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赤い薔薇は憂鬱に咲く 21

 僕はようやく『アンリエッタ』を卒業できる。でも、いきなりってわけにはいかない。ここはちゃんとタイミングを見計らって行動を起こさなくちゃいけない。しくじるわけにはいかないんだから。


 僕自身、まだまだ学ばなければいけないこともある。男に戻ったら、いきなり湧いて出たヤツってことになるから、からかう標的にされるんじゃないかな。田舎者だの無教養だの言われるだろう。で、アンリエッタが駆け落ちした設定にするなら、その責めも僕に来る。

 全部受け止めなきゃアンリとして生きられないなら、がんばるしかない。


 それで、エジェリーだ。

 僕はやっとアンリとしてエジェリーに再会できる。でも、僕は色々と難しい立場にいるわけだ。そんなややこしい僕をどう思うのかな?

 それくらいならロランの方がいいって僕を見限るのかな。


 わからない。わからないけど、その前に僕はエジェリーにちゃんと謝らなくちゃいけない。意地悪なことを言って傷つけたから……。


 次の社交場にエジェリーがいたら、なんとかして二人きりになって謝って、そしてアンリのことをどう思うのか訊ねよう。返答を怖がってたら前に進めない。



     ■



 そうして、その機会はすぐに訪れる。このシーズン、舞踏会が連日続くなんてこともザラなんだ。僕だってあんな場所疲れるけど。


 エジェリーは今日、カナリアみたいな淡い黄色のドレスだった。露出は控えめで慎ましい。僕とバックに控える取り巻きが視界に入ると、少し怯えた目をして顔を伏せた。

 僕はジョゼたちを振り返るとささやく。


「わたくし、エジェリーさんと少しお話をして来ますわ。あなた方はどうぞダンスをお楽しみになって」

「は、はい」


 基本、彼女たちは僕の言うことに逆らわない。そしてきっと、彼女たちは僕がナマイキなエジェリーにガツンと胸が空くことを言ってくれると勘違いしてる。

 目がそんな期待を語ってるよ。でも、そうじゃないから。


 僕は満足げにうなずくと色彩豊かなホールの中をエジェリー目指して歩いた。エジェリーは自分の存在を消すように壁際でうつむいている。


 ただ、それにロランも気づいたみたいだ。僕がエジェリーの方へ近づいていることを察してハッとしてる。僕がまた彼女を苛めるんだと思ってるんだろうな。こっちに大股で歩き出す。


 けど、その瞬間にロランの肩をクロードががっしりとつかんだ。にこやかに話しかけてる。あいつのことだから、わかってやってる。他愛ない話でわざとロランの足止めをしてくれたんだ。そばにいるルイはあんまりわかってない。ぼんやりと僕を見てるだけだ。……余計なことは言うなよ。頼むから。

 僕はやっとエジェリーに声をかけることができた。


「エジェリーさん、少しよろしいかしら」


 でも、その途端にエジェリーがびくりと身構えたのがわかった。仕方ない。仕方ないんだ。僕が悪いんだ。そう思っても、ちょっとだけ傷つく。それを顔に出さないようにして僕は続けた。


「少し中庭を歩きましょう」

「はい……」


 エジェリーは断りきれずうなずいた。胸の前でギュッと拳を握ったのは、それだけ覚悟が要ったってことなのかな。

 僕たちのことがロランはもちろんリュシエンヌたちも気になるのか、視線が後をつけて来る。かといって、それを気にしてたらどうにもならない。僕は静々と中庭に向けて歩き出した。エジェリーも後ろからついて来てくれた。


 貴族社会は他人の事情とか不幸とかスキャンダルとか大好きだからな。僕たちがどんな会話をするのかが多分みんな気になる。そういう粘っこい空気を振りきるようにして僕の足は速まる。背後のエジェリーの足音が少し慌しく聞こえるようになったのは、僕が速く歩きすぎるから、ついて来るのに必死なんだろう。

