聖都ビルドラペ
リュジオンプリの崖を抜けてから、旅は大過無く、目的地に到着した。そこで、給金の半分が支払われた。デジレは気前のよい商人だ。
商いの為、デジレはしばらくビルドラペに逗留するという。半分の給金は、滞在費でもあった。実家へ仕送りをするのだというシリルは、アメデ達と共に繁華街へ繰り出すような事はしないようで、宿で大人しくしている。
シルヴァンは、一人で街をうろついていた。
崖の盗賊が、黒鷲一人の手で一掃されたという噂は、既にビルドラペにも届いていた。盗賊達を恐れていた者は多く、まるで英雄のようなもてなしぶりだったが、シルヴァンの心は晴れる事は無かった。
日頃であれば、遠巻きにしている者達が、唐突に近寄ってきても、シルヴァンとしては、どうしていいかわからなかった。
しかし、日頃であれば、どれほど盃を重ねても酔わないシルヴァンのはずが、不思議とその日は酒が回った。
もしかすると、誰かが薬を盛ったのかもしれない。だが、シルヴァンはもうどうでもよかった。何をしても、気持ちが晴れることは無いのだから。
頭がうまく回らない中、いつの間にか隣に女が居た。波打つ艷やかな髪。踊り子なのか、肌もあらわな衣装。その衣装は、かつて、キュイーヴルでベレニスと旅支度をした時の衣装にとても似ていた。
ああ、ベレニスが着たら似合うだろうと思っていたのも、こんな色味のものだったと思い立つと、女の容貌がどんどんベレニスのように見えてきた。
女の素性はわからないが、女主人を呼ぶと、部屋を貸してくれるという。
すでに自棄になっていたシルヴァンは、女をともなって階段を上がった。どういう目的の女なのか、シルヴァンにはわかっていた。
触れられないベレニスの身代わりにするつもりなのか、別の女を使って、決定的に決別する為なのか、シルヴァンにはわからない。
酔った頭のせいか、視界は柔らかく歪み、正しい判断ができなくなっていた。
女は、黙ってシルヴァンに従っていた。
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用意された部屋にたどり着くと、ふらつく足取りでシルヴァンは寝台に横たわった。息苦しく、顔が火照り、水が欲しいと思っていた。
「……大丈夫ですか?」
女が、シルヴァンの顔を覗き込むようにしている。見れば見るほどベレニスに似ていた。
「お前、名はなんという」
ふいにシルヴァンが尋ねると、女は顔を歪ませた。
「……ひどい」
唇が歪み、涙がこぼれ落ちる。
「私が、わからない?」
一気に酔いが覚めたような思いで、シルヴァンが起き上がった。
「べ……ベレニス?! そんな、その格好は」
似ているはずだった。女は、本当にベレニスだったのだ。
「……ごめんなさい、あなたの荷物から、その、出ていて」
そして、その衣装は、まさにキューブルでシルヴァンが買って隠し持っていたものだった。
「いや、あれは、その、処分しようと思ってだな……」
「どなたかに着せる為のものかと思って、ごめんなさい、勝手に」
まさか着て欲しい本人が着ているともいえずに、シルヴァンはうろたえた。
「悪い、その前に水をもらってもいいだろうか」
シルヴァンの求めに、ベレニスは水差しからグラスに水を注いでシルヴァンに渡した。動くたびに、薄物の向こうに透けている肌が見える。
長い髪も、肌を出して、薄物で覆った衣装も、不思議とベレニスが着ていると下品では無かった。
しかし、下品ではないといっても、充分その姿はシルヴァンの劣情をかりたてるものだった。
じっと見られている事に気づいたのか、ベレニスが羞恥に頬を染めた。
「違うんだ、それは、その衣装は、お前に着て欲しくて」
