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子猫な彼女は好きですか?  作者: 月森あいら
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第一章 召使い、決定!

第一章 召使い、決定!


 悠翔は、ツインテールの少女に、胸倉を掴まれて睨みつけられている。

「見たって、な、にを……」

 少女の迫力は、恐ろしい。胸もとを掴まれているので逃げることはできず、それこそキスでもできそうな間隔で、少女はじっと悠翔を睨みつけている。

「あんた……、……アレ」

「アレ?」

 怒りながらも、羞恥が隠せないのか。こめかみに青筋を立てながら真っ赤な顔をしているというのはなかなか器用だ。そのように考えることで、悠翔はおかしな現実逃避をした。

「とぼけないで!」

 少女は叫んだ。同時に手を伸ばし、悠翔は再び胸倉を掴まれた。ぐいぐいと絞めあげられて、目を白黒させるばかりだ。

「わたしが、……那奈、と……の、ことよ!」

 那奈、とは先ほども耳にした名前だ。とすると、右にサイドテールの少女が那奈という名なのか。

「どうなのよ! はっきり言いなさいよ!」

 胸倉をつかまれたまま、ぐいぐいと揺さぶられた。舌を噛みそうになって慌てるが、少女は手の力をゆるめようとはしない。とにかく離してほしくて、悠翔はこくこくと頷いた。

「見……、見た……」

「やっぱり……!」

 少女は、悠翔の胸倉をますます強く掴んだ。本気で息がとまりそうになって、悠翔は自分の首を掴んでいる少女の手に自分のそれでぐいと掴む。

「と、とにかく離してくれ……、く、るし……」

 悠翔の必死の願いが通じたのか、少女は手を離してくれた。それでふたりの手の触れあいはなくなり、ほんの少し伝わってきた彼女の手のさらさらとした感触、その柔らかさを一瞬しか味わえなかったことを残念に思った。

(でも、あのまま首を絞められるよりはまし……)

 詰まった器官にいきなり空気が入ってきたことに、げほごほと噎せる悠翔は、目の前に仁王立ちになっているツインテールの少女に目を向けた。

「……絶対に、あんたなんか許さないんだから!」

 怒りの表情でも、彼女はやはりかわいかった。美人というよりもかわいらしいタイプだと感じるのは、彼女の髪型が、ぴょんぴょん跳ねまわるうさぎを連想させるからかもしれない。

「あんた、名前なんて言うの?」

 仁王立ちのまま、ツインテールの少女が言う。彼女としては精いっぱい怒りを表現しているつもりであるようなのだけれど、尖らせたくちびるまでがかわいらしくて、悠翔はつい洩れてしまう笑みを懸命に噛みつぶす。

「芦馬、悠翔」

「ふぅん」

 言いながら、彼女は検分するように悠翔を見る。悠翔といえば、美少女が自分をじろじろ見てくるだけでも充分に不可解だ。さらに彼女の後ろで、なにが楽しいのかにこにこ微笑みながら、ふたりの様子を観察しているふたりも、気になって仕方がない。

「悠翔、ね……クラスにそういう名前の子が、いた、かも」

「おまえこそ、名乗れよ」

 いつまでも観察させておくわけにはいかない。悠翔は、ややつっけんどんなもの言いで、そう言った。

 悠翔の言葉に、そういえば、と小さな声で言って、ツインテールの少女は少し離れる。

楠城くすのき瑠音るね。一年三組よ」

「あ、じゃあ一緒だ」

 一年三組とは、まさに一週間前、悠翔が入学して初めて入った教室だ。軽い自己紹介はしたけれど、瑠音のようなかわいい子がいただろうか。彼女なら、忘れるようなことはないと思うのだけれど。

 そんな悠翔の疑問に、瑠音が答えた。

「わたし、今まで学校、来てなかったから。入学式なんか、めんどくさいじゃない?」

「え、そんなこと言っちゃうのー!?」

 誰もが思っていることで、しかし誰も常識的に口にしないことを瑠音は言った。悠翔は思わず後ずさりをし、そんな彼の前、瑠音は一歩、歩み寄る。

「だって、先生が入れ替わり立ち替わり、長々とお話しするだけでしょう? 目新しいものも別にないし、もう何百回も聞いて、飽きちゃった」

「飽きたー!?」

 悠翔は驚いたが、それよりももっとツッコむべきところがある、ということに気がついた。

「って、何百って、どういうことだ!?」

 つい洩れた言葉に、サイドテールの少女たちも面白そうな顔をする。三人は目を見交わせ、驚く悠翔を面白がるように流し目でこちらを見やってくる。三人だけがわかっていて、悠翔が蚊帳の外であることにむっとして、言った。

「おい、答えろよ。それに、あの……」

 あっ、と瑠音が声をあげる。口もとを白い手で押さえ、上目遣いに悠翔を見る。

「そう……見たんだもんね、あんた……、悠翔」

 いきなり高飛車な口調になったかと思うと、瑠音は自分の腰に手を置いた。右手はびしっと悠翔を指し、恐ろしいほどに真剣な表情で、言った。

「あんた、わたしの召使いだから!」

「……あ?」

 思いもしなかった言葉に、悠翔は目を丸くした。ほかのふたりも、驚いた顔をしている。

「毎日昼休みには、購買行って、トンカツパンね! あと、いちごミルク。昼休み入って十分以内! 絶対、屋上に持ってくること!」

「おいおいおい!」

 一方的な瑠音の要求に、悠翔は目を白黒させた。ふたごの少女たちも、瑠音の勢いに圧されているようだ。

「なんで俺が、そんなことをしなくちゃならーん!」

「あなたが、わたしの召使いだからよ」

 なにを言うのか、というように瑠音はきょとんと悠翔を見ている。

「登下校のときは、わたしの教室にわたしを迎えに来て、家まで送ってくれること!」

「おまえの家、どこだよ……」

 ツッコむつもりでそう言ったのだけれど、瑠音は至って本気らしい。そんなことも知らないのかという表情で(知ってるわけがない!)瑠音は町名を言った。

「俺の家と、真反対じゃないか!」

「だから、なに?」

 それは、瑠音にはなんの問題でもなかったらしい。しかし、そちらまで行ってから帰宅となると、優に一時間はかかってしまう。

(って、なんで送り迎えするのが前提になってるんだよー!)

