第五話
『ようこそ、新世界【オブシンリィ】へ!!!』
視界には、さっきまでモニターで見ていた世界。
すなわち遠くには街や村が見え、更にその奥には森、山の中腹には洞窟、そして今最も重要な事はたかが二十数年の人生経験からはそうとしか形容出来ない怪しげで凶悪な動物がまさに目の前――
「も、モンスターっ!?」
「グるググぅ……」
それはシルエットだけを見れば単なる牛、だったろう。さっきのネズミと違って直立歩行をしているワケじゃなし、図体も普通だ。しかしその一つ目の凶悪な顔は、異形としか説明出来ない。
「ぐる……うぅう……ウワァあああ!!!」
そんな状況把握もお構いなしに、耳を打ち抜く大絶叫。
周囲は何も無い平原なのに、その叫び声はまるで狭い部屋に閉じ込められ巨大なスピーカーで騒音を聞かされているかのよう。あぁ、数年前に無理矢理連れていかれた友人主催のライブの感想にも似てるな、アレは酷かった。
……さて。
どうして今、目の前にある危機に対し悠長な感想を述べているかと言うと、
「うごっ……」
既に、腹には牛の角がめり込んでいたからなんだな。
起きてしまったものは仕方ない、せめてこれが走馬灯じゃない事を祈るだけだ。
「……?」
しかし、……痛くない。
腹を突かれる感触は確かにある。が、逆に言えばあるのはその感触だけ。痛みも無く、出血も無く、かと言って感覚が麻痺しているという事もない。あぁこれが、
『そうです! コレがオブシンリィの絶対無敵防衛システム【B.O.W】です!』
すると突然、あの女の子――プロトコルの声がした。
「何処だ? 何処に居るんだよ!?」
何処か離れた場所からじゃない。明らかに近く、耳元で喋られてる感じだ。
『ココです! ココ! 六道様の耳に付いているピアスから声が出てるんです!』
「ピアス……?」
そう言われて耳元を確かめてみると、なるほど今まで付けた事も無いピアスが左耳にある。ここから声が聞こえ、また俺の声も届いているみたいだ。
ま、それはともかく、防衛システムに守られていると言っても危機的状況には変わりなさそうだ。絶対無敵が何処まで本当なのか分かったもんじゃないし、この現状は早々に打破すべき。
「ウルゥるるるグルうぅう!!!」
目を真っ赤に血走らせて吠える一つ目の牛型モンスターは、いったん身を引くと口を大きく開けた。垂れた唾が地面に生える雑草を溶かす。
「うわ……」
その現象を深く考える時間も俺には与えられず、そしてモンスターの口からは物凄い速さで舌が飛び出してきた!
「うわ、うわぁ!!!」
躱す事なんて到底不可能。そのまま俺の首は常識なんて何のそのな舌に巻きつかれ締め上げられてしまった。
「くそっ、くそっ……!」
しかし、やっぱりまったく苦しくない。
確かに、絞められてはいる。でも不思議と呼吸は楽に出来るし意識もハッキリとしているんだ。もちろん唾で溶かされる事もない。
でも、……だからこそ、怖い。
モンスターの唾が俺から更に垂れ落ちて地面に触れると、やはり雑草は溶けてしまう。異常な事が起きているのは間違いない。
しかし俺自身には、何の影響も無いんだ。
少なくともそう感じているんだが、……もしかしたらそれは思い込みで、俺は既に死ぬ寸前で、単に感覚が全部麻痺しているだけでは?
……そんな思いを、振り払えない。
『六道様、武器です! 六道様の【消印】を使うのです!』
「けし……いん……?」
プロトコルの優しく無邪気で明るい声に、恐怖は少しだけ治まった。
『ハイそうです、六道様の【消印】で、モンスターを倒すのです!』
その言葉は確かに励みにはなるんだが、いかんせん肝心の意味がまったく分からない。消印で、何をどうするって?
『さぁ宣言するのです、六道様専用の武器を呼ぶのです!』
「消印が武器、だって……? それに呼ぶたって、どうやって……」
『そうです、だって【消印】ですよ、消滅させる印章と書いて【消印】! 武器としか考えられません!』
いやいや、どう考えてもソレ、キミの勘違いだから。
【顧客が本当に必要だったもの】シリーズじゃないんだから、
『さぁ呼ぶのです、えぇっと……そう、【めっさつ!】と!』
なんてアホの子、そんな曲解、……言っちゃ悪いがアンタ相当の馬鹿だよ!?
「うぉおおお! ……滅殺っ!!!」
まぁ、俺も馬鹿なんだけどね。知ってた。
なぁ。コレでもし何も起きなかったら俺、開始早々もう立ち直れないよ?
しかしそんな心配はどうやら無用だったようだ。
何故なら宣言すると同時に、めんどくさかったからそのまま付けっぱなしだった左手薬指の指輪から黒と紫が混じり合う靄のようなものが吹き出し、徐々に形を成し始めたからな。さすがにコレで、何も無いって事は無いだろ。……な?
「これが……俺の【消印】……俺の、武器……?」
それはうっすらと透き通る黒と紫の鉱物みたいなもので出来ていて、まるでアメジストの塊のよう。見た目はスレッジハンマーの柄の部分を槍のように細長く伸ばした感じで、その先端は非常に鋭い。そして反対側、頭部の打撃面には両側とも魔法陣のようなものが描かれていた。
『そうです! それが六道様専用の武器、その名も【めっさつじゅいん】です!』
めっさつじゅいん。
……【滅殺呪印】、か? 随分と物騒な漢字を思い浮かべてしまったもんだ。
「へへっ……よく分からんがせっかくだ、……使わせてもらうぜっ……!」
首を舌で巻かれたまま、俺は無我夢中で【滅殺呪印】とやらを振り回し牛型モンスターの側頭部へと叩き付けた。すると魔法陣がそのまま相手に転写されソレがやはり紫色に光ったかと思うと、
「ぐる……うぐぇ……ぐ…………きゅ…………ふ…………」
見る間にモンスターの体が縮み始めた。黒々として艶やかだったソレはすぐに皺だらけになって、四本の足がまるで骨しかないみたいに痩せそのまま粉々になる。
そのまま体は風船の空気が抜けていくかのように縮み続けて、巻きついていた舌は枯れた蔦みたいにパラパラと崩れた。しまいには目玉が萎れて陥没、黒目の部分が灰色になっちまったよ。
「何だよこりゃ……」
ものの数秒で、化け物はミイラ化。そして風に吹かれただけでそのまま消し飛んで完全になくなってしまった。
「これが……【滅殺呪印】の力……っていうのかよ……おいおいマジか……」
そう、これが異世界での俺の職業――俺の力、【滅殺呪印】。
次幕から主人公視点の語りではなくなります。
1月15日修正。
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