赤い薔薇は憂鬱に咲く 13
ガランガランガランって鐘の音がバカでっかく響いた。それで僕は我に返った。
エジェリーは帽子を押えながら空を見上げ、羽ばたく白い鳩を目で追った。
「教会で結婚式が執り行われているみたいですね」
「ああ、そうなんだ」
「ここから近いですから、少し覗いてみますか?」
にこりとエジェリーが微笑みながら言った。
「うん、行こうか」
見ず知らずの人間の結婚式に興味なんてなかった。でも、エジェリーと一緒に見るってことに意味があるような気がした。
町人たちに祝福され、教会の扉の前に立つ新郎新婦。眩しい純白が二人を包んでいた。僕から見たら、あまり上質とは言えないレース。白百合のブーケを手にベールを後ろに流した新婦はそれなりに美しくはあった。ルイみたいに朴訥そうな新郎がその背中を支える。
にこやかに、領民の幸せを喜ぶエジェリー。
白いワンピースが花嫁よりもよく似合ってる。白は花嫁の色。
真っ白なエジェリーは、そう遠くないうちに誰かに嫁ぐのかな?
それは少なくとも僕じゃなくて。
そう思ったら、何かここに立ち尽くしている僕だけが陰気な存在に思えた。少しも楽しくない。
居たたまれなくなって、僕はとっさにエジェリーの手を引いて駆け出した。
「え? あ、アンリ様?」
なんだろう、結婚式から花嫁をさらうみたいな気分だった。
随分走って、町の中心から外れた。建物が減り、緑だけが目に入る。町外れの木のそばで、エジェリーの帽子が風に飛ばされた。
「あ!」
エジェリーは他の令嬢たちに比べると体力がある。それでも息を弾ませて疲れている風で、僕はエジェリーの手を離すと帽子を追いかけた。そんなに遠くへ飛んではない。すぐに追いついた。
その帽子を息を整えるエジェリーに差し出す。今になって少し申し訳ないような気持ちになった。
「ど、どうされたの、ですか?」
苦しそうに僕に問うエジェリーに、僕はボソリと言った。
「ほら、結婚式に白い服で参列しちゃ駄目だっていうから、さ」
ひどい言い訳。でも、エジェリーは素直だから驚いていた。
「ああ、うっかりしていました!」
疑わない。僕は余計に複雑な心境だった。
「……少しそこで休もうか」
僕はそう提案し、エジェリーの手を再び引いて木のそばへ腰を下ろした。令嬢が地べたに座り込んだりしないかなとも思ったけど、エジェリーはやっぱり他とは違う。ためらう仕草も見せずに僕の隣に腰を下ろした。エジェリーが帽子を脱いで膝に置くと、ふわりと甘い香りがした。
ドクドクと心臓がうるさいのは、走ったせいだけじゃない。
「でも、花嫁さんがとっても綺麗で素敵な二人でしたね」
屈託なくそんなことを言う。花嫁、綺麗だったかな? 隣にエジェリーがいるから、もう顔も思い出せない。
「エジェリーの方が綺麗だと思うよ」
ほとんど無意識にそれを言った。『アンリエッタ』や他の令嬢たちはそんな言葉は聞き飽きている。にっこり微笑んでありがとうって受け止めるんだ。
でも、エジェリーはそんな他愛ない賛辞にも過敏に反応を示す。
「そんな、とんでもないです」
恥ずかしそうにかぶりを振る。サラリと金髪が零れるように滑らかに動いて、細く白い首筋が僕の目に飛び込んだ。そこに視線が行くことを避けるようにして僕はあえてエジェリーの目を見た。
エジェリーの方が戸惑っている。ほてった頬を両手で包むと、エジェリーは僕から目をそらしてうつむいた。
「アンリ様のようにお綺麗な方を前にしたら、私なんて……」
僕のことはこの際いいんだって。何かちょっとフクザツ。
「エジェリーが綺麗なのは事実だよ。でも、それ以上に気取ってないところがいいな」
「え?」
