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水天  作者: 豆腐小僧
3/4

後編






       (7)


 夏希は二時間ほどで動ける様になった。普通それは考えられない事だったが、海人はもう気にしなかった。

 二人がダムに辿り着いたのはそれから更に数時間後。日の高さから正午に近いのが分かる。


「ここが水の生まれた場所?」

 海人は何の異常も見えなかった事が意外に思えた。町を多い尽くした洪水の生まれた場所とは思えないほど静まり返っている。


「正確にはあそこ」

 夏希がフェンスに区切られた地下施設への階段を指差す。


「じゃあ、ここで別れましょ」

 あまりに突然で、自然に口にした夏希の言葉を、海人は理解できなかった。


「え?」


「もうここまでくれば大丈夫だから、海人はこの茂みに隠れてて」

「なに言ってるんだ。一緒に行くよ」

 その言葉に、夏希は首を横に振った。


「ここからは私一人にしかできないことだから。大丈夫、すぐに終わるわ。だからここにいて」

 海人に反論する隙を与えずに、それだけを言うと、夏希はダム施設に向かって走っていった。


 茂みに残された海人は、暫く言うとおり隠れていた。だがやはり気持ちを抑えられずに、茂みを出てダム施設へ向かった。


 地下への階段に夏希の姿はない。

 建物の向こうに貯水用の湖が見える。放水は止まっているのだろう。施設は静まり返っていた。


「隠れててって言ったじゃない」

 振り返ると夏希がいた。どこで手に入れたのかボロ布を手にしていた。眉をよせ非難するような目で海人を見ている。

「ごめん。でもやっぱりついていくよ」


「だめっ」

 強い調子で夏希が否定した。


「どうしてっ」

 海人の語気も強まる。だが夏希は質問には答えなかった。持っていたボロ布をフェンスの上の有刺鉄線に被せる。そして再び海人に向き直った。


「もうすぐ全て終わるわ。私がきっと元の生活に戻してみせるから。だから一人で行かせて」

 夏希は軽やかな動きでフェンスを乗り越えた。そのまま階段を下りていこうとしたが、立ち止まり、躊躇った後に海人の方へ歩み寄った。フェンスを挟んで二人が向き合う。夏希は真直ぐ海人を見つめた。


「ねえ海人。あなたは自分が誰なのか、何のために生まれてきたのか知りたがってるけど、人の生まれてきたことに意味なんてないよ。自分が誰で、何のために生まれてきたのかは自分で決めるの。その為に必要なものを人は全て持ってるわ。生も死も、美しさと醜さ、恐怖や勇気。海人に足りないものなんてなにもない。それを忘れないでね」


 それは別れの言葉の様に聞こえた。

 夏希は海人の方を向いたまま、二、三歩下がり、そして階段へと姿を消した。


 何かおかしい。


 海人は釈然としないものを感じていた。夏希が海人を騙そうとしているとは思わない。だが何かを隠している。それは確かだ。海人は当ても無く歩き出した。そのほうが、考えが上手く浮かぶような気がしたからだ。


 何かを隠している。

 いや違う。

 それは海人の違和感を正確には表してはいない様に思えた。何かを海人に見せないようにしている。似ているがそのほうがしっくりくるように思えた。


 何を?


 海人はダム施設の正門の近くまで戻ってきていた。

 二人がここに来たのは、水を治めるためだ。

 夏希の言葉が蘇る。


『水を治めるには正反対のものが必要なの』


 具体的にはどうすると言った? 海人は記憶の糸を手繰った。すぐ傍の石碑に何気なく目をやりながら、更に記憶の糸を探る。次に正門に目を向けた。


 あれ?


 先程とは比べ物にならない強い違和感があった。

 正門を更に見つめる。違う。


 石碑に目を戻す。動悸が早まった。

 その四角い石版形の石碑はダム施設完成の記念碑だった。

 最初に町が昔、洪水に悩まされていた事が書いてあった。ここじゃない。海人は記述の後半に目を向けた。ダム施設についての説明がある。違う。はやる気持ちを必死に抑えて、最初から目を通す。


そして見つけた。


『昔は洪水を治める為に、若い娘を人柱に使った』

 その文を見つけた瞬間、記憶の糸がつながった。


『昔、どうやって洪水を治めたか知ってる?』





       (8)


