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兄と弟

「久しぶりなんだ、いい酒もある」


 とぼとぼと割り当てられた部屋へ戻ろうとしていたシルヴァンを見つけて、自室に連れ込んだのは、ウーティア国王にしてシルヴァンの兄、ジェラールだった。


 シルヴァンの打ちひしがれている様子、夕食の席での妻の振る舞いを見て、おおよそを察した国王の洞察力は、一国の王というよりは、宰相のような如才なさだった。


 ジェラールは、自分が小心な事をよく知っている。狭量である事も。


 無自覚な器の小さい王は愚者だが、ジェラールはそうでは無い。王の器が小さくとも、国を強くする事はできる。


 信頼に足る者へ仕事を割り当ててしまえばいいのだ。


 だからこそ、ジェラールはふいに王都を空けても、官僚たちは驚かず、粛々と国事をつつがなく運用する事ができるのだ。


「義姉にくらっときた罪悪感か? 弟よ」


 もしかしてと思ってはいたが、兄はナディーヌの本質をよく知っているようだった。


「兄上……」


 うちひしがれるシルヴァンには他に無い救い手の出現に、素直に取りすがった。


 黒鷲の二つ名で巷間にその名を轟かせるシルヴァンが、兄の前では弱々しい事を知っているのは当の兄、ジェラールただ一人だった。


「兄上はいいんですか? その」


「そうだな、俺以外の子を孕まれると、色々やっかいではあるが……だが、ナディーヌはよくもわるくもいい女なのさ」


「おっしゃっている意味がわからないのですが」


「己の非力さをわきまえているという事だ、勝てる相手にしか牙を向かないし、勝てない相手には従順だ、あれくらい裏表のある女の方が飽きがなくていい、それに……」


 ジェラールは一呼吸置いた。


「王は、一人の女だけを愛する事が許されない」


「歴代で、一人の妻と添い遂げた王もいたのでは?」


 徐々に調子を取り戻してきたシルヴァンがぼやく。


「まあ、そう言うな、子が多すぎても諍いの元だが、子が少なすぎるのはそれはそれで火種になり得る、どうせなら楽しい方がいいだろう?」


 あの妻にしてこの夫有りという事か……、と、シルヴァンは己の悲壮な決意が馬鹿馬鹿しくなっていた。


「お前のように、優秀な縁者がいれば、もしもの時にも安泰だしな」


「縁起でも無い事をおしゃらないで下さい」


 ぴしゃりと言い返す弟に向けて、兄は舌を出して照れ笑いをした。


「だがシルヴァンよ、そろそろ宮廷に入らないか」


「気の弱い事を、兄上らしくもない」


「領地が無い事を心配しているのなら、家付きの娘をもらうという手もある」


「なるほど、本来の目的はそちらですか」


 政略結婚の駒にされるのは、何も女ばかりでは無いという事らしい。


「モラスの領主を知っているだろう」


 シルヴァンは遠い記憶を遡り、とぼしい思い出の中から大領主の姿を探した。確か、モラスの領主は、その豊かさ、領地の規模にそぐわない、優しげな人物だったと思い出す。


「兄上とは違って、奥方を深く愛された方ですね」


「……拘るな、ああそうだ、一人の女性を愛し過ぎたせいか、お子は女子ばかりだという」


 そこまで言われてシルヴァンも察した。モラス領はウーティアの四分の一を占める広大な領地を持ち、作物も豊かな穀倉地帯だ。王家との血縁は以前はあったが、シルヴァン達の大叔母にあたる女性が嫁いだのを最後に縁づいては居ない。