 春の風に、ふわりと彼女の長い髪、セーラー服とスカートがなびく。苦情を言おうとするものの、その目にもあやな光景につい見とれてしまった。

 じっと悠翔を睨みつける瑠音の後ろ、ふたごたちがさらに楽しいものを見つけた、というふうに覗きこんでくる。

「ねぇね、瑠音。こんな人間を召し使いだなんて……いいの?」

「だって、見られたんだもん!」

 瑠音は、駄々っ子のように言った。そんな彼女を、サイドテールのふたごが驚いたような、呆れたような表情で見やっている。

「屈辱なんだもん! 人、人に見られるなんて……!」

 じたばたする瑠音は、悠翔に見られたことが本当にいやだったらしい。しかしもう遅い。悠翔はばっちりと見てしまったし、美少女同士のキスシーンは、脳裏にしっかりと焼きついている。

 その光景は確かに、異様は異様であった。しかし美少女同士がキスしている――見ようと思って見られるものではなく、それを思い出すと、ごくりと咽喉が鳴るのだけれど。

「だから、あんたは今からわたしの召使い! わたしの言うこと、なんでも聞くのよ!」

「そ、そんなこと……言われても」

 戸惑う悠翔の前、瑠音は仁王立ちになる。腰に手を当て、胸を張る。――と、セーラー服越しの膨らみがくっきりとした。大きすぎず、小さすぎず――そのようなことを悠翔が考えていると知れれば、瑠音はまた首を絞めてくるかもしれない。

「じゃあ、さっそく最初の命令を下すわ――」

 ぴんと背を伸ばして、瑠音が言う。さらり、と彼女の長い、艶めいたツインテールが揺れる。

「今すぐ、いちご大福よ!」

「い、いちご……?」

「ほら、早く! 十分は待たないわよ!」

 急かした声でそう言われ、悠翔は思わず立ちあがった。鞭を当てられた競走馬の気分で反射的に瑠音たちに背を向け、校外に向かって走り出した。



(なにやってるんだ、俺は……)

 昨日のことでを思い返すと、自己嫌悪に陥ってしまう。悠翔は入学したばかりの高校の門をくぐりながら、またため息をついた。顔馴染みの同級生たちに挨拶をしつつ、昨日のことを反芻する。

(……まぁ、あんな顔見られただけでも、よしとするか)

 校舎に向かって歩きながら、悠翔は考えた。

 悠翔は結局、学校近くのコンビニでいちご大福を買って、瑠音のもとに馳せ参じた。仁王立ちで待っていた瑠音は「ご苦労」となぜ芝居がかった口調で返しながらも、かわいらしい顔がぱっと輝いた。

 そのときの、嬉しそうな顔。幸せそうな顔。見ているこちらにまで胸に温かいものが生まれるような幸福の表情。

 いちご大福を前に包装を解くのさえ待ちきれないといった瑠音は、幸せそうに顔をほころばせていた。その様子は、文句なしに見ていてこちらまでが嬉しくなった。いちご大福ひとつであれほどに目を細め、頬はやや紅潮し、もういちご大福のことしか考えられないというような幸せに満ちた様子を見せてもらえれば、使いっ走りにされたことなど帳消しだと思える。

(かわいいのは、確かだ。人のこと召使いとか、わけわかんないけど……)

 昨日のことを反芻していた海翔は、突然首を絞められて目が飛び出しそうになった。

「……ぐぇ、っ!」

 いきなり後ろから、学生服の衿を掴まれて驚いたのだ。しかし手の主は容赦もせずぐいぐいと引っ張ってきて、悠翔はおかしな声をあげてしまった。

「なんで、迎えにこないのよっ!」

 振り返るまでもない、その声は瑠音だ。容赦なくぐいぐい引っ張るものだから、悠翔の首はますます絞まる。

「ずっと待ってたのに! これじゃ、遅刻じゃないの!」

「待ってたって……なにを?」

 意味がわからなくて問うと、瑠音はかわいらしい怒り顔で悠翔の学生服の衿をぎゅうぎゅうと引っ張った。

「あんたは、わたしの召使いだって言ったでしょう!?」

 召使い。確かに、昨日そう言われた。悠翔もつい瑠音に押されるままにいちご大福を買いに行ってしまったのだけれど。

「だからって、なんで俺が迎えに行かなくちゃいけないんだ!」

 憤慨した瑠音に勢いよく振り返り、すると瑠音はぱっと手を離した。その勢いで転んでしまいそうになり、慌てて体勢を立て直す。

「わたしの召使いとして送り迎えすること、って言ったじゃない! 召使いのくせに、生意気!」

「そんなの、おまえが勝手に言ったことだろうが。俺は、了承した覚えはない」

 わけのわからないことを言う彼女だけれど、怒って喚く姿もかわいい。言っていることはまったく理不尽なのに、そんな様子さえ「かわいい」と思ってしまうのはなぜなのだろうか。

 瑠音は、ツインテールを揺らしながら腰に手を当てて怒っている。そんな彼女を「目の保養だ」と見つめてしまい、するといきなり鐘の音が聞こえてきた。

「わぁっ、始まるっ!」

「もう、あんたが迎えにこないから!」

 文句を言う瑠音の手をぎゅっと取って、悠翔は走り出した。

「悠翔はわたしの召使いなんだから! ご主人さまのわたしを遅刻寸前にしちゃうなんて、無能! 無能っ!」

 そう叫ぶ瑠音は、しかし悠翔の手を振り払おうとはしない。悠翔の手に任せて一緒に走っている。ご主人さまだの召使いだの、妙な言葉を大声で叫ばなければ、素直についてくる殊勝さを買わないでもないのだけれど。

「みんな、悠翔のせいだからねー!」

 手をつながれたままでも、瑠音は叫んでいる。その叫び声もかわいらしい、と思ってしまう自分はいったいどうしたのかと思う。

(召使いとか言われてて、無能とか言われて? それでもこいつが遅刻しないようにって気を遣ってやってる俺は、なんなんだ――?)

