赤い薔薇は憂鬱に咲く 19
今日はいつも以上に疲れた。さっさと帰ってドレスを脱ぎたい。
僕はエジェリーのことを考えたくないあまり、それだけを思った。
――なのに、僕が屋敷に着いてすぐ来客があったんだ。ほとんど後をつけて来たようなものだ。
僕は部屋の窓からちらりと確認する。
吊るしたランタンに照らされている一台の馬車は王家の。クロード?
でも、馬車から降りて来たのはクロードじゃない。ルイだ。
「げ」
勘弁してほしい。今日はもうほんとに疲れたんだ。ルイの相手までする気力なんてない。
僕は思わずドレスのまま窓から逃げてやろうかと思った。僕に心配そうな目を向けたルミアがとっさに部屋の外に出た。扉を閉めたところでルイとルミアのやり取りが聞こえた。
「申し訳ございませんが、アンリエッタ様は大変お疲れのご様子です。どうか日を改めて下さいますよう――」
「今度じゃ駄目だ。今話したい。なるべく手短にするから」
いつになく押しが強いじゃないか。ルミアが困ってるのが扉越しに伝わる。
一体なんなんだよ、こんな時間に。ああ、もう面倒だ。どうだっていい。
会いたいなら会ってやる。その代わり、後悔するなよ。
僕は半ば自棄になって自室の扉に近づいた。扉を開くと、ルイとルミアがいっせいにこっちを見た。
僕はにこりともしないで言う。
「お話があるとのことで。どうぞ」
こんな時間に婦女子の部屋に、とかルイはちょっとだけためらってた。でも残念、僕は婦女子じゃない。だからそんな配慮は要らない。
僕はルミアにだけそっと笑って見せた。
「大丈夫。ルミアはそこで待っていて」
ルイは二人きりじゃないと回りくどいことになりそうだから、とりあえず僕は一人で対峙することにした。
いい加減、いつまでも逃げてるのも疲れた。それが本音かも知れない。
中にルイを招き入れ、僕は扉を閉めた。そうして、正面からルイを睨むようにして目を向ける。
ルイの方がむしろ戸惑って目をそらした。
「お話とはなんでしょう?」
僕が促すと、ルイは小さく呻いた。はっきりしろ。
少しもじもじとしながら、ルイはようやく言ったんだ。
「あの、次の舞踏会では私と踊ってくれないだろうか?」
「は?」
思わず無遠慮に声を出してしまった。慌てて自分の口を塞ぐけど、今更だ。でも、ルイはそんなこと気にならないくらいにテンパってる。
ずっと言い出せなくて、意を決してようやく今ってことなのか?
なんだこの間の悪さ……。
僕は頭が痛くなる。ズキズキする頭でものを考えるのはひどく億劫だ。
なのに、ルイはそんな僕には気づかずに言うんだ。
「苦手は苦手なんだけれど、ずっと練習はしていたんだ。私が上手く踊れないから、君はいつもクロードと踊るしかなかったね……。私はクロードほど上手にリードはできないかも知れないけれど、それでも――」
僕がクロードとばっかり踊るのは、ダンスの苦手なルイが上達するのを待ってたからだと思ってるのか?
ルイは一生懸命だ。一途な想いを僕に抱えて、そして押しつける。
お前が僕に抱く恋心は幻想だ。都合のいい偶像に僕を仕立てるな! いい加減に、気づけ!
腹の底から可笑しさが込み上げて来るみたいだった。僕の笑い声が部屋に響いた。
ルイはきょとんとしていた。何故僕が笑うのかが理解できないんだろう。そういう鈍いところに僕は嫌気が差す。
冷え冷えとした心は、他人にも牙を剥くんだ。
「ルイ様は本当にわたくしのことをなんにも見て下さいませんのね」
「え?」
「わたくしの何がそんなにもお気に召したのですか? 外見だけでございましょう?」
そんなことは……ってルイは言葉に詰まった。
違うなんて言えないだろ。
僕は自分で自分が止められなかった。感情がまるで別の生き物みたいに僕の中で跳ね回る。
「ルイ様はわたくしを知ろうとはなさいませんでした。もっと早くに気づいて下さってもよかったのに、ルイ様はわたくしの手も握りませんでしたもの」
自分でも嫌になるくらい醜く笑ったんだと思う。僕を前にルイは固まっていた。
「そ、それは、その……」
ごにょごにょと何かを言うルイに僕は背を向け、ドレスの背中の紐を解く。シュルリ、と擦れる音がした。
「ア、アンリエッタ!?」
焦ったルイの声と、僕の着ていたドレスの前がゆるんでずり落ちるのはほとんど同時だった。コルセットも解いて、僕は振り返る。膨らみも何もない平坦な上半身をルイにさらしてやった。そうして、ガリガリと乱暴に、セットしてあった髪を崩す。
「そんな名前も母様のオフザケだ。僕はアンリ。生まれた時からずっとツイテルんだよ。悪いな」
低く凄む僕の声に、ルイは燃え尽きたような脱力感を見せた。ぐーらぐら揺れてる。
もっと早くに教えてやった方がショックは小さくて済んだかもなんて、今更知らない。僕はルイのせいでこんな姿で長年過ごすことになって、僕だって人生棒に振った。好きな娘のそばに堂々といられない自分になったのはこいつのせいって、ルイに対して憤りしかなかったから、こんな残酷な告白のし方をするんだ。
この後僕がどうなるのかなんて知らない。もう、どうなってもいいと思ってる。
エジェリーの存在が、僕を揺るがす。
いくらルイでも少しくらいは怒るだろうと思った。罵られても、この先嘘を通すのはもっとつらい。
ルイはまだ放心状態でグラグラしてた。僕はわざとらしく嘆息した。
「さすがにこのカラダに欲情できないだろ? わかったらちゃんと別の令嬢を探せよな」
すると、ルイはようやく色の失せた顔でつぶやいた。
「ア、アンリエッタ……いや、『アンリ』」
僕は覚悟を決めて息を飲む。でも、ルイが僕になんて言うのかまでは想像がつかなかった。
「……すまなかったね」
ぽつり、とそれは悲しげに泣き顔みたいにして笑った。
「私は愚図で、なかなか君に相応しくなれないから、君が振り向いてくれないんだとばかり思っていた。君にそうした事情があるなんて少しも考えが及ばなくて……」
えぐ、と本当に涙が滲んでる。
うわー、でかい図体で泣くな!
「嫌な思いをさせて、本当にすまな――」
と、むせび泣く。
これ、やっぱり僕が悪いんだよな……?
僕はテーブルの上のナプキンを取ってルイに差し出す。ルイはそれを手に取ると僕をちらりと見た。
罪悪感がまったくないかって言われるとそりゃああるけど、でも仕方ないじゃないか。
「泣くなよ。こっちこそ言葉を選ばなくて悪かった。でも、それだけひた向きに誰かを想えるなら、ルイ様にはちゃんといい娘が現れると思うよ」
そんな言葉くらいしかかけてやれないけど、ルイは鈍臭いけど悪いヤツじゃない。心底嫌いとか、別にそういうんじゃない。
ルイはナプキンで顔をゴシゴシとこすると、赤い目をして僕に言った。
「こ、これからは友人としてなら付き合ってもらえるだろうか?」
うん?
もう顔も見たくないって言うかと思ったら意外だった。それくらいの希望なら僕だって叶えてやれるよ。
僕は承諾の証に手を差し出した。ルイが僕の手を握り締める。僕が泣き腫らしたルイの顔に少し笑って返すと、ルイはポッと頬を染めた。
……おい、なんだそのリアクションは!




