ベレニスへの追っ手
聖都ビルドラペ、聖堂の学び舎に「彼」はいた。
己を厳しく律しながら、家を出て十年以上が経過していた。学問に邁進し続けた結果、今では専用の執務室を持つに至っている。
久しぶりに実家、――モラス領からやって来た使者は、「彼」の家の奥向きを取り仕切っている男で、それだけの重要人物が来たというだけでも、兄の覚悟のほどが伺えた。
「その予想は正しいのかい、ジュスト、ベレニスがこちらに向かってるって」
「お嬢様の事です、本当にお困りになったら、ガスパール様を訪ねていらっしゃると旦那様もおっしゃっております」
「ずいぶん買いかぶられたものだなあ、それでわざわざ? まあ、僕が旅してきたわけじゃないからいいけれど」
「彼」ガスパールはベレニスの父の弟だ。元々は学問の徒であり、兄の荘園経営を手助けする事をよしとせずに、一人で聖都へやって来た。
元々、書庫にこもる事を好んでいたガスパールは、長じて兄に仕え続けずに家を出た。表向きの理由は、学問を治める為であったが、それは理由の一つにすぎない。
「兄上は、まだ僕が信用できずにいるのかな……」
つぶやくようにガスパールが言うと、ジュストという名の忠実な家令は、心からかつてお世話した若様の心を思いやって沈黙を守った。
歳の近い男兄弟。兄と弟。年功序列で世継ぎを決めてくれれば、ガスパールも余計な気を回さずともよかったのに、父は学問好きな弟の方を世継ぎに据えようと画策した。
何故父がそれほどまで兄をうとましく思うのか、ガスパールには理解する気にもならず、さっさと家を出た。兄には既に二人の娘もいて、跡継ぎについても問題が無かったというのに。
幼い兄の娘達、長女のベレニスは聡明な娘で、領地の未来は開けていた。自分が居ては邪魔になると思ったのだ。
「お嬢様は、縁談に否を唱えたかったのではないかと」
ジュストは、懸命に言葉を選んでいるようで、明瞭に語らない。
「ベレニスに縁談か、なるほど、次代の筋道をつけておかないと不安なんだろうね」
だったとしても、ベレニスは十七だ。早すぎるという事は無いだろう、聡明な娘であれば、自分の立場についてもわきまえているだろうに、ベレニスらしくない『逃亡』という選択肢を、ガスパールは不審に感じた。
「相手は?」
「ご存じないまま、出て行かれたのです」
ますますもってガスパールは驚いた。相手も知らない、縁談は嫌だ、それでは物のわからない小娘のようではないか。
「縁談を奨められ、相手を確かめないまま出奔か、ベレニスらしくないね」
「私もそう思います」
そこでガスパールはなるほど、と、思った。
「誰か、ベレニスに余計な事を言った人間がいるようだね」
ジュストは再び沈黙で答えた。




