赤い薔薇は憂鬱に咲く 20
僕の人生で最大の難問と思われたルイのことはなんとか解決できた。……多分。
これで僕は男に戻って大団円、なんてそんな都合のいい話はないんだろうな。この公爵家の子供は養女のアンリエッタただ一人。それが周知のことだ。
そうすると、僕は男に戻りたかったらこの家とはオサラバしなくちゃいけない。
随分贅沢に慣れちゃったからな。一人でちゃんと生きて行けるかなって不安にはなる。かと言って、もうここにはいられないなら、なんとかするしかないんだよ。
でも、そうしたらやっぱり身分も何もないただの男になった僕に、エジェリーは見向きもしてくれないのかな。
どの道、僕とエジェリーとではムリしかなかったのかな。
そう思ったら、やっぱり悲しかった。
ルイが帰った後、僕の衣装の乱れ具合にルミアがすごくびっくりしてた。イヤイヤ、別に襲われかけたわけじゃないから。
僕がちゃんと事情を説明すると、ルミアはほっと胸を撫で下ろした。
「そうでしたか。おめでとうございますと申し上げるべきでしょうか」
歯切れが悪いのは、色々な事情が賢い彼女にはすぐに読めてしまうからだろう。
僕はうん、と小さくうなずいた。
父様と母様もルイがこんな時間に来たことで、ただごとではないと察したんだと思う。心配そうに部屋の扉を叩く。僕はルミアにドレスをもと通りに着つけてもらって、それから顔を出した。
「アンリ、ちゃんと説明してくれるね?」
父様の眉毛が下がってる。母様はまだちょっとよくわかってない風だ。
「うん、でも明日でいいかな? 母様眠たそうだし」
子供みたいに無邪気で自分の欲求に素直な母様。ぽやんとしたその顔は絶対に今話したら寝る。
父様もそれがわかったんだろう。
「わかったよ。じゃあ明日」
と、母様の背を押して去った。
僕も明日にはもう少し落ち着いて話せると思う。
――で、朝。
僕は気が昂ってあんまり寝られなかった。ようやく明け方になってうとうとして眠ったかなってところ。
早朝にさ、馬車を走らせてやって来たのはクロードだった。
今度はお前か……。
僕は眠たいけどアイツは一応王子だから迎えないわけにも行かない。僕はルミアに手伝ってもらって、仕方がないからドレスを着た。そうだ、僕は男性用の服を持ってない。ようやく女装から解放されるかと思ったら、そんな落とし穴があった。
クロードは無遠慮に僕の部屋の扉を開いた。着替え途中だろうとどうでもいいらしい。
「自棄になるなって言ったのに、聞いてなかったのか?」
すごく呆れた顔。これ見よがしにため息をつかれた。
「ルイのことか?」
あの調子だと、城に帰ってからも泣いてたのかな。
クロードはああ、とつぶやく。
「兄上は目的がはっきりしないと物事に打ち込めないタイプだからな。あれじゃあやる気を失くすじゃないか。将来の王がそれじゃあ困るだろう」
なんだよそれ……。立太子はまだだろ。
それはもしかすると、年の近いクロードの方がどう見ても有能だからかも知れない。
「じゃあお前が王様になってやればいいだろ」
僕がムッとしてそう言うと、クロードはわかりやすいくらいに顔をしかめた。
「嫌だ」
王位って、みんなが奪い合うほどに素晴らしいものじゃないのか?
どうやらこの国ではというか、この兄弟間では違うらしい。クロードは平然と言う。
「私は兄上以上に王には向いていない」
ああ、その性格じゃあな、と言いかけて飲み込んだ。
僕は気持ちを落ち着けつつクロードを宥める。
「……一応、理解を示してくれた。友達として付き合ってくれるって言ってたんだ」
言いながら、心で泣いてたかも知れないけど。
そんな僕をクロードはじぃっと見つめた。……なんだよ?