 チャイムは、もうすぐ鳴り終わる。教室まで、悠翔は瑠音の手を離さなかった。



 教室で会ったのは、左右のサイドテールにしているふたりの少女だった。ふたりは後ろ手で悠翔を覗き込み、くすくすと笑っている。

「あー、いちご大福の召使いさんだぁ」

「今日は、おててつないでご登校ですかぁ?」

 明らかに冷やかす口調でのふたりを、悠翔はきっと睨みつける。しかし睨まれたことなどどこ吹く風、ふたごはいかにも楽しげに笑っている。

「瑠音も、よかったね。召使いができて」

「妖仙たるもの、召使いのひとりくらい使役したいわよねぇ」

 今、耳慣れない言葉を聞いた。悠翔は、ふたごに眉間の皺の寄った顔を向ける。

「なに、妖仙って」

 ふたごは顔を見あわせ、くすくすと笑う。すでに席に着いている瑠音のほうを見やり、また視線を絡めて、くすくす。

「なんだよ、なんの話をしてるんだ?」

 しかしふたごがなにをも言う前に、教師が教室に入ってきた。ホームルーム前、好き勝手に教室でしゃべっていた生徒たちは、教師の姿にぱっと散り、めいめいの席に着いた。ふたごたちも自分の席に着き、悠翔は謎を抱えたまま、机に向かうことになった。



 瑠音さまの召使いとして、悠翔は茶色の紙袋を持って屋上に向かった。中には、ふたりぶんの食事が入っている。

 そこには、瑠音とふたごがいた。ふたごはそれぞれに違う色で同じ形の弁当箱を持っていて、ちらりと見ると中身はまったく同じようだ。

「遅い!」

 瑠音さまの第一声は、それだった。彼女は給水塔の段に座って腕を組み、艶やかなツインテールを揺らしながら、悠翔を睨みつけた。

「悪うございました……」

 昼休みの購買は、新入生には不利な場所だ。自分ひとりのぶんならともかく、瑠音のものまで買うとなった悠翔は、パンや飲みものを求めて押しくらまんじゅう状態の中から命からがら抜け出して、瑠音が「待ってる」と言った屋上にやってきたのだ。

「そうね、あの購買の状態じゃ、これ以上早くは無理かもね」

 瑠音は、寛大なことを言った。高飛車なもの言いが常である人物の、そんな優しい声音に、ついほろりとしてしまう。

「新入生にしては、まぁまぁよくやった、ってところかしら」

 まるで、見てきたように瑠音は言う。しかも口調は、まるでご主人さまなのだ。

「トンカツパンと、いちごミルクだったよな……」

 購買の紙袋を突き出しながら、悠翔は言った。うん、と瑠音はうなずき、紙袋を受け取る。悠翔の手のひらには、五百円玉がころりと落とされた。

「あ、ありがとう……」

 召使い扱いするわりには、瑠音はこういうところはきっちりしている。昨日のいちご大福も、ちゃんと代金を払ってくれた。

「あ、ごめん。細かいの、持ってないんだけど」

「お釣り? そんなもの、期待してないから」

 太っ腹なところを見せつけて、瑠音はその場に座った。屋上には強い風が吹いている。彼女のチェックのスカートが揺れて太腿の奥までが見えそうになり、悠翔は慌てて顔を逸らせた。

 そんな悠翔に、気がついているのかいないのか。瑠音はぴりぴりと、トンカツパンの包装を剥いていく。

「購買にも、いちご大福があればいいのに」

「そんなにいちごばっかり食べてたら、瑠音もいちごになっちゃうよ?」

 ふたごのうちのひとり――右にサイドテールをしているほう――が、冷やかすように言った。悠翔もここまで来てほかの場所で食べるというのものなんだと思い、どかりと座って、自分のぶんの紙袋を開ける。

 ふたごの、お揃いの弁当。それを見つめながら、海翔は思った。彼女たちに召使いはいるのか。先ほど「妖仙たるもの召使いくらい使役したい」と言っていたから、いないのかもしれない。

 妖仙。妖仙とは、いったいなんなのか。

「――なぁ」

 焼きそばパンを囓りながら、悠翔は問うた。

「言ってた……あれ。妖仙って、なに?」

 ふたごは、顔を見あわせた。ふたりしてだし巻き卵を口に入れかけた体勢で、目だけで悠翔を見る。

「あー、それはねー」

「いいじゃない、説明してあげようよ」

 そう言いあっているふたごから、悠翔は視線を動かした。瑠音は、トンカツパンを囓る片手でいちごミルクの容器を持っていて、今は食事に夢中のようだ。

(口の中で、味、混ざらないのかな……?)