ベレニスは、シルヴァンの目を自分へ向けさせる事にまずは成功したという事だった。そう思うと、ベレニスはひどく恥ずかしくなって、肌を隠すように背を向けた。
けれど、本来の目的を思い出して、シルヴァンの方へ向き直った。
「ベレニス……」
シルヴァンは、見てはいけないと思いつつも、ベレニスから視線を外すことができなくなった。
「私、あなたが好きです」
ベレニスは、自分の思いをシルヴァンに告げた。告げずにはいられなかった。
「ベレニス……」
再び、シルヴァンが名前を呼ぶ。ベルナールでは、偽りの名では無い、本来の名前を。
「あなたの心に私が居なくても、この街であなたと別れる事になったとしても、私、あなたに私を覚えていて欲しい」
にじり寄ってくるベレニスに、シルヴァンは身じろぎする事ができなかった。
「お願いです、私を」
ベレニスの唇がシルヴァンの唇に近づく。もう少しで触れそうになった、その時に、シルヴァンはベレニスの両腕を掴み、その体を引き剥がした。
「いけない、こんな事をしては」
ベレニスの顔が、羞恥に歪む。拒まれた、と、思ったベレニスは、逃げ出そうと、身を翻した。
逃げようとするベレニスを、シルヴァンは後ろから抱きしめた。
「シル……ヴァン?」
「振り向かないでくれ」
シルヴァンの声が、ベレニスの耳元で響いた。
熱い吐息が耳にかかると、ベレニスの背中にぞわりとした快感が走る。
「俺も、お前の事が好きだ、今だって、お前に唇を重ねて、その装束を引き剥がして、肌を貪りたいと思っている」
シルヴァンの唇が、ベレニスの首筋を這っていく。
唇の感触に、ベレニスが思わず甘い声をあげた。
シルヴァンの腕は、ベレニスを閉じ込めて、行動の自由を奪っていたが、支えてもいた。
シルヴァンの唇による刺激で、ベレニスは足から力が抜けていき、ゆるやかにシルヴァンに身を委ねていく。
シルヴァンは、ベレニスの肌を吸って、赤い痕を残したいと思ったが、我慢した。
腕の中にいるベレニスは、シルヴァンに身を委ねていて、少し指先を動かせば、たよりない衣装は簡単にベレニスから抜け落ちてしまいそうだったが、それにも耐えた。
体を支えるだけだ、と、思いながら、肌を弄ぼうとする指をシルヴァンは理性で必死に止めていた。
「俺がお前を求めているのは、わかっているだろう」
シルヴァンの言葉に、ベレニスは腰のあたりの違和感に気づいていっそう顔を赤くした。シルヴァンが自分を求めてくれているという事がわかると、ベレニスは喜びでとろけてしまいそうになる。
「だが、それではダメなんだ、お前は、欲望のままに奪っていい女では無いのだ」
あと少しだけ、この肌に触れていたい、そう思ったが、シルヴァンはそれを堪えてベレニスから自分の身を引き剥がすようにして、自分の方へ向けた。
ベレニスの瞳はうるみ、やわらかそうな唇は、触れてほしそうに開いている。互いを求め合っている事が間違いないという事は、ベレニスもシルヴァンもわかっていた。
しかし、シルヴァンは行為に及ばなかった。
ごくりと息を飲んでから、シルヴァンは確かめるように一言ずつ丁寧に言葉を紡いだ。
「俺は、衝動でお前を奪いたくない、伴侶として、お前を迎える準備をさせて欲しい」
ねだるようだったベレニスの表情に、理性の光が灯るようだった。
「シルヴァン、それは……」
「俺の妻になって欲しい」
そう言ってから、シルヴァンはベレニスを腕の中に抱き込んだ。大切な珠のように、己の手で蹂躙してしまわないように、腕に閉じ込めると、ベレニスの髪が、シルヴァンの鼻孔を擽る。
勢いで唇を奪ってしまわないように。
肌を暴いてしまわないように。
大切に。大切に。シルヴァンはベレニスを抱きしめた。
ベレニスは、シルヴァンの腕に包まれて泣いていた。
苦しくても、うれしくても、恋ゆえに涙は流れるのだと思いながら。




