引き裂かれる二人
ベレニスは装束を改めた。女に戻ったわけでは無いが、叔父に対面する為に、身分を明らかにする必要があったからだ。
「……シルヴァン、もう少し離れてもらえないだろうか」
周辺の視線からベレニスを隠すように張り付いていたシルヴァンに、恥ずかしそうにベレニスが言った。
「ダメだ」
「通りを行くのは聖職者か旅人だ、そうそう不埒な人間は居ないはずじゃないのか?」
聖都ビルドラペは城壁に囲まれ、門には都を守る屈強な衛士によって守られている。王都よりも治安がよく、隊商の護衛達も任を解かれて皆くつろいでいる最中なのだ。
「お前の美しい姿を俺以外の人間が見ることに耐えられない」
しれっととんでもない事を言うシルヴァンに、ベレニスは思わず赤面してしまう。シルヴァンは、こんな男だったろうか。
けれど、そんな風に言われて、仕方ないなと思う自分の他に、溺れるほどに注がれる愛情にうっとりしたくも成る。
旅の目的でもある叔父との対面よりも、シルヴァンと共にいる事に喜びを感じてしまう事に罪悪感を覚えながら、ベレニスは叔父の所属している聖堂の門を叩いた。
「ここから先は……俺は行けない」
ベレニスは、何故、とは聞かなかった。しかし、難しいとは思いつつも、言った。
「あなたも、叔父に会ってもらう事はできないだろうか、……その、私の、未来の夫として」
ベレニスの声はじわじわと小さくなり、最後は赤面してうつむいてしまった。
シルヴァンは、恥ずかしそうにうつむくベレニスが愛おしすぎて思わず抱きしめそうになってしまったが、門番に咳払いをされて伸ばした両手をひっこめた。
「ベレニス……」
「叔父は、ガスパールは、英明なお方だった、私も幼い頃の記憶しかないが、優しくしていただいた、手紙のやりとりもしていたんだ! ほら!」
そう言って、ベレニスは叔父からのものだという手紙を大事そうに取り出した。
「俺も、お前が尊敬する叔父上に会ってみたい、だが、今はまだその時では無いように思う、家を出たお前が、いきなり男をともなってあらわれたら、いくら英明な叔父上といえども、姪の純潔を疑うのでは無いのだろうか」
シルヴァンの言い分に理があった。
「……わかった、では、行ってきます」
くるりと背を向けて、ベレニスが門番の元へ行った。
恐らくは、叔父の身分と、自分の素性を騙っているのだろう。
そういえば、と、シルヴァンは思った。自分は、ベレニスの素性については何も知らないという事にいまさら気づいた。
もちろん、自分の素性も語っていはいない。自分の身分についてはともかくとして、ベレニスの家の事は、確かめておかなくてはならないだろう。
身内に相応な身分の聖職者がいるといだけでも、ベレニスの家は身分が高い事が予想できた。氏素性は生きていく上で必須の事では無いが、正しくベレニスと沿うためには、王の弟という自分の出自は伝えるべきなのかもしれない、と、シルヴァンは迷っている。
王弟の身分を明かしたとして、ベレニスは態度を変えないだろう。しかし、周囲の者はどうなるだろうか。何より、兄の進めているモラス領の者達の耳に入ったならば。
自分は既に家を捨てた身であるが、ベレニスにそれを強いる事は、許されないようにも思えた。
そう考えても、当のベレニスを前にしてしまうと、理性よりも情が勝ってしまう事を歯がゆく思いながら、ベレニスがいれば、自分には他に何もいらないのだと、ベレニスが姿を消した門扉を見つめながら、シルヴァンは思った。
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「叔父様!」
ガスパールの執務室に案内されたベレニスは、久しぶりの叔父との邂逅に、少しだけ興奮気味に駆け寄った。
「やあ、ベレニス、遥々聖都まで僕を訪ねてくれてうれしいよ、一人で来たのかい?」
ガスパールは、既にジュストを退出させておいて、単身、ベレニスを迎え入れた。
ベレニスがビルドラペに居る事にあまり驚かない叔父を少しだけ不審に思いながらも、ベレニスは笑顔を崩さなかった。
「立派になって、見違えたよ、あのおちびさんがこんな素敵な女性になるとは、自分が聖職者でなければ求婚していたかもしれない」
叔父は相変わらずの軽口をたたきながら、ベレニスに椅子を薦めた。
「さて、遥々僕を尋ねてきてくれた理由を聞かせてもらおうかな?」
ガスパールは率直に尋ねてきた。
「あの……ね、叔父様、家へ戻るおつもりはないの?」
ベレニスの言葉にガスパールは目を丸くした。
