第1話
眼下に広がるのは、クリスマス用に着飾った街の夜景。
街を歩く、しあわせそうな人々の貌も、にぎわう声も、ここまでは聞こえてこない。
星の視えない夜空の下、凍てつく風が吹き抜けてゆく。
灰色の風が、彼女の長い髪をゆらした。
さきほどから、彼女は一言もしゃべらず、眼下に広がる夜景を見下ろしている。
ぼくたちがいるこの高台には、クリスマスツリーの代わりに、寂しげな針葉樹の林と、木でつくられたベンチがいくつかあるだけだ。辺りを見回しても誰もいない。
展望台の手摺に手をのせる、彼女の華奢な後ろ姿を、ぼくが黙ったまま見つめていると、また、風が吹き、彼女の髪をゆらした。呼吸をすれば痛みを覚えるほど今夜は寒く、耳の奥がキン、とする。もしかしたら雪がふるのかもしれない。
「きれいね」
ふりむかず、囁くような声で彼女はいった。彼女の吐く白い息が夜の闇に溶け、消えてゆく。
透明で、いまにも消えそうな声。けれども、あたたかくて、凛とした強さを感じさせる声。
ぼくの好きな――音。
「そんなところに立ってないで、こっちに来て。いっしょに見ましょう」
こんどは振り返って彼女はいった。
はにかむようにほほ笑む彼女。ぼくはその隣に木偶人形のように立って、正面を見つめた。
「もう、一年かぁ。早いね。あっという間だったね……。あなたと過ごした一年、ほんとうに楽しかった……楽しかったな」
ほんとうよ、といって彼女はぼくの顔をのぞきこみ、
「……そんな顔しないで……」
眉尻を下げ困ったように笑う。
いま、ぼくはどんな貌をしているのだろう? 笑っているのだろうか。怒っているのだろうか。泣いているのだろうか。どれでもないような気がするし、そのすべての表情をひとつにしたような貌をしている気もする。まあ、ろくでもない貌をしているはまちがいないだろう。
「ねえ。はじめて逢ったとき、わたしがいったこと嘘だとおもった?」
あのときと同じように、冗談でもいうような口調で訊かれ、ぼくが首を横にふると、
「そっか。そうだよね……あなたはそういうひと」
彼女はうれしそうに笑って手袋をはずすし、ぼくの手をほそい両手でそっとつつみこんだ。
ぼくはいつのまにか手が白くなるほど強く握りしめていたらしい。彼女はその手をほぐすように、そっと、つつみこんでくれた。互いに冷えきっていたけれど、彼女の手はあたたかく感じられた。それは泣きたくなるようなあたたかさだった。
もう、なにもいわなくていいっ……。
「わたし……明日」
お願いします。
「ほんとうに」
誰か!
「死んじゃうのね」
時間を止めて……!!
頭の中が真っ白に燃え上がるほど、ぼくは必死に願った。けれど、時間は、止まらない。
願いはどこにもとどかず虚しく消えてゆく。
彼女は夢のようにはかなくほほ笑むと、ぼくの胸に頭を軽くおしあて、耳をすました。
まるで、ぼくが生きているのをたしかめるように、眸を閉じて、じっと鼓動を聴いている。
彼女のきれいな髪。
彼女の香り。
彼女の息遣い。
彼女のぬくもり。
ぼくはいま、ぼくの全てで、彼女を感じている。こんなにも感じている。でも、足りない。ぜんぜん足りないんだ。ぼくはもっと! ずっと! 彼女を感じていたい、いっしょに生きていたい……。
なのに、一年。たったの一年しかいっしょにいられないなんて、そんなのあんまりじゃないか……。
彼女が嘘つきだったらよかったのに。




