赤い薔薇は憂鬱に咲く 1
悪役令嬢→なんらかの理由で『意地悪な令嬢』を演じる、という認識です。
何か違うような気もして来ましたが……(ぐるぐる)
「――あなた、この子にしましょうよ」
後に僕の母親となる女性がそう言った。
このひと言が僕の人生を変えたんだ。
僕は生まれてすぐ汚いボロに包まれて孤児院の前に置き去りにされていたらしい。よくある話だ。
ほんとによくある。だから、孤児院は常に定員オーバー。子供たちの引き取り手大募集。
そりゃあもう、カワイソウな子供たちを見学に来る夫婦は多いんだ。
でも、子供を引き取ろうかっていう家庭は大抵裕福な商人や貴族だ。孤児院の山猿みたいな子供を見て顔を引きつらせるのがオチだったりする。一応、最低限度の教育は受けてるんだけど、個人差はあるからね。
やっぱり見栄えのする子供は有利だ。小さいうちなら更なる教育も可能だし。
で、この僕だ。
身なりはその他と変わりなくコギタナイ。
けどさ、顔はまあよかったんだ。ボサボサに伸ばしっぱなしの黒髪がちょっとうっとうしいけど。
まだ六歳だった。自分で言うのもなんだけど結構お買い得だったはず。
ほんわかした雰囲気の背の低い夫婦に僕は庭の向こう側からにっこり笑ってやった。あの夫婦なら変に折檻されることもなく過ごせそうだし、精一杯コビを売ったんだ。
このままここにいたって仕方ないし、ある程度育ったら自分の食費は自分で稼げって放り出されるのはわかってたから、それまでに孤児っていう自分のラベルを貼り変えておきたかった。
孤児院って聞いただけで町のパン屋もすんごい嫌な顔をするんだから。
「あなた、この子にしましょうよ」
美人っていうより可愛いタイプ。優しそうな夫人。白に近いくらいの金髪に上品な帽子をちょこんと乗せてる。
「イングリッド、君がそうしたいのなら構わないよ」
愛妻家の紳士。ちょっとぽっちゃり。でもその丸いフォルムが穏やかそうだ。
イングリッドさんとやらは少女みたいに手袋の手を組み合わせてクネクネと喜んだ。
「嬉しい!」
そうして二人は柵の向こう側の僕に近づいて来た。そうして、僕と目線を合わせるように身を屈ませる。
「えっと、私たちは君のお父さんとお母さんになりたいんだけど、なってもいいかな?」
ぽっちゃり紳士の言葉に、僕は内心でガッツポーズをした。でもそんな品のないことしたら台無しになるから、表向きは笑って元気にうなずいただけ。
「はい。よろしくおねがいします。おとうさん、おかあさん」
しっかりと挨拶をする僕に二人は感激していた。これくらいできるっつの。のーみそユルいな。
でもまあ、これで僕はこの孤児院とオサラバだ。
いやぁ、育ててもらった恩くらいあるよ。あるんだけどさ、ここに埋もれて過ごすのはマッピラ。
孤児院としても養わなきゃいけない子供が減って助かるし、どっちにとってもいい話だよ。うん。
えっと、僕はアンリ。アンリ・プレイスウェイト。
プレイスウェイト孤児院の子供のファミリーネームはみんな一緒。でも、僕はこの日からアンリ・ファイアルレームになった。なったはずだった。
ユルいほのぼの夫婦はすぐさま院長先生に僕を引き取りたいって交渉してた。即日とはせっかちな。
おばあちゃんな院長先生は驚きつつも大喜びで僕を送り出した。最後にギュって抱き締めてくれた院長先生の目尻のしわが涙に濡れたのを、僕はなるべく見ないようにした。院長先生は嫌いじゃなかったから。
しかし、僕はこの夫婦が何者なんだか、この時点ではさっぱりわかってなかった。そこがやっぱり子供だったんだ。
正体を知った時、アゴが外れそうだった。
国内で指折りの大貴族、ファイアルレーム公爵とその夫人だってピカピカの馬車の中で教えられた。この夫人、元王女様だって言うから顔が引きつる。現王太子……つまり次の王様の妹らしい。
底辺からロイヤルへ。僕の境遇は雲を越えた。
馬車は途中で停車したかと思うと、夫人は侍女と一緒に降りた。僕の服を買いに行ったらしい。箱を数箱だけ持って戻って、後は屋敷に届けてもらうって言ってた。あんまりピラピラした服は嫌だな。なんて贅沢も言ってられないけど。
僕はこの侯爵家の跡取りとして引き取られたわけだ。行く行くは公爵様?