兄に替わって、領地を受け継ぐことを、多くの者から打診されていたが、まさか、かつてや幼児にすぎなかった姪からもそんな話をされるとは思わなかったからだ
「ベレニス、誰から薦められた? その話は」
「誰から……って」
「君に、私に還俗を薦めて家を継ぐよう指示した人間がいるだろう」
「いえ、私は私の意志でここに来たのよ、叔父様に助けて欲しくて」
おかしい……と、ガスパールは思った。ベレニスは確かに聡明な娘ではあるが、自分一人でそこまで思い至るものだろうか。
あるいは、ベレニスに『そう』と気づかれずに操れるほどの人物は誰だろうか。
ガスパールは少しだけ考えて、ベレニスの真っ直ぐな瞳をみつめかえした。何かを企んでいるような様子では無い。だからこそ性質が悪い。
「では、言葉を変えよう、ベレニス、還俗が可能だという事を誰から聞いた?」
「それは、お祖父様に……」
やっぱりだ、と、ガスパールはめまいを覚えた。そして、もうひとつ、己の愚かさをも呪った。
ジュスト、あの、忠実な家令は、あくまでもモラス領主に仕えているのだという事を。今の領主はベレニスの父でガスパールの兄、オレールだが、ジュストにとっては未だに引退した先代こそが主なのだという事に。
「ベレニス、君、一人でここへ来たのかい?」
「いいえ、その……実は、頼りにしている人がいて」
思いがけずに水を向けられて、シルヴァンの話をする好機だと思いながらも、照れてしまってベレニスは赤面してしまう。
そのせいか、叔父の様子が替わったことに気づくのが遅くなった。
「すぐに帰りなさい」
「叔父様?」
「そして、しばらく身を隠して」
急に焦りだした叔父の様子に、ただならない様子を察してベレニスも表情を変えた。
その時だった。
扉が、大きな音をたてて開いた。
「ガスパール様、ベレニスお嬢様、どうか私と一緒にモラス領までお帰り下さい」
扉にはジュストと、他に数名、屈強な男が立っていた。
「ジュスト! どうしてあなたがここに?!」
突然の家令の出現に、ベレニスは驚いて立ち上がった。ジュストが連れている男たちのただならない様子に、思わず叔父を背後にかばおうとする。
ああ、どうして帯剣してこなかったんだろう、と、ベレニスは腰に剣を穿いていない事を激しく後悔した。
「ジュスト、お前のもくろみはこれか」
ベレニスをかばうようにして、今度はガスパールが前に出た。
「やはり、あなたは察しがよい、どうか私と共にモラス領へお戻りを」
うやうやしく頭をたれながらも、ジュストがじわじわと距離を詰めてくる。扉は男たちの体によって遮られ、逃げ道を塞いでいた。
「ベレニスを、どうするつもりだ」
「そうですね、あたながお戻りになられるならば、オレール様の係累は邪魔になりますね、まして、お嬢様は王弟殿下との縁談がもちあがっておられる身、万が一縁談が成功でもされてしまえば、モラス領には王家の人間がやってくるわけですが……、いえ、少しおしゃべりが過ぎたようだ」
ジュストの慇懃な顔は終始にこやかで、明日の朝食はどうしましょう? と、尋ねるような調子だが、今言っている内容はひどく不穏当で、凄みを増した。
「私が共に行けば、ベレニスの命を保障してくれるか?」
「ああ、なるほど、その手がありましたか、あなた様は、何にも執着がないようで、兄上様ご一族をことのほか大切にされている、本当に、私はそれが不思議でなりません」
「叔父様?」
今、自分のせいで叔父が窮地に立たされた事だけは理解したベレニスは、何とか逃げられないか辺りの様子を探った。少なくとも、自分が今、ここにいるせいで、叔父は意にそまない行動を強制されようとしているのだという事がわかったからだ。
「おっと、無駄ですよ? お嬢様、貴女に剣をお教えしたのは誰だとお思いですか?」
「ジュスト、理由を聞かせて、どうして叔父様を?」
「ガスパール様を拉致するわけではないのです、本来立たれるお立場へ、ご自身の責任を果たしていただく為、お戻りいただくようお願いしているのですよ、私は」
そう言っているジュストの瞳は真剣そのもので、ベレニスが少々言葉を重ねたところで聞き入れてくれそうには無かった。
「すまないね、ベレニス、どうやら彼の言い分に従う他なさそうだ」
「叔父様、ごめんなさい、私が、……私が」
「君が悪いんじゃない、誰かが、私達を駒にして戦を起こそうとしているという事さ、今は流れに従う他なさそうだ、若い君を巻き込みたくはなかったけれど、これもモラスの家に生まれた不運と思って耐えてくれ」
がっくりと力を落としたガスパールを、支えるようにベレニスは手を掴んだ。




