人狩り
くすぶる炎と立ち上る煙。呻く声と、懇願の叫び。
血にまみれた天幕は元の形を保てているものの方が少ない。
天幕といっても解らが行軍の時にしくそれとは違い、動物の骨で枠組みを作ったものだ。それが至る所で炭になっているのが見受けられ、昨夜の炎の激しさを思い出した。幸い、こちらは軽い火傷をした兵士は数名だった。馬は全くのぶじだ。鍛えられた軍馬は主人の命とあらば、火など恐るるに足りずとばかり飛び込むものだ。馬の首筋を軽く叩き、解は傍らをみて「楽菅」と配下の名前を呼んだ。歩いていても馬に乗った解と並ぶほどの長身の男である。「は」と声を返した影に、「どれほど獲れたか」と解は尋ねた。
「五十ほどでございます」
「充分足りるな。手に穴を開け、縄で繋いでおくように伝えろ」解は捕虜を集めてある方に顎をしゃくった。楽菅は、深々と頭を垂れ、素早く立ち去った。40を過ぎてなお鈍重さとは無縁の従者の背中を見送り、解はゆっくりと馬を進め、出来るだけ着くのを遅らせる。それでも近づくにつれ喧騒が言葉の体をなし始めた時、楽菅が戻ってきた。
「どうした」
珍しく、この従者は無表情を崩し、「解様、兄上様が…」と苦みが含まれた言葉を「わかった」と遮る。軽く小突いて、馬の足を早める。視界が開けた。まず見えたのは、兵士に囲まれている、毛皮の服の集団。女子供が多く、男は老いも若きも少ない。一様に怯えた蛮族どもの、その近くで親しげに手を挙げるものがいた。「やあ、解」と笑顔を浮かべた男の足元に、馬から降りた解は跪拝した。
「どういたしましたか、漣様」
「そうしゃちほこばらないでくれ」と、漣が頭を上から声をかける。
解は兄の顔を伺った。柔らかい口調は、腹違いの兄の生まれながらに持つものだ。しかも、その声には強い芯がある。鱗の生え揃いもよく、歯の手入れにも気を配った顔に浮かべるのは完璧な笑み。
ー嫌なものだな。と解は内心顔を歪めた。本妻の子供であるこの兄と、妾の子である解は待遇に天と地の差があり、おのずと兄の前ではこうべを垂れるほかない。それを当然と思っているからの声である。恐らくは、この親しみも。「そういうわけには参りませぬ。私は妾の子でありますゆえ」
「そんなことを言わないでおくれ。片親とはいえ血はつながっているし、我々は家族ではないか」
さすがに解は、むっとした。黙って顔を上げ、兄が再び微笑むのを待ち、息を微かに吐いて立ち上がった。「ありがとうございます」解は、服についた土も払わなかった。兄の目には憐れみと弱者に向ける愛情が含まれていた。望むとおりに振る舞うことを期待しているのだから、そうするべきだと思われた。
「して、兄上。どうしたというのでしょう」
解がそういうと、兄はまるでそれが賛辞の言葉であるように頷いて見せる。「今回の収穫だがな」
「はあ」
「女子供が多いな」口調に硬さがあった。
「首なら男どものもあります」と、楽菅を呼びつけようとする解を兄は慌てた様子で止める。「いい、それより私が言いたいのはあれらのことだ」漣は兵士に囲まれた毛皮の群れを指差した。解はたちまち理解した。其れ程に付き合いが長いと言える。不幸なことに、理解は漣の主張に対する理解ではない。諦めの理解である。「虜を解く、と?」
「そうだ。まだ子供もいる。幼いものを殺すのは、天の教えに背く」
「蛮族です」固まって震え、なおこちらを睨みつける蛮族の子供をみた解は、そうは思えない。鉞でその親の首をはねた解には、子供はこちらに剣を向ける野卑な蛮族のかつての姿だ。わかっていながら、なぜそういうことをいうのであろう。未だ理解できないこちらに対して「だが子供だ」と、言い聞かせるかのように、漣は辛抱強い。「いづれ剣を取り、我らを襲います。今回も人を殺し、さらい、家畜を奪って喰らったのです」
「ならば、奴隷にしてはどうか」漣はひかない。
「その価値がある、というのですか」と、解ははっきりといった。奥歯に、ものが挟まった言い方はしたくなかった。
兄の考えはわかっている。
「そうだ」と、漣はきっぱりと言い切る。その迷いのない目が解の心をかき乱した。漣は、自分の願いが叶わなかったことなど数えるほどしかないのに違いなく、そうと信じて疑わずにいる。それが、解にはわかっただけに、羨ましく、妬ましく思われてならない。
「わかりました」と解は顔を苦笑の形にして、「兄上のおっしゃるとおりにいたしましょう」と、目で楽菅の胸を押し返した。不忠を覚悟で、割って入ろうとした従者の足が止まり、その足取りは、重くなったように見えた。こちらにはそれ以上感謝も何も必要がないといった風情で「では、繋げ」と兄は笑顔で兵士達を仕事に取り掛からせていた。
「子と親は引き離し、手には穴を開けて繋げよ」と兄は変わらぬ笑顔でいう。兵士は、慣れた手つきで親から子を取り上げ、悲鳴が上がる。解は、全く心を動かされもしなかった。光景を見ているうちに、やらなければならないことを思い出す。呼びつけた楽菅に、引き上げる用意をしておくように伝えた。
「解様、してどうなりましたか」と楽菅が囁く。「蛮族の子は奴隷にすることになった」といい、その他細々したことを伝え終わり、楽菅が去るとにわかにあたりが騒がしくなり始めた。