エピローグ
青空から雨が降り注ぐ。
夏の通り雨は、海人の傘に当たって、ぱらぱらと音をたてた。
海人はフェンスごしに、高校のプールに落ちる雨を見ていた。夏の日差しを反射して、黄金に輝く水面に無数の波紋が広がる。
町を襲った洪水から三年がたっている。
もう海人はあの町にいない。洪水の被害にあった大半の人達同様、海人も家族とともに別の街へと移った。
新しい街、新しい学校。新しい友達。新しい生活。
時があの日の出来事を過去に押し流してゆく。
けれどこんな雨の日には、あの日の記憶が鮮明に蘇る。
激流に飲み込まれた海人が次に目を覚ました時、そこは白い病室のベットの上だった。後になって聞いたことだが、海人が発見されたのは学校の廊下だったという。その時海人は危険な状態だったらしい。
あれ以来夏希にも会っていない。
発見されたのは海人だけだった。
他の病院にも夏希という少女は収容されていなかった。退院後夏希を探したが、死亡者リストにも、それどころかあの町に夏希が住んでいたという記録さえ見つからなかった。夏希は生存者は海人以外いないと言ったが、助かった人達もたくさんいた。あの洞窟も結局見つける事はできなかった。
すべて夢物語だったのだろうか。
けれど海人の右手は、夏希の手の温もりを覚えている。
自分は誰なのか。それはまだ分からない。
夏希と会ってそれが少し分かった気がしたが、夏希に会えなくなって、ふりだしに戻った気がする。夏希がいない今、それでも海人は友達と笑い会ったり、美しいものに感動したり、日々の喜びを感じる事ができる。
けれどだからといってあの時、夏希をなくてはならない存在だと感じた事を、偽りや一時的な昂ぶりだとは思わない。きっとどちらも本当の自分なんだろう。
通り雨がどこか微かに甘い夏の匂いを運んできた。
そういえばあの水を見る事も、もうなかった。
『水と私は同じ存在』
夏希はそう言っていた。
なら夏希がいない今、あの水を見なくなった事も何の不思議もないのかもしれない。夏希は水と自分を葉っぱの裏表だとも言っていたが、それなら夏希とあの水は元々どんな存在だったのだろう。それも疑問に残っている事だ。
多くの分からない事が残っている。けれどそれらもまた街の雑踏の中に埋もれていく。
『時が全て洗い流してくれる』
あの夏希の言葉は正しかったのかもしれない。
けれど夏希は最後に自分を忘れないで欲しいと言った。
時が全て洗い流し、去ってゆくと分かっていても、それでも忘れないで欲しいと言った。
海人だって同じだ。それでも忘れたくないものがある。時の流れがどうだろうと忘れたくないものがある。
きっと誰だってそうだろう。
海人は歩き出した。
晴れ空に降る雨はもしかしたらこの後、虹を見せてくれるかもしれない。
自分は誰なのか。
それは自分で決めるのだと夏希は言った。
けれどやっぱり海人は夏希に言って欲しい。自分は誰なのかという事を。
そして伝えたい。夏希が海人のために生きていると言った様に、海人も夏希のために生きていると。それが愛や恋とは違っても、それでも伝えたい。
僕は君のために生きているのだと。
結局、全てを解決する方法は一つしかない。
あの少女を探すのだ。
何の手がかりもないけれど、やるしかない。だから海人はこの人生を前に向かって歩こうと思う。
相変わらず運動も勉強もできない自分がいる。
納得のできないことや、憂鬱なニュースが溢れている。
けれど少しだけ考え込むのをやめて、前に向かって歩くのだ。
そうすればまた会える気がする。
時の流れも、河の水の流れも、前に向かって流れるのだから。
きっと前に向かって歩けばいつか夏希に会えると思った。
例えばほら、こんな雨の日に。
あの日と同じ様に。
「海人」
そう言って夏希が現れる。
そんな気がした。
後書き
10年以上前に原稿用紙50枚の条件でカナダで書いた短編です。
投稿していたサイトが無くなっちゃったので、ここで再掲載させていただきました。
当時は異国の地ということもあり、大学ノートに下書きして、トロント大学の図書館に侵入(合法)かつ居座(迷惑)って清書し、投稿した思い出があります。
自分のテイストと違う作品なのでウンウン悩んでプロットを立てた思い出があります。
某サイトで発表したのですが、そこでの評価は散々でした。総評すれば「中二も大概にしろ」って感じでした。小説投稿初心者ということ、難産の末の酷評ということでかなり凹んだのですが、今読み返してみると、嫌いじゃないよ? 馬鹿な子ほど可愛いという意味でなく、自分で書いたものですが嫌いじゃないです。ええ、ほんと、マジでまじで。
いつも小説を書くときはテーマソングを決めているのですが、この『水天』のテーマは加藤登紀子さんの島唄でした。他にもミスチルやSteady & Co.なども聞きましたが。
愚作ながら、最後まで読んで下さりありがとうございました。