 瑠音の咀嚼のペースは速い。昨日のいちご大福のときも、食への欲求を押さえられないといったようないい食べっぷりが印象にある。

 とはいえ、食べたものはどこにいくのかと思ってしまうくらい、瑠音は細い。セーラー服の袖から見える手首も、短いスカートから伸びたすらりとした足も。モデル並みの細さなのに、なかなかに大食漢であることがこの二日で、わかった。

(まぁ……痩せの大食いっていうしなぁ……)

 ぱくぱくパンを囓る瑠音を見ながらもの思いに耽っていた悠翔は、ふたごのどちらかの言葉に、はっと彼女たちを見た。

「妖仙ってのは、あたしみたいに……」

 そう言ったのは、右のサイドテールの少女だ。

「動物から仙人にしていただいたんだものをいうんだよ」

 そう言ったのは、左サイドテールの少女。ふたりは同じ、悠翔をからかうような顔をして悠翔を見ている。

「……へ? 動物から? 仙人?」

 悠翔は、仙人などに詳しくはない。しかも悠翔のイメージする『仙人』は、禿頭に長い白い髭を生やしたおじいさんで、目の前の少女たちからはほど遠い。

 そのことを言うと、左にサイドテールの少女が言った。

「一般的なイメージはそうだってことは否定しないけど、そういうのばっかりじゃないよ? 女もいるし、天女ってのも仙人だから」

「ああ、なるほど……」

 天女と言われると、イメージしやすい。もっとも目の前の少女たちは、悠翔の空想の中の『天女』のようにたおやかでもしとやかでもないが、その美貌においてはなるほど天女か、と思わせる。

「もとは動物って、どうやってそんなことできるんだ?」

 トンカツの端を囓りながら、悠翔は言った。

「誰かが、おまえたちを仙人にしたってこと? そもそも、仙人なんてどうやってなるんだ?」

「それはね、西王母さいおうぼさまのお力だよ」

 また、知らない言葉が出てきた。西王母? 目だけで問いかける悠翔に、だし巻き卵の端を囓っていた右サイドテールの少女が、考え込む様子を見せた。

「あのね、崑崙山こんろんざんの女王たるかたでね、たくさんいる、あらゆる仙人のトップに立つ、偉い偉いおかたなんだ」

 崑崙山。三度の知らない言葉だが、なんとなく悠翔は、天国のようなところだろうか、と推測した。

「その、西王母って人……動物を仙人にしたり、すごいことができるわけだ」

 うん、と右サイドテールの少女が言った。

「仙骨を持ったものなら、西王母さまがしてくださるの」

 プチトマトを口に入れながら、瑠音が言う。

「でも、仙骨がないとどう頑張って無理なんだよ。仙骨を持たずに仙人修業してる人も、たくさんいるけどね」

 たくさん。先ほど、サイドテールの少女は仙人はたくさんいて、そのトップに立つのが西王母だと言った。そのたくさんとは、いったいどれくらいなのか。まさか、日本の人口ほどではないだろうが。

「仙人って、どのくらいいるの?」

 もぐもぐと口を動かしながら、悠翔は問う。

「崑崙山にいる仙人だけで数え切れないほどだし、あたしたちみたいに、人間界に降りてるのもいっぱいいるからね」

「なんでおまえらは、人間界にいるんだ? おまえの口調だと、崑崙山のほうが本来の住み処なんじゃないか?」

「そりゃ、崑崙山にいられなくなったからよ」

 左のツインテールの少女がそう言って、ちらりと視線を瑠音に向けた。

「ね、瑠音!」

 ごほっ、と瑠音が咽喉を詰まらせたような声をあげた。咀嚼しかけのパンが引っかかったらしい。

 しきりに胸を叩いている苦しそうな瑠音の背でも叩いてやろうかと思ったけれど、その前に瑠音の苦しげな声はやんだ。

 揃いの弁当を持ったふたりが、にやり、と笑って瑠音を見、そして悠翔を見やる。

「あのね、瑠音は、蟠桃ばんとうを盗んだんだよ」

 悠翔は、目をしばたたかせた。知らない言葉が出てきたのは、もう何度目だろうか。咳の治まった瑠音は、まるで自分にはまったく関係のない話であるかのように、そっぽを向いている。

「なんだ、その……蟠桃ってのは」

「まぁ、平たく言うなら桃なんだけど」

 だし巻き卵のひと切れを食べ終わった右側サイドテールの少女は、横目で瑠音を見つめながらにやりと微笑む。

「もちろん、ただの桃じゃないわよ? 食べれば不老不死になるっていう桃なの。西王母さまが大切にしてらして、西王母さまのお誕生日のお祭りのときにしかふるまわれないの貴重なものよ」

「しかも、与えられるのは天仙の皆さまのみ。あたしたちみたいな妖仙は、一生かかってもお目にかかれない代物なの」

「へぇ……」

 不老不死。人の願いの最たるものではあるが、悠翔にはそう魅力的なものであるとは思えない。人生が楽しいことばかりならいいけれど、そうではあるまい。永遠に死ねないということは、人生の辛いことを経験しても逃げられないということだ。辛いことを抱えたまま永遠を生きるのは、さぞ辛いことだと思う。