 それもまた、現領主が、メイドを妻に迎えた事に起因しているわけだが……。


「なるほど、現状男子が無いのをいい事に、王弟を送り込んでその縁を盤石にしたいと?」


「そして、合理的に恋敵に相手も見つかるし?」


 お返し、と、ばかりにジェラールがうそぶく。


「兄上……」


「ああ、ナディーヌには失望したといいたいんだろう? 抱いてみれば、また、考えも変わっただろうに」


 ぬけぬけと倫理にもとる事を平然と言ってのける。だが、ナディーヌはこうした兄の態度を、煮え切らぬものとして捨鉢になっているのでは? とも思った。


「兄上は、ナディーヌにもそのような態度で接しておられるのですか?」


 痛いところをつかれたという顔をして、ジェラールは盃をあおった。


「……だって、俺ばかりが思っていても仕方ないじゃないか、ナディーヌはお前が出奔した時、お前を思っていたのだろう」


 そのように酔って絡まれても本当に困る、と、シルヴァンは思った。定められた婚約者同士のはずの二人を、自分がこじらせないように身をひいたはずだったのに、それがゆえにナディーヌは未だに自分に対してのこだわりが抜けきらず、兄はそれがわだかまりになって愛しているはずの女にあふれるほどの愛をそそげずにいるとは。


「兄上、俺は」


「詫びるなよ、俺がみじめになるだけだ」


 酔っているように見えたが、そうでは無かった。


「悪いと思うのなら、モラス公の長女を娶って領地を継げ」


「……それは、王命ですか?」


「兄からの「お願い」だよ」


 兄も、弟が不憫だと思ってはいるのだろう。だが、それ以外に諸々の利権や、権謀術数も絡んではいるのだろうが。


 不詳の弟としては、今まで好き勝手ふるまってきたツケを、そろそろ精算すべき時期にきているのかもしれない、とも思った。


 けれど。


 ふいに、思い浮かんだのはベレニスの姿だった。


 今しがたも、愛して、その為には潔く身を引く事のできたナディーヌのように、誰かに「譲る」事など考える事もできない娘。


 だが、「また」だ。


 シルヴァンは自嘲気味に笑い、兄に倣って盃を干した。


 今の兄の立場であれば、命令する事は容易いのだろう。


 王弟、シルヴァンであればそうだ。


 だが、流浪の剣客、黒鷲であれば。


「時間を、いただけませんか」


 ジェラールは驚いたようにシルヴァンを見た。当然言うことを聞くだろうと思っていたからだ。予想外の弟の言葉に、ジェラールは王らしい鷹揚さを見せた。


「どれほどの時間を?」


「俺は今、ビルドラペに向かう隊商の一員です。目的地へ辿り着き、キュイーヴルまで戻るところまでが契約です、この契約を達成するまでです」


「それは、彼の為? ベルナールと言ったかな、美しい少年だ」


 どうも、兄はシルヴァンの性的嗜好についてひとつの誤解をしているようだったが、今はそれを誤解のままにしておこうとシルヴァンは思った。


「ええ、そうです」


 きっぱりと答えたシルヴァンは、偽りを言っているわけでは無い。ベルナールはベレニスだ。ベレニスの為に、今は、ベレニスを守って、彼女を聖都へ無事送り届ける事が、今のシルヴァンの成すべき事だった。


 思いを告げてはならない。


 シルヴァンは決意をした。この旅が終わったら、王弟として宮廷に戻り、モラス領主の娘と結婚する。


 国の為に、兄の為に。今まで放棄し続けていたそれはシルヴァンの義務だ。


 一時は、思いを告げたいとも思った。旅が終わり、彼女が女に戻る時、隣に立っていたかった。


 だが、それはもう、許されない妄想にすぎなかった。


 ならばせめて、旅の同行者として過ごすべきだ。もし仮に、思いが叶ったとして、それは短い時間の事だ。


 知らなければ、思いを告げなければ。


 中途半端な事をしたせいで、歪んでしまったかつての思い人。


 己の劣情を制御できなかった若気の至りが、当の彼女と、実の兄をも狂わせてしまった。


「ふーーーん……」


 ジェラールは、何事か言いたそうにうめきはしたが、あきらめたように言葉を切った。


「ま、いっか?」


 どうにも釈然としない、何かがひっかかったままなのを把握しながら、ジェラールは自らそれを答え合わせする気持ちは無いようだった。


「では、失礼します」


「おや、もう? もう少しいいじゃないか、久しぶりなんだし」


 そうなっては、もう寸暇を惜しんでベレニスの側に居続けたかった。一挙手一投足、彼女の姿全てを、この瞳に焼き付ける為に。


 決意した弟の様子に、兄はそれ以上追求をしなかった。

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