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炎だ。

戝の前には炎があった。

目をつく赤が乾いた草を貪欲に飲み込み、白い煙は、草も木もその腹のうちに隠すほどに広がっていた。

悲鳴と怒声は、後ろから追いかけてくるのか前から迫ってくるのか。絶叫と懇願と罵声の三重奏がここにはあった。逃げなければならない。と考えるまでもなく体が動く。

甘く、かな臭い匂いが煙で燻された鼻にも届く。血の匂いだ。

身をかがめ、息を止めて戝は、かけた。冬の草原は熱気を孕んで、熱風を押し当てる。圧迫され、かすれた息が自分の耳にも届き、肌が焼け、熱がまじかにあった。振り返りも止まりもしなかった。左右を見ることなく、ひたすらに炎の海を走り抜けた。だが、戝は熱いとも感じなかった。白い視界を破って火の粉が待っている。その中に飛び込んで行くのに、家族も友も棄てて行くのに、不思議に感傷はなかった。炎がもたらす恐怖に心が呑まれ、動き続けることだけに集中する。足がすくみ、こわばる。靴は炎に巻かれすでに煙を出し始めている。

視界が狭まり、白煙がうねり、肺の中に入り込もうとする一方で、炎は戝を掴み、その口の中に引きずり込もうとする。間一髪、すり抜けてとにかく力のかぎり足を動かし、破裂しそうな心臓を押さえ、気づけば戝は炎の後ろにあった。耳の音でどくどくと脈打つ心拍だけが、戝に自身の生を実感させるのである。

一瞬にして顔をなぶっていた熱は、遠のいた。息を吸い込もうとしてむせ、咳き込みやっとのことでほっと一息ついてみれば、自分の肉や髪が燃えて煙がくすぶり、嫌な匂いを発していた。じりじりと白い煙が迫ってきている。咳き込みながら、戝はふらつく足で再びかけ始めた。

他に、助かった仲間がいるとは思えなかった。誰かを助けるために戻ろうともしなかった。炎と煙は人をたやすく殺すと、教えてくれたのは母だ。火を避けても煙を吸い込めば死に至る。生き延びたというにはまだ確証もない。10余の子供が考え他所でどうにかなるものではない。

痛む頭は、ただ一つ、警告を告げている。

逃げなければならない。さもなければ殺される。

腹に力を込め、歯を食いしばった戝の頭に浮かんだのは、喉から血を吹き出す父母と、馬の蹄に頭を踏み砕かれる弟、友が斬り殺され、ぼろきれのように地面に転がる。手が冷たい。冷たすぎるから、体がくすぶっているのに痛くないのか。

走れ。走れ。捕まるな。地面を踏みしめろ。

笑い声がいくら逃げても頭の奥で鳴り響いていた。







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