第七話
「【ふうとう】!」
声が、響いた。
それはかさかさに乾いた、貧弱な音色だった。
「うおっ……!」
すると途端に【滅殺呪印】が紫に輝き出し、出現したときと同様に黒と紫が交錯する靄のようなものと化して、そのまま指輪に吸い込まれてゆく。
「消え、た……」
【滅殺呪印】が封印された指輪は、もともと銀で出来ていた。それがいつの間にか、指輪の腕の部分が漆黒と化し、そこにアメジストのような宝石がはめ込まれたデザインに変化していることに、雅人はようやく気づいた。
『おめでとうございます! これで武器に関するチュートリアルを終わります!』
「お、おう……」
『それでは続いて、六道様の今後についてなのですが! このまま真っ直ぐに進むと、特に何もなければ三十分ほどで街にたどり着きます! チュートリアルはそこまでとなります!』
「真っ直ぐってどの方角だよ……だいたいだな、電話越しのくせにお前いま、俺がどっち向いてるのか分かってるのか?」
あまりにも適当なチュートリアル具合にため息をつきながらも雅人はそう聞き返す。そして――
『ハイ、モチロンです! だって六道様はドアを出てからまだ一度も、……後ろを振り向いておりませんよ、ね?』
「っ……!?」
その、今までにない小悪魔的なニュアンスを含んだ言葉尻に違和感を覚えた彼はほんのわずか戸惑いながらも、しかし動揺は表に出すことなく無事に言葉を紡ぎ続けるのだった。
「何でそんなこと分かるんだ、……よ!?」
言われてみれば確かに、彼は新世界に来てからまだ一度も後ろを振り向いてはいないのだ。図星をつかれた雅人は、疑問を口にしながらも違和感の正体を探るため恐る恐る後ろを見た。すると驚くべきことに、そこには灰色のレンガで出来た広大な壁が聳えているのだった。
「さっきまでこんな壁あったっけ? それに俺が通って来たドアが……無い!?」
霧の中から突如、出現したかのようなその壁は端から端までどのくらいの距離なのかそして高さはどれ程なのか、どれをとっても目測を口にすることすら憚られる程に巨大であり、しかもびっしりと隙間なくレンガが敷き詰められていて扉や窓は一切見当たらない。
「おいおいプロトコル、この壁はいったい何なんだ!? さっきまでこんなの絶対に無かったぞ!?」
広大な新世界、一撃必殺の武器、地球には存在しない生命体。さらに、突如その姿を現した謎の壁。ここに至るまで、彼は未知の経験にすっかり高揚し、その興奮を隠せないままに次々と疑問を口にしてきた。対するプロトコルの返信も、要所要所に若干のすれ違いがあったものの軽快で優しく温もりがあり、だからこそ彼は今回の疑問――壁に対する答えもまた、それまでと同程度の親しみが込められたものになると刷り込まされていた。しかし、
『申シ訳ゴザイマセンガ、ソノゴ質問ニオ答エスル権限ヲ、有シテオリマセン』
「っ!?」
その声がとても冷淡に感じられたのは、電波越しのせいだろうか?
――いや、違う。
雅人が目覚めてから【オブシンリィ】に降り立つまで、不思議と一度も感じることの無かった感情、それは恐怖。本来であれば【未知】とは畏怖すべき脅威なのだが、彼の場合は高揚感がそれを抑え込んでいた。その恐怖を彼は今日、今まさに初めて経験したのだ。まるで予め用意されていた録音による音声を聞かされているかのような抑揚の無さに、彼の精神は自然と萎えてゆくのだった。
「権限て……何だよ……」
よくよく思い返してみれば、プロトコルを信ずるに足る明確な根拠があったわけではない。しかし、あの白い部屋で交わしたほんの数分の会話で雅人が彼女に心を許し始めていたのも事実であり、それだけにこの衝撃は大きかった。
『……どうさま、六道様! もしもし、聞こえてますか? モンスターです! 三匹程向かってきており、あと数十秒で六道様と接触! お気をつけください!』
「はっ!? あと数十秒って……何処からだよ!?」
その空白は、時間で表記すればほんの数秒程度だったろうか? ともかく、幸か不幸かプロトコルの豹変について考察し呆けることは強制的に中断され、彼は姿を見せない敵に対する戦闘態勢をとらざるを得ない。するとすぐに、遠くの森から飛び出し凄まじい勢いで彼を目掛けて突進してくる牛型モンスター、プロトコルがいうところの【バカ】の姿が確認出来たのだった。
「あれかっ…………くそ、どうせやるしかねぇんだろ!? ……滅殺っ!」
4月16日修正。