赤い薔薇は憂鬱に咲く 18
ああ、どうしようかな。
感情の持って行き場がない。悲しくて塞ぎ込みたい気持ちと、何かに当たりたい激情がぐちゃぐちゃに混ぜ合わさって胸に沈む。
トボトボと歩いてホールに戻ると、クロードとルイが僕に気づいて近づいて来た。いつもならルイを回避するためにさりげなく腐心するところだけど、今の僕にはそんな気力がない。
好きな人が他の異性と仲良くしてる――これって、思った以上に堪える。ルイはさ、僕とクロードが踊ってる時にはいつもこんな気持ちだったのかな。
だとしたら、僕はすごく無神経なことを続けてた。
僕がルイの気持ちに答えることができないのは仕方ないとしても、せめてできるだけ誠実に接していかなくちゃいけないのかも知れない。今更過ぎるくらい今更だけど、僕はそんなことを思った。
「アンリエッタ、顔色がよくないけれど、もしかしてまた体調が優れないのか?」
ルイは心底心配そうにそんなことを言う。オロオロしすぎだ。
僕を支えようとしたのか、ルイが手を伸ばした。僕は今まで悪かったなって思うくせに条件反射でその手を叩き落としそうだった。クロードがそれを察知してルイの手をつかんで止めた。
「兄上、アンリエッタはひとまず帰らせましょう。兄上も私もこの場を抜けることはできませんが、馬車を手配します」
「あ、ああ。頼むよクロード」
心配そうな目を向けるルイの方をなるべく見ないようにしながら僕は挨拶をする。
「では、申し訳ありませんが、失礼致しますわ」
「うん、気をつけて」
名残惜しそうなルイに僕は背を向けてクロードの後に続いた。
クロードは一度振り返るとボソリと言う。
「なんとなく原因はわかるが、自棄にはなるな」
「……自棄ってなんだよ」
僕は誰にも聞こえないくらいの声で零した。
屋敷に帰って女装を解く。いつもよりもドレスの扱いが雑で、シルクに爪が引っかかって大変なことになったけど、もうそんなこと気にしたくなかった。
部屋に戻ってもルミアに話を聞いてもらいたいとも思わなかった。一人にしてほしいって頼んで部屋にこもった。クマのぬいぐるみだけがぽつりと僕のそばにある。
僕はそのクマのどてっぱらに拳を叩きつけてた。クマは真顔だから何か無残だ。
じんわりと悲しさと悔しさが溢れ出す。
幸せを感じた日は錯覚だった。今日はロランがあの日の僕と同じ気持ちでいるんだろうか。
そう思ったら余計に腹が立った。
今頃エジェリーは僕とロランと、天秤にかけてるんだろうか。突然降って湧いたような僕よりも身元確かで頼りがいがありそうなロランの方がいいって?
ねえ、それともまだどこかに希望は残ってるのかな?
それがわからないから余計に苦しいんだ。
■
次こそ。
次こそ、顔を合わせたらちゃんと訊ねよう。
アンリのことをどう思っているのか。
そうは思うのに、僕は彼女と顔を合わせると冷静ではいられなかった。華やぐ社交場で僕はピリピリとした空気をまとっていたんだと思う。それを令嬢たちは敏感に感じるのか、僕の顔色を窺うようにしていた。遠くを見ると、リュシエンヌも同じような具合だった。自分の身内がエジェリーに構うのも面白くないんだろう。
エジェリーは自分に声をかけて来る男たちをやんわりとかわしながら僕たちの方へ歩み寄って来た。この間のことがあるから進んでは来ないと思ったのに。
でも、この社交場で孤立はしたくないのかも知れない。
エジェリーは軽く挨拶すると僕にそっと笑いかけた。
「アンリエッタ様、このところ体調を崩されていらしたそうですが、お加減はいかがですか?」
……体調が悪いんじゃない。気持ちがついていけないだけで。
そうさせるのは君なんだけど、そんなこと気づいてるわけがない。
僕が複雑な心境でいると、ジョゼが僕の前に、エジェリーから隠すようにして立った。パタパタと扇であおぎながら嘲るような声で甲高く言う。
「あなたにご心配頂かなくとも、アンリエッタ様にはわたくしたちがついておりますわ。あなたは殿方と仲良くされるのに忙しいのでしょう? ああ、気遣うフリをする、それがあなたの手管ですのね。心にもないことを仰るくらい、殿方の気を引くのに手馴れたものですわね」
僕からジョゼの顔は見えないけど、きっとエジェリーを睨みつけてるんだと思う。エジェリーは傷ついた顔をした。
「心にもないだなんて……」
エジェリーは優しい。だから、アンリエッタのことを本気で心配してくれたんだと思う。
わかってるよ。僕にはそれが伝わったから。
でも、その時ロランがやって来たんだ。今日もタキシードに身を包んで、堂々と歩んで来る。こいつにはエジェリーしか目に入ってないってすぐにわかる。
「どうしたんだい?」
この間のこともあるからロランは余計に気にしてたんだと思う。紳士的な外見のくせに、じんわりと令嬢たちをけん制するような空気を放った。僕はそれが気に入らない。
お前が来なくても僕が止めた。なのに、お前が介入するからややこしいことになるんだ。
「い、いえ、なんでもありません」
エジェリーは誰を見るでもなく顔をそむけてうつむいた。
「なんでもないって顔じゃないよ」
そう言って、ロランは僕たちにやや厳しい目を向けた。僕はきっとジョゼたちとは比べ物にならないくらい険しい表情でロランと対峙していたと思う。
「彼女を苛めるのは止めてくれないか」
はっきりとそう言ったロランに、令嬢たちがざわつく。エジェリーもびっくりしたみたいで、パッと顔を上げた。そして――。
「ロラン様!」
ロランのタキシードの袖をくい、と引いた。白い手袋の細い指が黒地にコントラストを描く。
僕はその親しげにさえ見える仕草に心を掻き乱された。扇を持つ手が震えないようにぐ、と力を込めると、口もとを隠しながら僕はエジェリーを見据えた。
そこには愛しさの分だけ憎らしさも確かにあったんだ。
エジェリーは呆然とした。
「苛めるだなんて、心外ですわ。わたくしたちは彼女と仲良くさせて頂いているつもりでしたのに」
僕の声が、音楽の鳴り響くホールで、でもどこか静かに頭に届く。
「でも、エジェリーさんがあなたに、わたくしたちに苛められていると仰られたのなら、それはエジェリーさんがあなたの気を引きたいがためのことかも知れませんわね。もしそうでしたら、わたくしたちは悪者になって差し上げますわ」
何を言っているんだろう、僕は。
でも、止められない。
大好きな彼女だからこそ、苛立つし憎くもある。
僕はきっと、このなりに見合った女々しい人間なんだ。
エジェリーの反応が見ていられなくて、僕はさっさとその場を立ち去る。今日は早く帰ったりしない。
じっとりと威圧するようにホールの中にいた。令嬢たちも僕のそばにいてそこからエジェリーを睨んではヒソヒソ陰口を叩いていた。それをたしなめようと思えなかったのは、やっぱり嫉妬が身を焦がすからかな――。