赤い薔薇は憂鬱に咲く 15
僕がクロードと別れて屋敷へ帰宅したのは、日をまたぐギリギリのところ。そろりと応接間を覗くと、ソファーで寝酒をたしなんでいる父様がいた。ルミアと執事のクリストフがそばに立ってる。
母様は興味深々で待ってたけれど睡魔に負けたと父様が教えてくれた。
父様はお酒のせいかご機嫌で、にこにこと笑っている。最近ぽっちゃりという表現が許されるのか怪しい『でっぷり』寄りになって来たけど、貫禄がついたって言えば聞こえがいい。これでも元老院のお偉いさんだ。でも腹回りが――いやいや、今そんなこと考えてる場合じゃない。
初めて夜更かしして出歩いた僕を父様は叱るでもない。
なんて言うのかな、楽しそう。若いっていいねとでも思ってるみたいな。
「その格好、なかなか似合うじゃないか。やっぱりアンリは男の子だねぇ」
「うん、今頃気づいたとか言わないでよ」
僕がすかさず突っ込むと、父様はぽよよんと腹を揺らして笑った。
父様って大らかだよな、ほんと。
「えっと、今日は帰りが遅くなってごめんなさい」
一応謝っておくべきかと思ったんだ。
でも、父様はブランデーを傾けつつ言った。
「私はね、アンリのこともクロード殿下のことも信じているから、心配はしていなかったよ」
信じてる。……父様って何気にいつも僕が一番ほしい言葉をくれる。初めて会った日からずっと。
僕はこんないい父親の息子(?)にしてもらえて幸せだって思えた。
父様なりに僕に性別を偽らせ続けている心苦しさがあるのかな。母様は面白がっている気がしないでもないけど……。
「父様」
僕がぽつりと呼ぶと、父様はうん? と小首をかしげた。
「またそのうちに話を聴いてほしいんだけど。今度、僕の頭の整理がついたら……」
いつまでもこのままじゃ駄目だから、先を見据えた話がしたい。そうじゃなきゃ、いつまでもエジェリーを待たせておかなくちゃいけない。そんなに長くは待っていてくれないかも知れないから。
父様は少年みたいに目をキラキラさせてうなずいてくれた。
「もちろんだよ。息子の悩みを受け止めるのは父親の役目だからね」
と、茶目っ気たっぷりにウィンクまで飛ばす。
娘だと思って引き取ったのに? とか余計なことはこの際言わない。だって、父様の気持ちが嬉しいから。
「ありがとう、父様」
ほんわかとした気分で僕も笑った。
やっぱり、大好きだなぁ。ちょっとくらい太っちょでも、カッコイイ父親だと思ってるよ。
そんな僕たちのやり取りを、ルミアとクリストフは微笑んで見守っていた。
■
その次の日は大人しく家で過ごした。ルイも来なかったし平和なものだ。
僕はぼんやりと考える。
またすぐに次の社交の場があって、エジェリーに会える。アンリエッタとしてだけど、それでも顔が見られたら嬉しいんだ。
アンリエッタとしての僕と本当の僕。間近で過ごしたエジェリーなら、似すぎてるって僕の秘密に気づくかな。気づかれた場合、なんて言おうかな。
要するに、僕はエジェリーのことばっかり考えてた。心が支配されてるってこういうことなのかな。恋ってすごい。
ベッドの上のクマのぬいぐるみをわけもなく抱き締めてみる。ぐにゃ、ほわって感じでエジェリーみたいにあたたかくもなければ程よい弾力もない。エジェリーは柔らかかったな、なんて思い出して照れてると、就寝前のハーブティーをいれてくれていたルミアが生あたたかい視線で僕を見てた。
うわぁ、いるの忘れてた!
「幸せそうですわね、アンリ様」
ニコ、とルミアは優しく笑う。僕は赤面しつつうなずいた。
「うん。そうかも……」
「それはよろしゅうございました」
ルミアも僕の幸せを願ってくれている。それが伝わった。
この時の僕は本当に幸せで、正直浮かれてたんだと思う。後になってみると滑稽なくらいに。
でも、そのことには気づけないでいた。
浅はかだったんだ、僕は。
■
そうして、次の社交場はまた舞踏会だ。
年頃の男女の結婚相手を探すにはこれが一番だから。
で、僕はいつものごとくクロードとしか踊らない。最初のカドリーユって踊りは途中でパートナーが否応なしに入れ替わるから見送って、それからクロードの手を取った。
エジェリーはというと――。
「私と踊って頂けますか?」
なんて恭しく手を差し出す男たち。次の曲目、ワルツは二人きりでしっとり踊るから、目当ての令嬢と接近するチャンスなんだ。エジェリーみたいに魅力的な女の子が壁の花になんてなるわけがない。差し出された手のどれを取ればいいのか、エジェリーは心底困った風に悩んでいた。水色のドレスにティアラがよく似合っていてまるで姫君だ。
この場にいる以上、誰とも踊らないってわけにはいかない。エジェリーは一番手前の白手袋の手を取った。ええと、あいつは――リュシエンヌのイトコだったか、ハトコだったか。
それなりに整った容姿でにこりと微笑みながらエジェリーの手を握る。背が割と高くて、整った顔だけど、どっちかというと凛々しくて男らしい端整さ。要するに、僕と正反対――。
「おい、気が散ってるぞ。足踏むなよな」
なんてことをワルツを踊ってる最中にクロードにささやかれた。ひそひそとささやき合う僕たちは周りからどう見られているのか、あんまり考えないことにしよう。
「まあ、お前が気になるのは仕方ないとしても、彼女だって社交場で誰の相手もしないってわけにはいかないさ」
「それくらいわかってる」
わかってる。面白くないだけで。
僕はふとクロードに訊ねる。
「ところで、クロードはいつも僕と踊ってばかりだけど、いいのか?」
「何が?」
「本当は踊りたい令嬢がいるんじゃないのか?」
この間の馬車での会話が頭に残ってる。だからそう訊ねたんだ。
するとクロードはいつも通り皮肉に笑った。
「別に。そんなことよりも私はお前に恩を売っておきたいからな」
だから、それが怖いんだって。なんだよ、恩って……。
といいつつ、いつも世話になってしまうんだけど。
僕が構えたのがわかるのか、クロードはクスリと笑った。
「まあ、彼女が誰と踊ろうと、お前への気持ちがしっかりとしていれば大丈夫だろう?」
そうだといいんだけどな。
エジェリーはずっと僕に話しかけたそうにしてた。でも、取り巻きの令嬢たちがいるから『アンリ』のことは口に出せない。もどかしそうにしている様子も僕は嬉しかったんだけど。
体を寄せて踊る二人が気になるけど、いや、エジェリーのことを信じてる。大丈夫。
その時、僕はクロードの肩越しにルイを見つけた。誰とも踊るつもりはないのか、壁にもたれてこっちを見てた。おい、男が一人でそうやって壁際にいるのは『壁のシミ』って皮肉な呼ばれ方するんだぞ。仮にもというか、正真正銘、王子だろうが。誰か適当に誘って踊ればいいのに。
……僕としか踊りたくないとか言うなよ。言われたかないんだけど、実際そうなんだろうな。
自分を差し置いて弟とばっかり踊る僕をどういう思いで見てるんだ?
僕はさっさと愛想を尽かしてほしくてわざとやってるんだ。気づけよ。
そういう悲しそうな目をして無言で見つめてる、それが僕は一番嫌なんだ。
わかってるよ。ルイが悪いっていうなら、僕だって悪い。
傷つけ合うだけなんだ。
早くこんなの終わらせないと……。