 海人は夏希を追って地下施設へ入った。


 B1を粗方探した後、B2に降りる。

 B2は停電しているのか、暗闇に包まれていた。


 海人は階段に近い、扉の開いているへ入った。その部屋は変電施設の様だった。今は故障していて、停止しているのだろう。

 時々、パチパチッと火花の音がするだけで、静まりかえっている。


「風が吹いてる?」

海人は、頬に微かに風を感じながら、部屋の奥へと向かった。時々はじける小さな火花を頼りに、歩みを進める。部屋の一番奥間で行くと、コンクリートに覆われている筈の床に、土が盛っているのが見えた。


 近づいて確かめると、それは大きな穴だった。


 コンクリートを突き破り更に下へ続いている。

 風はこの穴から吹いていた。


 下に降りるかどうか迷ったが、海人は意を決して、降りてみる事にした。

 確かに怪しかったが、それが正解を現している様に思えたからだ。

 手を着くと土は少し湿っていた。


 穴を降る。

 パラパラと土が頭にかかる。ほんの二、三m程で別の場所に出た。

 

 そこは大きな洞穴だった。穴から体を降ろして見まわす。


 高さ、幅、共に七、八mはあるだろうか。ダム施設の一部に出たのかと思ったが、それにしてはただ掘っただけの様に見える。

 傾斜があり、坂を見上げれば遠くに光が見えた。洞窟の出口だろう。


 海人は反対を向いて坂を下り始めた。すぐに光は届かなくなって、闇に包まれた。

 地下深くへ下りてゆく。その感覚だけがあった。時間の感覚も、どれくらい歩いたかも分からない。


 何時間も歩いた気がするし、そうでない気もする。ただ下りてゆく。闇の黒一色の視界が延々と続く。


 突然、立ち眩みがして海人は立ち止まった。

 何故だろう。

 今までの疲れが出てきたのだろうか。そういえば昨日からまともに休んでいない。そのためだろう。


 そう思って海人は更に深く、坂を下っていった。やがて微かに水の匂いがしたかと思うと、蒼い光が見えた。

 坂の終わりにたどり着いたのだ。 

 海人は目の前の光景に息を呑んだ。


 そこは巨大な空間だった。


 二百m程先の壁に高さ百mはあろうかという巨大な水の円鏡がある。

 蒼い光はその円鏡から放たれていた。その他の空間の幅や天井がどれくらいあるかは光が届いていないので分からない。永遠に続いている様にも見える。大聖堂にいる様な神秘的な空気が漂っていた。威圧する様な水の円鏡に向かって、海人は駆け出した。人影を見つけたからだ。


「夏希!」


紛れもない。彼女はそこに立っていた。





       (9)


 夏希が立っていたのは円鏡の前の、一段高くなった部分だ。

 まるで祭壇の様なその舞台に、巨大な円鏡とは別の、姿見程の銀の鏡が置かれている。


「どうして来たの」


 海人の心が読める夏希の事だ。どうして海人が来たかは分かっているだろう。

 夏希の静かな口調がそれを物語っている。海人は視線を自分の足元に落とした。


「どうして……」

 それ以上言葉が出てこない。


「どうして人柱になるのか?」

夏希が言葉を引き継いだ。

「水を元の姿に戻すため……それに」

 夏希は銀の鏡を見て、それから海人に視線を戻した。


「それに正確には人柱とは言わないわ。もともと水と私は同じ存在なの。私達は葉っぱの裏表」

海人の頭がまたふらついてきた。

「私達は消える。それがきっと正しい事」


――死ね。


 またあの声が頭に響いた。海人が振り返ると、そこには夥しい数の水が立っていた。だだっ広い空間に、何千何万という水が佇んでいる。酷い眠気が海人を襲う。


「眠いでしょう? それはもう時間が無いから」

 夏希は海人に歩み寄ると、海人の頬を、そっと手のひらで撫でた。


「目が覚めたら、また元の生活が始まるわ。そして悲しかったことも、胸の痛みも全て時が洗い流してくれる」


 心臓の小さく鼓動を打つ音が聞こえた。水の声も、眠気も治まらないのに、はっきりと聞こえる。その鼓動は強くなっていく。何かが体中にみなぎってゆく。

「だから私のこと……許してね」

 そして夏希が悲しげに微笑んだ時。


「さよなら」


 その言葉を聞いた時。



 全てが分かった。





       (10)