そんな夢みたいな話ってあるのかなあ?
とにかく、僕はこのほんわか夫婦の機嫌を損ねないようにこれからイイコで過ごさなくちゃいけない。
それだけは確かなんだ。
■
ただ、この後だ。
この後、そりゃあもう孤児院とは別次元のゼイタクなお屋敷に到着して、ここがあなたのお家よ、なんて言われて呆けてた僕は、そのまま浴室に連れて行かれた。要するに小汚かったんだよな。
で、公爵夫人のお母さんは赤い絨毯の上で僕の手を取った。
「私はこれからお母さんになるんだから、私が湯浴みをさせてあげるわね」
嬉しそうなところに、それくらい一人で入れますとは言えず、僕は静かにうなずいた。侍女たちが不安そうにしてるのは、本来貴族の奥様はそういうことしないからなんじゃないかな。
まあ、僕とコミュニケーションを取ろうとしてくれてるんだ。そう思うことにした。
何やらツルッツルの床をした、ここはどこだと言いたくなるようなだだっ広い部屋の中、僕の擦り切れたボロい服にお母さんの手が伸びる。
ボタンを外すのに尋常じゃなく手間取ってたけど、僕は辛抱強く待った。そうして、やっとシャツが脱がされて、お母さんはシャツを立派なカゴに置いた。そんな豪華なカゴに入れたらシャツが惨めだ。
そうして、ズボンとパンツを同時に下ろした瞬間だった。お母さんの目が点になった。
僕は素っ裸で母さんが衝撃から回復するのを待った。
お母さんは貴婦人とは思えない大声でお父さんを呼んだ。
「あなた、あなた、ちょっと来て下さい!!」
びっくりしたのはお父さんだ。いや、僕もだけど。
「どうしたんだね!?」
扉をバーンと全開して駆け込んで来た。使用人の人たちもざわついてる。
そんなお父さんに、お母さんは言った。
「あなた、この子男の子ですよ!」
「ええっ!!」
「……」
なんだろう、この展開。
この夫婦、まさか僕が女の子だと思って引き取った?
そりゃ、よく女の子に間違われたけど、ここで間違われるか?
「どうりでアンリって男性名なはずだ」
じゃあそこで気づけよ。
――この展開ってもしかしてピンチ? 僕、返品されるの?
サーと青ざめた僕の前で公爵夫婦は大爆笑した。
「やだあなたったらどうして気づかなかったの?」
「イングリッドこそ。こんな可愛い顔じゃ女の子にしか見えないから誰でも間違うよ」
上流階級の人々ってこんな腹抱えてゲラゲラ笑うわけ?
しかもそこ、笑うとこ?
目尻の涙を拭き取りながらお父さんは言った。
「公爵家の跡目は甥っ子に譲るつもりしてるし、女の子の方が華やかでいいねって話してたのに、どうしようか? みんなに養女をもらうって言ってしまったねぇ」
「私もドレスばっかり買ってしまったわ」
そうしてまたゲラゲラ笑う。
能天気な夫婦め……。
素っ裸の僕がクシュンクシュンとくしゃみをしたら、二人は笑うのを止めた。
「ああ、風邪でもひいたら大変だ。とりあえずあたためてあげなさい」
「はい、あなた」
――というわけで、そのままお母さんがたどたどしい手つきで僕を洗ってくれた。その代わり、お母さんはドレスを水浸しにして後日風邪をひいた。
で、僕が浴室から出て着せてもらった服といえば、真っ白でフリッフリの――ドレスだ。
「ごめんね、今日だけ我慢してね」
なんて楽しそうに言われた。
屈辱以外の何物でもない。けど、ここで機嫌を損ねたら孤児院へ返品される。
ここは我慢だ。僕はこくりとうなずいた。