 悠翔が自分のそんな考えを口にすると、たいていの者は笑うのだけれど。悠翔自身はそんなつもりはなくても、ペシミストだと言われてしまうこともある。

「……まぁ、西王母さまの宝といっていい大切なものを盗んだのよ、瑠音は」

 悠翔は、いったいどういう表情をしていたのか。心配そうに覗きこんでくるふたごたちに、なんでもないと首を振ってみせる。

「当然、追っ手が来るわ。だから瑠音は、いろいろな姿に変化して逃げてるのよ」

「じゃあ、おまえたちは……」

 そう言って、悠翔はさんざん話をしたふたごたちの名を知らないことに気がついた。

「おまえら、名前のなんていう?」

 ん? とふたりが首をかしげると、それぞれのサイドテールが揺れて、触れあった。

「あたしは、守中もりなか那奈なな

「あたしは、莉奈りな

 ふたりは、どれほど息のあったコンビでもできないだろう息の揃えかたで、言った。

「えと、……那奈? こっちが莉奈?」

「違うよ、反対。あたしは、那奈」

「あたしが莉奈だよ」

 混乱に、悠翔は顔をしかめた。とりあえず、サイドテールの右が那奈、左が莉奈と覚えることにする。

「で、おまえたち。おまえたちは、なんでここにいるわけ? 本来なら、崑崙山にいるはずじゃないのか? どうして、人間界に」

 くすくす、くすくす。那奈と莉奈の笑い声。彼女たちから答えを引き出すのは無理だと諦めて、悠翔はパンを食べ終わった瑠音を見あげた。

「なぁ、瑠音。おまえの盗んだ桃な。いったいどうしたんだ?」

 瑠音が、言葉に詰まった顔をする。そっぽを向いて、いちごミルクの残りを飲んでいる。ストローの吸い口が『ちゅっ』と音を立てるのが、妙に艶めかしいと思った。

「瑠音。どこにあるんだよ、桃」

 視線だけで悠翔を見た瑠音は、ストローから口を離した。そして小さく舌を出して、いたずらめいた表情をする。

「食べちゃった」

 てへへ、と悪びれない顔が、また新たに悠翔の胸を射抜いた。いちご大福に夢中になっているところといい、くるくるとよく表情の変わるやつだ、と思う。

「食べたって……」

 しかし、瑠音のかわいらしさに見とれている場合ではないのだ。悠翔にはまだ詳しくは飲み込めてはいないが、瑠音はとんでもないことをやらかした挙げ句に、盗んだものを食べてしまったというのだ。

「そうなの、食べちゃったのよ、この子。でも、単に不老不死になっただけで、食事はしなくちゃいけないの」

 しかも燃費が悪いんだよね、と那奈莉奈が声を揃える。

 食事。今食べ終わったパンのことだろうか。しかしなにしろ、彼女たちは『妖仙』だ。普通の人間の食事で満足できるとは思えない――。

「あっ、もしかして!」

 悠翔は思わず、那奈莉奈を指差してしまい、そのとおり、とでもいうようにふたりは微笑んだ。

「あの、キス……なんか、瑠音の食事に関係あるのか?」

「そう、正解」

 言ったのは、那奈。

「あたしたちは、狐の妖仙なの」

 そう言ったのは、莉奈だった。ふたりとも面白いものを見るようなまなざしで、じっと悠翔を見つめている。

「もとは狐だったのを、西王母さまに妖仙にしていただいたの」

 そう言われると、なんとなく狐っぽいような気がする。テレビで観たことのある、キタキツネなんかの子供だ。大きな目で、きれいなきつね色の体毛も彼女たちの髪にそっくりだ。そして、いたずらをして人間を困らせるという昔話にありがちな設定も、このふたごには似合うと思う。

「狐はね、仙人の糧になる、霊仙薬を作り出せるんだよ。崑崙山にいればみんな女仙のかたがたが作る霊仙薬を呑むんだけど、ここでは狐の妖仙が体の中で作り出すものしかないから」

「それを、食事に……」

 ごくり、と悠翔は固唾を呑んだ。

「口移し、で……?」

 ふたごは、揃ってうなずいた。そして同時に、厚揚げの煮物を口にする。

 なるほど、あのキスにはそういう意味があったのか。とはいえ『美少女同士のキス』というシチュエーションには少なからずどきどきするものがあり、もう一度見たいような、見たくないような、微妙な心持ちに陥った。

「じゃあ、お前たちが今食ってるやつは? それは食事にならないのか?」

「これは、ふり。本当は霊仙薬があればほかには何もいらないんだけど、人間に混じって生活するためには、必要なこと」

「ふぅん……」

 悠翔は、瑠音を見た。彼女は、大きなトンカツパンといちごミルクを摂取し終わったところだ。段の上から足をぶらぶらさせながら、どこか遠くを見やっている。

「ねぇー、瑠音。蟠桃さえ食べなかったら、こんな目には遭わなかったのにね?」

 そんな那奈の言葉に、瑠音はぴくりと耳を動かした――ような気がする。

「妖仙なのに、蟠桃に手を出すなんて。わたしたちとたまたま出会ったからいいものの、年取ることも死ぬこともできなくて、そのまま身動きも取れずに人間たちのおもちゃになるしかなかったんだよー」

 瑠音は、ぱっとこちらを振り返った。

(あ、口の端にソース……)

 思わずそう言いかけたけれど、瑠音の厳しい表情が悠翔を押しとどめた。

「なんでそんな話ばっかりするの!」

 きんっ、と響く声で瑠音は叫んだ。

「だって、悠翔は瑠音の召使いなんでしょう? 召使いなら、当然知っておくべきことだよね」

 うんうん、とふたごは頷きあう。そんなふたりを前に瑠音は真っ赤な顔をして。

「本当に、根性が悪い!」

 そして悠翔と目が合いそうになると、ふいっと逸らしてしまう。

(恥ずかしいのかな……桃を盗んだことが? それとも、霊仙薬を呑まないとだめだってことかな……?)

