赤い薔薇は憂鬱に咲く 7
結果的に僕はエジェリーに意地悪してパーティーから閉め出した。エジェリーが気落ちしていないといいけれど、なんて気にする前に僕がとんでもなく気落ちしてる。
もうすっごいいろんなことが嫌でドレスなんてさっさと脱いでさっぱりすると、僕は自室のベッドの上でもがいていた。叩いた枕の羽毛がわっさわさ出て来る。
「ど、どうされたのですか、アンリ様?」
ジタバタする僕の奇行に侍女のルミアがかなりびっくりしてた。正直に言うと、いるの忘れてた。
ティーセットを素早くテーブルに置くと、ルミアは僕の方へ駆け寄って来てくれた。姉みたいに頼りになるルミアだ。少しくらいなら愚痴も許されるかな。
「今日、嫌なことがあった」
「あら、また殿方に言い寄られました?」
「そういうことじゃなくて!」
僕はがバッとベッドで飛び起きるとそこに座り込んだ。ルミアは茶化しつつも真剣に僕の話を聞いてくれるんだと思う。
「その……とある女の子に意地悪なことをしてしまったんだ。別にそうしたかったわけじゃないんだけど、その娘のためを思ったらそれしかなくて、でも結果的にその娘を傷つけてしまって……」
しょんぼりと語る僕に、ルミアはそっと微笑んでくれた。それは主を見るというよりもやっぱり身内に向けるようなあたたかさだ。でも、僕にはその方が嬉しい。
「それで嫌われたかも知れないと思うのですか?」
う……。
やっぱり嫌われたのかな?
「もう、僕がいる社交場には行きたくないって思ってるかも」
もう行きたくないってエジェリーが閉じこもったら、クロードが言うようにルイが彼女を気に入る可能性は低くなる。それは僕にとって都合が悪いこと。
――いや、ルイのことは関係ない。僕が嫌われたまま会えなくなるのが悲しいんだと思う。
ルミアは細くくびれた腰に両手を添え、年上の女性らしい大らかさで僕に言った。
「それはアンリ様の憶測ですよ。あまり考えすぎてもいけません。でももしご当人が本当に苦しそうにされているのでしたら、謝意を示せばよろしいのでは? お立場もありますから、ひっそりとになるかも知れませんが、それでもわかって下さるかも知れませんし」
「うん……」
やっぱりさ、エジェリーを道具にするのは嫌だ。ルイのことは別の方法でなんとかしたい。
エジェリーの男爵家は都から少し離れた西部に小さな領地を持つ。社交界に本格参戦するためには町屋敷にしばらくは常住するつもりだったと思うんだけど、もしかすると嫌になって田舎屋敷へ帰るつもりかな?
その前に会えるかな? 間に合わなかったら手紙でも出そうかな?
なんてことを考えながら僕は眠りについた。
■
さて、その翌日のこと。
うちにお客さんが来た。
それは僕にとって信じられないような相手だった。
「あらあらあら」
日当たりのいい居間で母様が先に会ってた。すごく嬉しそうだ。ニコニコと笑顔で出迎えてる。父様は出かけてていなかった。
客人、エジェリーはドレスじゃなくて清楚な水色のワンピース姿だった。襟がレースの小鳥になっていて可愛い。
でもさ、本来は招待されてもいないのにこうやって乗り込んで来るのはマナー違反だ。エジェリーはそんなのきっと知らない。知らないから、こうして来てくれたんだ。
母様は身分の割にそういうことにこだわり過ぎないユルさがあるからよかった。
「アンリエッタのお友達ね? こんな可愛らしいお友達ができたなんて知らなかったわ」
「お友達だなんて、そんな、私は――」
僕は居間の入り口で立ち尽くしていた。そんな僕にエジェリーが気づいて微笑んだ。
昨日のことなんてなかったかのように、笑いかけてくれた。僕はそれがすごく嬉しかった。心臓が痺れるくらいに。
とっさに声も出なかった僕が不機嫌だと思ったのか、エジェリーは申し訳なさそうに言った。
「昨日はごめんなさい。でも、とても助かりました。それで、その……相談があって来たんです」
母様は気を利かせて――というか、首を突っ込みたそうなのを我慢しながら去って行った。
「相談とは何かしら?」
僕はエジェリーが何を言いたいのかわからずに小首を傾げてしまった。
母様の趣味で揃えられた家具ばかりの部屋だから、ソファーも花柄。僕はエジェリーの正面に座り込む。エジェリーは真剣そのものだった。
「はい。サリム様の誕生日プレゼントのことです。一日遅れてしまいましたが何を贈ったら失礼にならないのでしょうか?」
「……」
なんて素直な娘だろ。
一日それを考えてたのかな。
僕がしたことをただの意地悪だとは受け取らなかった。しかも僕に相談に来るって……。
でも僕は社交界以外の場所で彼女に会えたことがやっぱり嬉しかった。
窓から差し込む明るい陽の下で彼女の金髪が煌いてる。
「そんなもの、もうよろしいのでは? 当日でなければ意味がありませんわ」
アドバイスなんてできない。とっさに僕はそう言った。
だ、だって、一日遅れましたけどって手ずからプレゼントをサリムに渡すってことだろ?
