小柄な剣士の正体は……
ゆらゆらと揺れる光景、平衡感覚が狂っているのか、ふいに、自分が運ばれている事に気づいたベルナールが目覚めようとすると、耳元で優しげな声が響いた。
「眠れ、疲れたろう」
その言葉の甘さと、背筋がぞわりとするような響きに酔うように、もう一度ベルナールは目を閉じた。
ぐっすり眠ったベルナールが目覚めた時、やわらかなベッド、清潔なシーツに、ベルナールは一瞬、自分がどこにいるかわからなかった。
見慣れない天井に驚いて起き上がると、靴だけ脱がされて、後は夕べの装束のまま寝かされていた事に気づいた。あわてて衣服を確かめたが、乱された様子は無く、ほっとすると、床の上で野営用の寝具に包まれた長身の男がいる事に気づいた。
「シルヴァン……、ああ、私ときたら、何て事!」
思わず声に出してしまい、あわててベルナールは口をつぐんだ。
いけない、気をつけなくては、と、シルヴァンがまだ眠っている事を確かめてからベッドを降りた。
ふと目をやって、眠っているシルヴァンは、なんて美しいんだろう、とベルナールは思った。
長い睫毛、すっきりとした口元。寝返りをうつと、喉から鎖骨、鎖骨から胸板の引き締まった筋肉から、まるで色香が漂ってくるようで、思わずベルナールは息を呑んだ。
「目が覚めたか」
しっかりと見つめていたところに声をかけられて、ベルナールは飛び上がりそうなほど驚いたが、礼を言わねばと踏みとどまった。
「すまない! この宿は、あなたの部屋なのでしょう? わた、僕がベッドを専有してしまって」
「俺は野宿は慣れている、気にするな」
寝起きがよいのか、シルヴァンはもう寝具を片付け始めていた。それを見て、あわててベルナールも身支度を始める。できれば着替えをしたいところだったが、あきらめて、着続けた服を整えるだけにした。
「着替えるのではないのか」
ふいに、シルヴァンに声をかけられて、ベルナールが否と答えようとすると、それよりも先にシルヴァンが言った。
「ああ、すまない、俺は少し出ていよう」
気を使って部屋を出て行こうとするシルヴァンに、
「いや、そんな気遣いは」
と、ベルナールが言うと、
「だって、お前女だろう」
ベルナールが、正しくは、ベレニスが秘していた事が、あっさりと気づかれている事に驚いて、目をしばたかせた。
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「気づかれないと思っていたのか」
シルヴァンが部屋に運ばれてきた朝食を食べていると、着替えをすませたベレニスがふてくされて言った。
「誰からも、言われなかったので」
「理由のありそうな男装した女に、面と向かってお前は女かとか聞く奴はいない、それに……」
言いかけた途中でシルヴァンは口を閉ざし、じっとベレニスの顔を見た。
「いや、なんでもない」
シルヴァンが、まるで照れたように視線をはずしたが、それに気づかず、ベレニスは続ける。
「ですが、私は何としても隊商に加わらなくてはならないんです」
くくって布の中に押し込めてあった豊かな赤い髪を、今は解いているベレニスは、鏡に映る自分の姿をじっと見た。
「やはり、髪を切った方がいいのかな」
「いや、それはやめた方がいい」
すぐさま否定されて、ベレニスは驚きながらシルヴァンを見た。
「美しい髪は、売って路銀に変える事もできる、急ぐ必要は無い」
昨晩はあまり自分からは口をきいていなかったシルヴァンの饒舌さに少し驚きながら、自分でも髪を切る事に、わずかではあったが抵抗を感じていたベレニスは少しだけ安堵したように聞き返した。
「では、どうしたら」
思わずシルヴァンに頼りそうになってしまった事に気づき、ベレニスは言い直した。
「いえ、お忘れ下さい、自分で決めて、ここまで来たのです、自分で何とかしてみます」
気丈にそのように言われると、シルヴァンもそれ以上立ち入った事を聞くこともできない。
「実は、昨夜はどこかで野宿をしなくてはと思っておりました、屋根のあるところで、しかも、きちんと休む事ができました、感謝します」
ぺこりと頭を下げて、ベレニスはシルヴァンに書付を差し出した。そこには、夕べの酒代と宿代と思わしき金額が書かれていた。証文のつもりらしかった。
「俺が勝手にした事だ」
そう言い捨てるシルヴァンにベレニスは言った。
「いえ、そういうわけにはいきません、この御恩はいずれ必ず」
そう言って、ぎゅうぎゅうに髪をしばり、布の中へしまいこんだベレニスは、シルヴァンの逗留する宿を後にした。
シルヴァンは、立ち去るベレニスを見送って出て行く事はしなかったが、しん、と、静まり返った部屋で一人、少しばかり沈思した後、自分の荷物をまとめて持って、支払いを済ませて宿を出た。
隊商に加わるならば、ベレニスが向かったのは商館だろう。いくつかある商館の中、彼女が向かった先の予測は、もうついていた。