 罪を反省するのはいい心がけだけれど、目の前の瑠音は先ほどの態度からして反省しているようにはとても見えない。顔を赤くしている瑠音をじっと見ていると、彼女と目が合った。

「なによ」

「いや、あの……」

 訊いてもいいのだろうか。しかし訊けば、また首を絞められるかもしれない――少しびくびくしながら、悠翔は尋ねた。

「どうして……、桃、盗んだんだ?」

 瑠音の動きが、とまった。悠翔をじっと見つめながら、言葉に困るように眉根を寄せている。

「不老不死になりたかったのか? それとも、ほかに食べたらいいことが……」

「美味しそうだったから、だよねー」

 なにも言わない瑠音の代わりに、那奈がそう言った。

「美味しそうだから、ほしいと思っちゃったんだよねー」

「うぅ……」

 瑠音は本当になんと言っていいのかわからないようで、言葉を濁している。思わず悠翔は、呆れたような口調で尋ねていた。

「美味しそうだったから……それだけ?」

「わ、悪かったわね!」

 瑠音は喚いた。

「本当に、美味しそうだったんだもん! 美味しそうなものを目の前に見て、じっとしてるなんてことできないでしょうがー!」

 いや、普通は自分のものでなければ我慢するものだ。

 しかし顔を真っ赤にしている瑠音を前に、そうは言えなくて。それでも紅潮した頬の彼女はかわいらしくて、ついじっと見つめてしまう。

「なによ、文句あるの?」

「いーえ、文句なんて。とんでもありません」

 悠翔はくちびるを尖らせる瑠音から慌てて目を逸らせ、昼食の続きに取りかかる。

 ふたごたちも弁当を食べ終わり、「ごちそうさま」と言っている悠翔を面白そうに見ると、同じように手をあわせた。



 教室に戻ると、目が合ったのは悠翔の席の隣の女子生徒だった。彼女はもうひとり、やはり同じクラスの女子生徒と話している。

(なにさん、だったっけ……)

 まだ、入学して一週間。クラスの者の顔と名前は一致しない。瑠音も、那奈莉奈も、たまたまきっかけがあったから覚えたようなもので、席の近い男子ならともかく、女子はとんと見わけがつかない。

(まぁ、あのふたごだって、どっちがどっちなのか見わけはついていないわけだけど)

 がたん、と椅子を引いて、席に着く。すると隣の席についている女子、その前の席に後ろ前に座っている女子ふたりが、じっと自分のほうを見ていることに気がついた。

「な、なに……?」

「あのね、……えと」

 ひとりは、高い位置すっきりまとめたポニーテール。優しげな少し垂れた目がかわいらしく、しかしその顔は懸念に彩られている。

 席に着いているほうのひとりは髪を低い位置で結び、一筋の乱れもなくぴしりと整えている。銀のメタルフレームのメガネがよく似合う。

 彼女たちは困った顔をしている。その原因に気がついた悠翔は、言った。

「あ、俺芦馬悠翔。悠翔で構わないよ」

「そう、悠翔」

 ふたりは一様にほっとした顔をしたので、呼びかけかたに困っていたらしいふたりの懸念は、まず取り除かれたようだ。

 ポニーテールの彼女は、鶯谷うぐいすだに愛菜あいな。メガネの彼女は碇野いかりの優心ゆこと名乗った。

「ゆこ? へぇ、珍しい名前だね。どういう字、書くんだ?」

「優しいに、心」

 どこか突き放したように優心は言った。それよりも、と早く話を続けたがったのは、どうやら自分の名前が嫌いであるかららしかった。

(かわいい名前なのにな。もっとも本人は、かわいいというより凛々しい……委員長タイプみたいだけど)

 そんな悠翔の心中など知るよしもないふたりは、少し声を潜め、ささやきかけるように悠翔に話しかけてくる。

「芦馬くん、さっき楠城さんがおかしなこと言ってたじゃない」

 優心はそう言い、メガネ越しの目が心配そうに曇る。ん? と悠翔は、首をかしげた。

「召使いとか、なんとか……」

 ポニーテールの愛菜が、眉をひそめた。

「あれって、なんかの遊び?」

「それにしたって、召使いだなんて……穏やかじゃないわね」

 メガネの優心は、ブリッジの部分を人差し指で持ちあげながらの憂い顔だ。

「いや、そんなふうに言ってもらうようなことじゃないって。ただの……」

 そこまで言って、どう説明しようか、と悠翔は悩んだ。まさか正直にすべてを言ってしまうわけにはいかないし、ましてや瑠音たちが人間ではないことをばらすわけにもいかない。

(まぁ、そんなこと言われたとしても、信用されないだろうけどな)

 この場をどう切り抜けるか、悠翔は考えた。

「いや、ゲームだよ。罰ゲーム。負けたほうが一日、召使いになるっていう」

「ふぅん……」

 愛菜と優心は、あまり信用していないようだ。言い訳としてはまずかったか、とは思うものの、悠翔も今さら引っ込みがつかないので、自分自身にもあれはゲームなのだと言い聞かせる。

(まぁ……、すぐに嘘だってばれるだろうけど)

 そもそも、一日どころではないのだ。瑠音は永遠に悠翔を召使い扱いしそうだし、彼女の欲求通り買ってきたいちご大福だのいちごミルクだのを幸せそうに食べている姿は見ていてとても癒されるもので、悠翔自身も悪い気はしていないのだ。

(まぁ……あの、高飛車なところがなければ、だけど)

 しかし、それはそれで『彼女らしい』と言えるのだけれど。そのうえ、瑠音の高飛車なところがいちご大福で蕩けたようになっているのを見る悠翔も癒されているのだから、ギブアンドテイクがなり立っているともいえる。

 しかし愛菜たちは、治まらないらしい。なおも悠翔を心配してくれているようだ。

「ゲームだってだけなら、私たちがどうこう言うことじゃないけど。いじめとかだったら、言ってね? なにか、力になれるかもしれないから」

 頼もしいことを言って、愛菜はうなずきかけてきた。優心は厳しい表情を崩さない。

「うん、ありがと」

 肩をすくめながら、悠翔は礼を言う。

(俺って、同級生の女の子にいじめられるようなキャラに見えてんのか……)

 それはそれで悠翔をがっかりさせたが、同時にあれが瑠音でなければ、悠翔も断固として拒否したはずだ。瑠音が言うから、瑠音が喜ぶから、ついつい言うことを聞いてしまうのだ。