「お前に生き別れの双子の妹とかいないのか? 兄上のために捜して来い」
「そんな都合のいい話があるか!」
「だろうな。あったら助かるんだが」
なんてことを言われても困る。
クロードは深々と嘆息する。僕が悪いって言いたいのか。
「それで、お前は今後どうするんだ? 『アンリエッタ』を消すことはまあ、できなくはない。けれど、そこに『アンリ』を都合よくすげ替えることはできるのか?」
う……。
「とりあえず、父様と母様も交えて一度話さなくちゃいけない。今日、その話をするつもりだったんだ」
僕が正直に告げると、クロードはスッと目を細めてそれからうなずいた。
「わかった。私も同席しよう」
いらん――とは断れず、僕はクロードを連れて広間で父様母様と向かい合うことになった。ソファーで僕の隣に座り込むクロードがちょっと気になるみたいだけど。
「――というわけで、ルイ様に僕が男だってことは理解してもらったよ」
僕が癇癪起こしたとかそういう部分は割愛してオブラートに包んで説明した。
父様と母様は顔を見合わせる。
「えっと、それじゃあもう女装はしなくていいってことだね?」
父様の言葉に僕は力いっぱいうなずく。
母様がえーって残念そうにつぶやいたのを僕は聞き逃さなかった。えーってなんだ、えーって!
「けれど、周囲にアンリエッタが実は男でしたと正直に告白するのは止めて下さい。さすがに兄上が憐れなので」
と、クロードは父様に言った。それを言いについて来たのか?
こいつ、いつも面白がってるだけかと思ったら、実は割と兄貴思いなのかな?
父様はもちろんです、とうなずいた。
「ルイ様には申し訳ない結果になってしまいましたから、それは致しませんとも」
「ただ、そうすると今後アンリをどのようにされるおつもりですか?」
僕は、父様が言い出しにくいだろうと思って自分から言った。
「こうなったら僕が家を出るしかないんだと思う。ここまで育ててもらって申し訳ないけど、色々とややこしい問題になるから……」
この家の爵位の問題も僕が男だとすると絡んで来るのかも知れない。父様は甥っ子に譲るって言ってた。その甥っ子には思えば僕は会ったことがないけど。
家を出る、の言葉に誰よりも敏感に反応したのは母様だった。いきなり向かいのソファーから立ち上がると、父様をぐるっと回って僕の前まで駆け寄ると、僕に向かって飛び込んで来た。
「うわっ!」
僕の首にきつく腕を絡め、母様はかぶりを振る。重――なんて言ったら怒られるな。ちょっとくすぐったいよ。
「そんなの絶対ダメ! アンリはうちの子だもの!」
僕は母様の背中にそっと手を添えるとささやく。
「別に家を出るからって絶縁するわけじゃないよ。ちゃんと会いに来るから」
「イヤ!」
駄々っ子みたいな母様。でも、正直嬉しかった。
親の愛情なんて知らなかった僕にたくさんのぬくもりをくれた。そのことは忘れてないから。
父様はぽむ、と手を打つ。
「アンリエッタは若い庭師と駆け落ちしてしまったから、アンリエッタにそっくりな双子の兄のアンリを引き取ったことにしようか」
……発想が一緒だ。
「そんなでいいの?」
僕がぐったりと訊ね返すと、父様はお茶目に言った。
「大丈夫だよ。女の子を男だと偽って家督を継がせたら問題だけど、逆だからね。大体、アンリは完璧に令嬢を演じていたから、彼女が男だったなんて誰も気づかないさ」
そ、そんな単純な話だろうか。
「で、でもさ、そうすると家督とかややこしくならない? 僕はその父様の甥っ子に継いでもらえればいいと思うけど……」
「それなぁ」
と、父様は苦笑した。
「前から甥っ子には家督あげるねって言ってるのに、イラナイの一点張りだ。面倒だから嫌だとか言うんだよ。私が顔を合わせるたびに言うからか、家にも寄りついてくれないし」
……クロードにしろ、この国の人間はそんなに高い身分が嫌いなのか。平和ボケしてるこの国では高い身分なんて面倒のひと言で片づけられてしまうんだ。
「家督のことはアンリが彼と話し合って決めなさい。私たちは田舎でのんびりしたいだけだから」
あ、そう……。
その甥っ子、確かまだ十歳くらいだもんな。
面倒くさいよな、そりゃあ。
すると、クロードが僕ににやりと笑いかけた。
「よかったじゃないか。これで愛しい彼女に想いを告げられるだろう?」
ブッ。
今ここで言うか!?
母様は女のカンってやつなのか、すぐに察した。
「まあ、あの時うちに来た可愛らしいお嬢さんね! そういうことなら仕方がないわ。アンリにドレスを着せるのは諦めるわね」
嬉しそうにそんなことを言う。しかし――。
「その代わり、孫は絶対女の子にして頂戴」
……。
母様、どこまでも自由でいいね……。