 でも、もう少し離れなきゃ。誰もいないところじゃないと。


 憩いのベンチも通り過ぎて灯りが途切れかける少し手前で僕は立ち止まった。そうしてドレスの裾をふわりと広げて振り返る。エジェリーはまたびっくりしてた。急停止したエジェリーはその場で所在無げに立つ。そんな姿は儚くて、僕は落ち着かなかった。

 やっとの思いで口を開く。扇で顔を隠すのは止めた。正面からエジェリーを見据える。


「エジェリーさん」


 エジェリーは緩慢な仕草で僕を見た。でも、すぐに目をそらしてうつむいた。……僕の顔なんて見たくもないのかな、なんて思って不安になる。くじけそうな心をなんとか奮い立たせて僕は言った。


「あなた、ウェイブル領でアンリと会ったことを覚えていらっしゃいますわよね?」


 アンリエッタの口からそのことを訊ねられて、エジェリーはハッとした。そうして、何か今にも泣き出しそうな目をした。


「はい。あれが私の見た夢でないのなら……」


 夢? どうしてそんなことを言うんだろ。あのぬくもりは現実だったはずだ。

 僕は複雑な気持ちと破裂しそうな心臓を抱えながら続けた。


「アンリはあなたに恋をしていますわ。気持ちも伝えたということですが、実際、あなたは一度出会っただけのアンリのことなど、なんとも思ってはいらっしゃらないのかしら?」


 顔が、顔がどうしようもなく強張る。

 言っちゃったよ……。

 実はそうなんですってあっさり返されたら、僕は帰ってからルミアに夜通しグチグチ言ってしまうと思う。ああ、もうすでに泣きたくなって来た……。


 エジェリーは呆然と僕の言葉を聞いていた。本当に呆けてるみたいだ。

 なんだろう、この反応。どうやったら角を立てずに済ませられるか考えてるのかな?

 なんて、エジェリーはそういうタイプじゃなかった。


「本当、なんでしょうか?」


 ぽつり、とそんなことをつぶやいた。


「それはどういう意味かしら?」


 真剣にわからなくて僕は訊ね返した。すると、エジェリーは急に顔をくしゃくしゃに歪めて、目にいっぱい涙を溜めながら声を絞り出した。


「本当に、あの方が私に恋をしているだなんてことがあるのでしょうか?」

「え!?」


 僕は思わず素の声を上げてしまった。でも、エジェリーはそれどころじゃなかったのかも。涙が青く澄んだ瞳からぽたりと零れた。


「あれから一度も私に会いに来ては下さっていません」

「そ、それは……」

「会いに来られない事情がおありなのかも知れません。でも、お便りも何もなくて、あの日のことは私の見た夢だったのかも知れないって、段々思うようになって……」


 ……。

 僕は自分の事情をどう解決するかだけに腐心して、あの後エジェリーがアンリから便りひとつないことを不安に思うなんて、そこまで気が回らなかった。僕は頻繁にエジェリーに会えてたから、そういう寂しさは感じなくて、それがわからなかった。

 情けない。待っててなんてよく言ったな、僕は。


 いや、今はショックを受けてる場合じゃない。僕はどうしたらいいんだろう?

 ひく、とエジェリーのしゃくり上げる声が薄闇の中に響く。

 そうして泣くのなら、少しは僕に会いたいと思っていてくれたのかな?


「どうか、アンリの心を疑わないで頂けませんこと? 今に会える日が来ますわ」

「今にって、いつでしょうか?」


 非難するような、ほんのり赤い目が僕に向く。非難されていると思うのは僕が疚しいからか。


「それは……」


 言いよどんだ僕に、エジェリーはつぶやく。


「ロラン様に求愛されました。でも、私はどうしていいのかわかりません。一度お断りしたのですが、ロラン様は私が振り向くまで待つと仰って下さったのです。私が幻に恋しているのなら、申し訳なくて……」


 今にとか言ってる場合じゃなかった。

 脅威はすぐそこに、はっきりとした形で迫ってる。

 でも、その前にこんな風に肩を震わせて泣くエジェリーに僕は気持ちが抑えられなくて、エジェリーのそばに寄って扇を放り投げると彼女を抱き締めた。ただ、ペチコートで膨らみすぎたお互いのドレスが邪魔だった。

 

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