「ねぇ、悠翔。悠翔はどこの中学校だったっけ?」

 愛菜が、微笑みとともに尋ねてくる。悠翔は答え、残りの昼休みは愛菜と優心との、他愛ない会話に費やされた。



 いちご大福! と瑠音が叫ぶ。はいはい、と悠翔はコンビニに向かう。

 毎日同じ時間に行くものだから、店員にはすっかり顔を覚えられている。いちご大福の大好きな男子高校生だと思われているかもしれない、と思うと恥ずかしくなる。

 自分のじゃありません、と主張したいところだけれど、では誰のためだ、と言われると返答に困る。同級生? 友達? ……ご主人さま。

(いやいや、ご主人さまとか、ないから)

 コンビニの袋を持った手で『ないない』と誰に見せるでもないジェスチャーをしながら、悠翔は放課後の学校の屋上に向かう。そこでは仁王立ちの瑠音と、那奈莉奈のふたごがいて、悠翔がやってくるのを今や遅しと待ちかまえているのだ。

「今日は、半額シールが貼られてたから、ふたつ買ってきた」

「きゃーっ、ふたつも!?」

 躍り上がりそうな瑠音のテンションと比べて、まったく冷静に那奈(右にサイドテール)が言った。

「いちご大福は、一日一個って決めてるんでしょう? ふたつとも一気に食べたりしたら、だめだよ」

「でも、これ賞味期限が今日なんだ。まぁ、一日くらいオーバーしたって、どうってことはないと思うけど……」

 悠翔は、ビニール袋を瑠音に手渡す。瑠音は興奮が抑えられないようだけれど、那奈莉奈の視線を受けて、うっと言葉を飲みこむ。

「……仕方ないから、一個は悠翔にあげるわ」

「そりゃ……ども」

 瑠音はひとつを取り出すと、悠翔に手渡す。その拍子に手が触れた。

(柔らかい……)

 そしてほんの少し、ひんやりしていた。その心地いい感触は一瞬で離れてしまったものの、悠翔をどぎまぎさせるのに充分だった。

「いただきます……」

 ぺりり、といちご大福の包装を剥がす。瑠音は慣れたもので、すでにひと口目に突入している。

 その、たまらなく幸せそうな顔。毎日食べているのに、そのたびに同じ幸福の顔ができるというのはすごいと思う。それほど好きなのか、と悠翔もひと口囓ってみるが、悠翔には甘いだけでたいした感慨はなかった。

「いちご大福を考えた人って、天才ね!」

 もぐもぐしながら、口のまわりを白くした瑠音は叫ぶ。

「求肥と、餡と、いちごの取り合わせが最高! 最初にこの柔らかい求肥の感覚と甘さがあって、そして次に餡の甘さがぎゅっとくるの! そして肝心のいちごは、さくりと囓るとその風味が口いっぱいに広がって求肥と餡の甘さを爽やかにしてくれるうえに、甘酸っぱい刺激が舌を直撃――」

「なに、グルメリポーターみたいになってんだよ」

 そこまでの感動は受けない悠翔は、いちご大福を咀嚼しながらツッコんだ。しかし瑠音はいちご大福を食べることにのみ集中しているようで、悠翔のツッコミなど耳に入っていないようだ。

「ああ、最高っ!」

 ごくん、とひと口めを飲み込んだ瑠音は言う。

「いちご大福サイコー!」

 片手を突き出して叫ぶ瑠音は、まるでノリがアイドルのコンサートだ。そんな瑠音を見ている莉奈は、ふぅとため息をついた。

「そんなに好きなのに、アレルギーなんてかわいそうね」

 いちご大福を食べながら、悠翔は莉奈に目をやる。彼女は、うんとうなずいた。

「そういえば、さっき、一日に一個だけって……」

「いちごを食べ過ぎると、副作用があるのよ」

 神妙な顔で、莉奈が言う。隣で那奈もうんうんとうなずいていて、一方の瑠音はぷぅと膨れた顔をしている。

「いちごの副作用って……いったい、どんな?」

「見せてあげれば? 悠翔のぶん、もらってさ。たぶん、喜んでもらえるよ」

「喜ぶ……?」

 首をかしげる悠翔を前に、瑠音は先ほどのノリなど忘れたかのように、慌てている。

「いやよ! それに悠翔の食べかけなんか、もっといや!」

 手にはしっかり残りのいちご大福を握りながら、瑠音はつんと顎を逸らせた。それに少しばかりむっとして、無理やり中身のいちごを口に詰め込んでやろうかと思ったが、それはあまりにも大人げないのでやめておいた。

「なぁ……副作用って、どんなの?」

 改めて尋ねても、しかし瑠音はつんとしたまま答えない。悠翔は手を伸ばし、いきなり瑠音のいちご大福を奪い取った。

「きゃぁぁぁ、なにするのよ!」

 悠翔は、自分のいちご大福を瑠音に食べさせる代わりに、自分が彼女の食べかけに食らいついた。半分くらいになっていたものをむしゃむしゃと食い荒らし、瑠音の手もとには求肥と餡が残るばかり、肝心のいちごは悠翔の口の中に消えてしまった。