「僕もアンリエッタも所詮は孤児だからね。上流階級の人間には溶け込めない部分が心の中にどうしてもある。だからエジェリーの穏やかさが僕には嬉しい」
それは本音だった。でも、そういうことを言うのは反則だったかも。
エジェリーみたいに優しい女の子は僕の幼少期に根を張る孤独を憐れんだのかも知れない。実際は優しすぎるくらいの両親い引き取られてから孤独なんて感じてないのにね。
さっきまでは保っていた少しの距離を詰めるようにしてエジェリーが膝を僕に向けた。
「私も社交場では息苦しさを感じてしまいますから、同じですね。私でお役に立てることがあるのなら、ぜひ仰って下さい」
真剣なまなざしが僕に向く。その青く澄んだ瞳に僕は吸い寄せられるみたいに鼓動が速まった。
「わたし、妹たちと数日離れるだけで寂しいと思ってしまいます。だから、離れ離れのお二人のお気持ちを思うと――」
今にも零れそうな涙は演技なんかじゃないと思う。
う、嘘なんだってば、ほんとごめん。
その綺麗な心に触れて、僕は駄目だと思う暇もなくエジェリーの華奢な手を取っていた。
さすがにエジェリーはびっくりしたみたいだったけど、振り払われなかった。嫌悪感は抱かれていない。僕はそれを願った。
そうして、ぽつりとささやく。
「ありがとう」
キュッと手を握り締めると、エジェリーは嬉しそうに笑った。少なくとも僕にはそう見えた。深い意味はないのかも知れないけど。
ここで歯止めが利かなかったのは、次にこうしていつ男の姿で会えるのかがわからないと思ってしまったからかな。アンリエッタではエジェリーにこういう触れ方はできない。異性として意識してもらえない。
後から考えると、今日一日の僕の行動は異常だった。性急にもほどがある。
空いているもう一方の手が、エジェリーの腰を引き寄せる。顔と顔が近づいたけれど、エジェリーは驚いてとっさに僕の胸に顔を向けた。
「あ、あのっ」
緊張して震える肩に愛しさが募る。僕はそのままエジェリーを抱き締めた。
僕とは違う柔らかな体だ。その柔らかさに僕は頭の芯が痺れるみたいな感覚がした。
でもここで黙っちゃいけない。僕はなんとかして口を開いた。
「今日会ったばかりで君を好きになったなんて信じてもらえないかも知れないけど、事実そうなんだ」
「アンリ様……?」
戸惑いがちに僕を呼ぶ。通行人はいない。いても気づかなかっただけかも知れない。それくらい僕は周りが見えてなかった気がする。
「こうして頻繁に会うことは難しいけれど、いつかは君を迎えに来てもいいかな?」
それは無責任な約束だった。
僕の置かれている状況の難しさをどうしたらいいのか、まるで抜け道が見えないくせにそんなことを言ってしまった。僕はどうしようもなく焦ってたんだ。
魅力的なエジェリーには今後たくさんの男たちが寄って来る。でも僕はアンリエッタで、エジェリーに言い寄ることもできない。
だから、誰よりも先に約束で縛りたかったんだ。身勝手だって思う。でも、それでも、僕はエジェリーを諦めきれない。
「本気で仰っているのですか?」
エジェリーがおずおずと腕の中から僕を見上げる。
「うん、駄目だろうか?」
その言葉の中に苦いものが滲まないように努めた。エジェリーは戸惑いながら、それでも誠実な答えを返してくれた。
「あの、今日出会ったばかりで私は戸惑いの方が大きいのですが、その……そう感じて頂けることは嬉しいです。私がアンリ様に相応しいとは思いませんし、私を必要として下さるのならまだ約束はできませんが前向きに考えます」
僕は自分の中の衝動と戦い、結果としてエジェリーの額にキスをした。
エジェリーはそれでも顔を真っ赤に染めた。