崖の盗賊達
切通から崖の上に出る階段は、ひっそりと隠れた場所にあった。
「おー、よく作ったなあ」
岩を削りだしたような階段は、下から直接は登れないようになっている。視点の上までは岩伝いに崖を登り、その先は容易に昇れるようにできている。上手く視線が誘導されて、崖下からは見えないように工夫されている。
呑気に昇っているシルヴァンを連れているのはオリヴィエ。童顔に似合わない長身に筋骨隆々。目元はひどく優しげだが、体は驚くほど頑健そうだった。
「黒鷲、ずいぶんと呑気だな」
シルヴァンの腰に縄をうって、後ろから退路を絶つ形で着いている。
「いきなり襲ってはこないだろう、お前らは、第一隠れて俺を襲ったのでは、跡目争いに決着がつかない」
図星をつかれてオリヴィエは返答に窮した。
「長子相続じゃダメなのか、弟のお前が譲れば話はそこでしまいだろう」
「フン! 都の貴族ならいざしらず、我らは力が全てだ、その力において、俺は兄ローランに勝りこそすれ劣るとは思えん」
「それで兄弟で争うわけか、惜しいなあ……」
「どうした、黒鷲、今日は随分と饒舌じゃないか、俺の知っている黒鷲はひどく無口で、言葉で語るより先に剣でものを言う男だと思っていたが」
「言葉に出すことで、余計な争いが要らないのならば、言葉を弄するのも悪くないのでは無いかと思ってな」
「つまり、弁舌を振るうのが億劫だったというわけか、全く、バカにしている」
「馬鹿になどしていない、お前らリフツギャラの荒くれ者達の騎馬の腕を俺は買っているのさ、辺境をお前たちが守っていたならば、戦において国の優位も保てように」
「誇り高い崖の一族に王宮の軍門に下れというのか!」
オリヴィエが少し怒ったように言うのを聞いて、シルヴァンは心から惜しいと思った。
崖の一族は盗賊働きをしてはいるが、むやみに殺戮をしているわけでは無い。少し割高ではあるが、実質やっているのは切通の警備と同様、一種の関所のようなものだ。
通行料を惜しみ、不貞をはたらく者達は、ここで崖の一族によって足止めされるし、通行料を支払った者達は無傷で通行させるだけでなく、通過している間は、他の者達の狼藉を許さない。
これだけ秩序だって動ける者達の練度は高い。王宮の兵士たちといえど、地の利のあるこの場所であれば、勝負にならないかもしれない。
「ようオリヴィエ、首尾良く黒鷲をかどわかしてこれたか、子供の使いとしては及第か、まずまずだな、よくやった」
先に崖上に居たローランが、姿を表したオリヴィエにねぎらいの言葉のような皮肉を言う。
「お前が怖気づいてたからな、どうだローランよ、俺の膂力に畏れをなして、自ら頭目争いを降りるというのならば、俺は喜んで次代の頭目として一族を統べるぞ」
「ぬかせ!」
ローランは、オリヴィエと違って、怜悧な印象の男だった。単純な力比べであればオリヴィエの方が優っているように見えるが、より広い視野で物事を見通せているのは兄の方なのかもしれないと、シルヴァンは常々思っている。
本当に、何故この兄弟は共に力を併せるという発想に至らないのか、そう思って、我が身を振り返ってシルヴァンは苦笑した。
自分も人の事は言えないか。兄との協力ができずに出奔した己の過去を振り返る。そして今は、隊の安全の為に身を捨てる為にこの場に立っているのだから。
兄は、王はそこまでの事は考えていなかっただろう。
王宮に入る事も、政略結婚をする事も、国の為であれば成す事ができるだろう。しかし今、シルヴァンは、ベレニスの為に体をはる事を選んだ。
一言も言葉を交わさずに出てきてしまった。けれど、もしそれを口にしてしまっては、シルヴァンとて冷静を保つのは困難だ。
「俺としてはどちらでもいいんだが、……どちらからかかってくる?」
シルヴァンは柄に手をかけて、二人を待った。
「そうか」
「ならば」
ローランとオリヴィエ、二人が一斉にシルヴァンに斬りかかった。
「なるほど、そうきたか」
予想はしていた、最も強い者を先に倒すのは、戦法の常道だ。
斬りかかるローランの剣を薙げば、そのすぐ後にオリヴィエからの斬撃がひらめく。シルヴァンは二人相手に集中力を切らせるわけにはいかないが、兄弟はそれぞれの攻撃に専念すればよい。
いかにシルヴァンが強くとも、歩が悪かった。
「お前ら、協力できるじゃないか」
斬撃を交わしながらシルヴァンが憎まれ口をたたく。
「あんたを獲ったら、その後に兄弟で跡目争いをする、頭目も、あんたを討ち取った栄誉もそいつのものというわけさ」
「一人で倒したと吹聴するわけか、この恥知らずどもが」
キィン! と、大きな音がして、ローランの剣がはじかれた。その時だった。
「あ……」
背後から、オリヴィエがローランを背中から刺し貫いた。
「オリヴィエ……貴様ぁ!」
「悪いな、兄者、目の前の好機をモノにするのが俺達のやり方だろう?」
ローランが血を吐いて倒れる。
兄を討ち取った高揚からか、オリヴィエの瞳は血に酔っているようだった。
「さあ、次はお前だ、黒鷲」
「お前は馬鹿か、オリヴィエ」
剣をかまえなおして、シルヴァンはため息をついた。二人同時であったからこそ、難儀をしていたというのに、オリヴィエは目先の好機と言ったが、寸前の餌に飛びついて仕留められる獣のようだ。
一対一になった時に、自分一人で勝てると思ったのならば、戦況の読みすら生ぬるい。
「崖一族は、得難い人物を失ったという事にまだ気づいていないとは」
「何を!」
おおぶりに振りかぶったオリヴィエの間合いに、一足飛びに切り込んだシルヴァンの刃が、正面からオリヴィエの心臓を貫いた。
「ぐはぁッ!」
兄は背後から、弟は正面から、並んだ遺骸を見たならば、どちらを勇者と思うだろう。
兄の躯と並んで、オリヴィエは倒れた。
兄と弟から流れ出る大量の血は、混ざり合い、大きな血だまりを作っていた。いずれは地に吸われるのだろう。
命を捨てる覚悟をしていたが、シルヴァンの危機は、二人の自滅のような形で終わってしまった。こうなっては、一刻も早く先行している商隊に追いつく他は無い。
頭目候補の兄弟を失った崖の一族がどういう事態になるか、予想するには情報が少なすぎる。「行き」は混乱に乗じて崖を抜けられそうだが、「帰り」にどうなるか……。
「これは、帰りは船にしてもらう他なさそうだ」
そうひとりごちて、シルヴァンは階段をかけ降りて行った。