「きゃーっ、ひどい!」

 瑠音の悲鳴が耳に響く。悠翔はもぐもぐといちごを食べ、飲み込み、瑠音に向かって舌を出した。

「ひどいひどいー、なんでこんなことするの!?」

「ん、なんかいやがらせ」

 そのまま自分のいちご大福にもかぶりつき、いちごはもうなくなってしまった。

「いやがらせにもほどがあるわ! なんでなんで、食べちゃうのよ!」

「だから、いやがらせ」

「召使いのくせにー!」

 瑠音は、両手足をじたばたさせている。本気で悔しかったらしい。してやったりと思う気持ちと、いちごを奪ってしまって申し訳ないという気持ちが、綯い交ぜになった。

 ひとしきりじたばたしたあとは、本当に残念そうにがくりとしてしまった瑠音を、悠翔は覗き込む。

「あの……、瑠音?」

「あーあ。泣かしたぁ」

「泣ーかした、泣ーかした」

 囃し立てるのは、ふたごたちだ。悠翔はぐっと息を呑み、じっと瑠音を見つめた。

「……泣いてる?」

「泣いて、ない」

 今にも暗雲立ちこめそうな声音で、瑠音は言った。泣いていないとはいうものの、瑠音は本気で泣きそうなので、悠翔も罪悪感のほうが大きくなりはじめる。

「また明日、買ってきてやるから。だから泣くなって。なぁ?」

 自分でしたことにも関わらず、泣きそうな顔をされては悠翔も焦る。

「大丈夫だよ、放っておいたらそのうち回復するから」

「瑠音、いちご大福食べ過ぎ。たまにはおやすみしたら?」

 今にも泣き出しそうな瑠音に、ふたごは淡々と言う。こういう瑠音の反応には慣れているのかもしれないが、泣く寸前まで追いつめるつもりはなかった悠翔は、どうしようかと迷うばかりだ。

「いちご……本当に好きなんだな」

 こくり、と泣き出しそうな顔のまま、瑠音がうつむいた。

「大福になってるやつがいいのか? それとも、いちごそのまんまでもいいのか?」

「いちごだけでも、好きだけど。いちご大福であんこが入ってるのも、めちゃくちゃサイコー……」

 泣くのをこらえているのか、ぽそぽそと話す瑠音は、悠翔を召使い扱いするときの彼女とは違う、どこかはかなげで触れれば壊れそうな風情で、悠翔は思わず彼女を見つめてしまう。

「……明日、また買ってきてやるからさ。そんなに、ヘコむな」

「うん……」

 瑠音のがっかりした声音に、新たな罪悪感が湧きあがる。思わず頭を撫で撫でとしてやりたくなる衝動に駆られ、悠翔はぐっと我慢した。

 悲しそうな顔のまま悠翔に目を向けた瑠音は、目の縁が少し潤んでいて、今にも涙が流れそうで。実際、長い睫毛には細かい水滴がついていて、今にもしずくになってこぼれてもおかしくないのだ。

 悠翔は、どきりとした。このまま彼女を見つめ続けてしまいかねなかったので、悠翔は慌てて「ところで」と話を変えた。

「なぁ、いちごの副作用ってなんだ?」

「いいから!」

 悠翔の言葉に、ぱっと瑠音の表情が変わる。今度は頬を赤らめて視線を泳がせて、まるでいたずらのばれた子猫のようだ。

「絶対に、教えないから!」

 そう言って、そっぽを向いてしまう。そんな顔もかわいい、と思ってしまう、瑠音のどんな一面を見てもかわいいと感じるのは、よもやかたわらにいる狐二匹に騙されているのだろうか。

「そういえば……」

 瑠音は、蟠桃とかいう特別な桃を盗んで、逃げているのだという。では、那奈莉奈のふたごは、なぜ人間界にいるのだろう。

「だって、こっちのほうが面白いんだもん」

 悠翔の問いに、右サイドテールの那奈が言った。

「崑崙山って、いっつも同じお天気で、同じあったかさで、食べなくても死なないし、永遠になんの変化もないんだもん」

「それに、天仙娘々(にゃんにゃん)たちは、なにかってったらあたしたちが妖仙だってバカにしてくるしね」

 うんうん、とふたりはうなずく。崑崙山――悠翔はそこを天国のようなところだと認識していたが、その中でも差別はあるらしい。それに悠翔は、少しだけ暗澹たる気持ちになった。

 でも、とふたごは揃ってひとつ拍手した。

「人間界に降りてきたから、瑠音に会えたし」

「人間の中に混ざる方法とか、いろいろ教えてもらったもんね」

「瑠音も、霊仙薬を手に入れる方法があってよかったみたいだし」

 その言葉に、瑠音がきっと目をつり上がらせてふたりを見た。

「あ、あれは屈辱なんだから! 仕方なく、やらせてあげてるのよ! わたしは不老不死なんだから、あんなもの、必要ないの!」

「でも、初めて会ったときは、今にも死にそうだったじゃない」

「不老不死のくせにね」

 くすっ、と莉奈が笑った。それに瑠音はますます厳しい目を見せる。

「不老不死なのに、霊仙薬が必要なんて、変なの」

「仕方がないでしょ。わたしは西王母さまから、直接蟠桃をいただいたわけじゃないんだもん」

 悔しそうにそう言う瑠音に、ふたごたちは顔を見あわせて笑う。

「それを食べちゃうなんてねー」

「ねー」

 そんなふたりに恨みがましい視線を向けていたものの、瑠音はぱっと立ちあがる。その拍子にスカートがめくれ、中身が見えそうになって悠翔は慌てて目を逸らせた。

「悠翔っ!」

 目の前に、腰に手を置いて立ちはだかる少女。そのツーテールは波のように流れ、セーラー服とスカートの裾も、揺れる。

「もう一回、行ってきなさい! いちご大福よ!」

「ええ、さっき食べただろうが」

「肝心のいちごは、ほとんど食べられなかったわよ! 全部、悠翔のお腹の中!」

 視線に形があったならそれは剣になって、瑠音のいちご大福をおさめた悠翔の腹は切り裂かれていたかもしれない。

 ご主人さまの命令を受けて、悠翔は渋々またコンビニに向かった。しかしいちご大福を平らげるときの瑠音の幸せそうな顔を思い浮かべると、召使い扱いされて何度もコンビニに足を向けることになっても、たいした苦労ではないのであった。

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