――死ね。


「うるさい!」


 頭の中に響く声に、海人は怒鳴った。

 声と、今まで体を支配していた睡魔が消える。

 夏希が驚いた顔で海人を見た。海人は銀の鏡に顔を向けた。

 そして確かな足取りで銀の鏡に歩み寄る。


 鏡に自分の姿がうつっていた。

 その目に、もう迷いの色は無かった。

 拳を握る。静かにそれを振り上げ、鏡の中の自分めがけて振り下ろした。

 鏡に亀裂が走る。皮膚が裂けて、血が吹き出した。それでも構わず、海人は拳をもう一度振り上げた。


「だめっ!」

夏希が叫んだが、構わずそのまま再び拳を叩き付けた。銀の鏡は断末魔の様に大きな音をたてて砕け散った。


「……どうして」

夏希は呆然と、砕け散った鏡の残骸に目を落として、それから険しい目で海人を見た。

「どうしてこんなことしたの? もう水を元に戻せないのよ!」


 銀の鏡の後ろに立っていた巨大な水の円鏡が目を覚ました様に振動音をたてはじめた。


「君と、別れたくないから」

海人の声は静かだった。


「そんなことのためにやったの? 今更なにをしたってかわらない。それどころか海人が死ぬことになるのよ!」


「僕は死なないよ」

「今の海人が死に勝てっこない!」

「僕は死なないよ。僕は君と生きるって決めたから。だから僕は死なない」

 体中を血が駆け回っている。けれど頭の中だけは妙に穏やかだった。


 水に異変が起こった。何千何万という水が、一体、また一体と巨大な円鏡に吸い込まれていく。 それは蒼い流星の様に見えた。

夏希は泣いていた。顔を両手でおさえ泣いていた。


「……僕は分かったよ」

 今まで自分には何もないから、だから別人に生まれ変わりたいのだと思っていた。


「でもそうじゃないんだ」

二人の頭上を何千何万という蒼い流星が飛び越えていく。


「僕は僕のままで正しいと言って欲しいんだ。別人になりたいわけじゃなかったんだよ。よりよい自分でありたいだけなんだ」


 けれど自分が正しいかどうかなんて、一人で生きていたならきっと分からない。

「だから夏希に言って欲しい。僕がどんなやつかって。僕の進もうとしている道は正しいって。君に言って欲しいんだ」


 海人は夏希に右手を差し出した。


「生きよう。僕と一緒に」




崩壊が始まった。


 水を全て吸い込んだ円鏡に亀裂が走る。空間全体に振動が広まってゆく。

 海人は夏希の手を取って走り出した。水が全ていなくなり、がらんどうに戻った空間を走り抜ける。 出口へと続く洞窟は全く視界がきかない。それでも海人は真っ直ぐに出口を目指した。


 生きるんだ。


 こんなにも強い気持ちを抱いたことなんて今までなかった。

 二人の後方で大きな爆発音が起こって、すぐにそれは間近に迫ってきた。

 出口の光はいっこうに見えてこない。右手に夏希の手を感じる。


 夏希と一緒に生きるんだ。


 そうすれば素晴らしい未来が待っている様な気がした。

 二人の後方から迫ってきたのは荒れ狂う激流だった。視界の利かない闇の中で、振り返ってさえいない。けれど海人ははっきりと感じていた。水と、夏希と、そして自分自身の存在がはっきりと感じられた。激流はのた打ち回る様に洞窟を満たし、凄まじい速さで二人に追いつくと、一瞬で二人を飲み込んだ。


 死んでしまったのだろうか。


 そう思ってしまう程、水の中は静かだった。ゴボっと海人の口から大量の気泡が漏れる。ゆっくりと二人の体が底の見えない深みへと沈んでいく。両腕の中の夏希は、気を失っているのか、顔を埋めたまま動かない。


 生きるんだ。


 消え入りそうな意識の中で、それでも必死に足を動かす。二人の体が浮上する。黄金に輝く水面が見えた。あともう少し。口からはもう気泡が途絶え始めている。意識が薄らいで、頭の中が白くなってゆく。それでも足を動かした。


 そして水面に出るその時。

 意識が消えゆく直前に。

 夏木の声が聞こえた。


「私のこと、忘れないでね」


 それが夏希の最後の言葉だった。





次回、短いエピローグで完結です。

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