そんな特別なことしたら危ないじゃないか。あいつ、わざわざありがとうとか言ってつけ入るに決まってる。
エジェリーはしょんぼりとしてしまった。
「やっぱりそうですか……。私がダメなばっかりにお祝いもできずに申し訳ないです」
はあ、とため息をついた。
なんだろう、もやっとする。僕はさっきまですごくフワフワしてた心が掻き乱されたような気がした。
「……あなた、そんなにもサリム様が気になるのかしら?」
声が冷ややかになった。あんなの、どこにだっているタラシだぞ。
エジェリーがそんなののこと一日考えて過ごしてたって、そう思ったら何かもやっとした。
すると、エジェリーは困ったような顔をした。
「私、長女なんです。下に二人妹がいます」
「は?」
いきなり飛躍した会話に僕がきょとんとしていてもエジェリーはそのまま続けた。
「それで、私がしっかりしなくちゃ後から社交界デビューする妹たちが困るんです。なのに私、ちゃんとできなくて……」
ああ、そういうことか。
サリムが気になるんじゃなくて、卒なく交流したいってこと。
「どうしたらアンリエッタ様のようになれるのでしょう?」
ちょっと潤んだ瞳で僕を見る。ドキ、と心臓が鳴った気がした。
僕のようにって、僕は紛い物の令嬢だから。見習ったって仕方ないよ。
僕はさ、それでも僕を頼って来てくれたことが嬉しくて、ちょっと頬がゆるんでたかも。
エジェリーは僕を真剣に見つめてる。そんな目で見つめられると僕も困る。
「ムリをしなくても、あなたはそのままでよろしいと思いますわよ」
だって、キラキラした目をして、誰よりも魅力的に映る。リュシエンヌや僕が演じるような取り澄ました令嬢になんてならなくったっていい。
「でも……」
自分の魅力を知らないエジェリーは困惑してしまう。けど、僕にはこれ以上言えないんだ。
だって今の僕は公爵令嬢で、本来の僕がエジェリーみたいな女の子を素敵だと思ったってそんなこと言えない。
すると、そこでトントン、とノックの音がした。
「お茶をお持ちしました」
完璧な所作でルミアがお辞儀をしてカートを押して来る。他家の一使用人のルミアにもエジェリーは朗らかに挨拶し、ルミアのいれた紅茶を美味しいと言って飲んだ。
ルミアはそっと微笑むと、僕に訳知り顔を向けた。
昨日のグダグダから連想したんだろうな。
僕はちょっと複雑な心境で紅茶を飲む。薔薇の香りがするお茶だった。
それからしばらく、エジェリーは自分のことを語った。
領地は牧草地が多く、そこで馬を駆るのが好きだとか。社交界デビューが遅れたのも実は落馬したせいだって。見た目はお淑やかなのになかなかのお転婆らしい。
よかったらいつか遊びに来て下さいと誘ってくれた。
行きたいな。でもさ、できればこんなドレスじゃなくて馬に乗れる服がいい。
遊びに行く時までに僕も乗馬を習わせてもらおうかな。
エジェリーが去る時、見送りに出た母様が、
「またいらしてね」
とエジェリーに声をかけた。
「はい、ありがとうございます」
可愛らしく頭を下げたエジェリー。僕は彼女が馬車に乗り込むまで見つめてた。
馬車が走り出すと、母様とルミアが僕をじいっと見つめていた。
「可愛らしいお嬢さんね」
「そ、そうだね」
「アンリ様、お顔が赤いですわ」
「そ、そんなことな――」
二人が妙にニヤニヤしてる。なんだこの状況。