彼も、睡眠をとらないわけにはいかなかった。仮眠してくる、二時間で起こせ、と言い残して立ち去ると、執務室に残されたのはベレニスとシルヴァンの二人だけ。


 同じ部屋にいて、毎日常に視界に入っている恋人に対して触れる事もできないシルヴァンは焦れてもいたが、しかし、ベレニスの現在の状況を考えると、己の欲望のみで彼女を振り回す事もできず、ただひたすらに悶々とし続けていた。


 お茶を入れて一息、二人きりで会話をするのは久しぶりであったのに、あまり色気のある話になれないのは仕方のない事だ。


「……ジュストの事か、そうだね、彼にとってもっとも大切だったのはお祖父様の願いだったのかな……」


 お茶だけはいつも好きなだけ飲めるようにと準備させてある。メリハリをつけて生産性をあげろというのが、ジェラールのやり方であるようだ。


「ガスパール殿に後を継がせ、王位を狙う、か、それは野心だったのか、それとも意趣返しだったのか、……父も罪な事をした」


 祖父がベレニスの縁談に乗り気では無く、それとなく出奔をほのめかした意図が、ベレニスにはわかったような気がした。


「私はどうすればよかったんだろう」


 弱音を吐くベレニスの向かいにシルヴァンは座った。手は届かないが、視線が真っ直ぐに交差する場所だった。


 触れる事はできなくても、視線を交わす事はできる。今のベレニスにも、シルヴァンにも、互いに触れる事は毒にはなっても薬には成りそうにない。


「だが、ベレニスが出奔してくれなければ、俺達はそもそも出会う事が無かった」


 ベレニスの仮定は意味が無い、けれど、考えずにはいられない。


 もし、ベレニスが出奔せずにモラス領に残り、シルヴァンが兄の要請通り縁談を受けて二人が出会ったら、自分達は惹かれ合っただろうかと。


「ただの領主の娘では、恋にはならなかった?」


 試すような顔でベレニスが尋ねた。


「剣士では無く、不肖の王弟では不満だったのでは無いか?」


 おかえし、とばかりにシルヴァンが答えた。


「どんな立場であっても惹かれ合っていた、って、言いたいところだけど、どうかなあ、酒場で一人寂しく盃を傾けていたあなたにときめいた、って言って欲しい?」


「女だてらに男の格好で隊商に加わろうとしていた姿がいじらしくて絆された」


 にっこりと微笑んだシルヴァンが、茶器ののった机に手を置いた。ベレニスの指先が、じさじわと伸びていってシルヴァンの指先に触れた。


 遊ぶように、互いの指の間を跳びはねさせる。ベレニスの指は時に逃げてシルヴァンの指を交わし、シルヴァンが手を止めると、じわじわとにじり寄っていく。


 触れるか触れないかのもどかしさで、二人は指先の戯れを続けた。


 触れてしまって、互いの熱を感じてしまっては、どちらも歯止めがきかなくなりそうで、けれど、互いの手を伸ばさずにはいられなくて、短い時間の、わずかな戯れ。


「さあ、仕事に戻ろうか」


 切り出したのはシルヴァンの方だった。人を斬っても、何も進まないのだと思うと、これまで自分がしてきた事が虚しいような気持ちすらあった。


 しかし、自分のしてきた事を否定はすまい、ともシルヴァンは思った。


 兄が、何を思い、たった一人で玉座を温めるのではなくて、臣民の為に粉骨砕身してきたかがわかる数日の出来事だった。


 流れた時は戻らないが、立ち止まってやり直す事はできる。愛した娘と共にそれができるのであれば、上々では無かろうか。


 シルヴァンは、まとめ終わった書簡を束ねて、次の山にとりかかった。


 ベレニスもまた、改めて領主の娘である事の責任に襟を正した。出自で役割が決まる事を、恥ていたが、誰がやってもいい事ならば、できるかぎりよいようにしたいと思い始めていた。


「さて、もう一仕事」


 ベレニスも仕事の続きにとりかかった。きっと、今までは祖父やジュスト、父達がやっていてくれていたのだ。そう思うと、逃げてはならないとも思った。


 一度は逃げた事も、シルヴァンと共にならばできるような気がする。少し離れた席で仕事を続けるシルヴァンを横目で盗み見しながら、ベレニスは没頭していった。

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