プロローグ 美少女とキスと
プロローグ 美少女とキスと
美少女がふたり、キス、していた。
芦馬悠翔は、唖然と足をとめた。
是岩高校の西校舎の裏は、悠翔の帰宅の近道だ。今まで人がいたことなどまずなかった場所なのに、悠翔はそこで人影を見たのだ。
(こんな、ところで……?)
舞う花びらを孕んだ桜色の風が、彼女たちの白いうなじの後れ毛を揺らし、セーラー服の裾とスカートをひらめかせている。耳がかすかに赤みがかっているのが、見るのを憚ってしまうような色っぽさを演出していた。
揃いのグレー地に赤いチェック柄のスカートは、太腿までを隠す長さ。ひとりは白いニーハイソックスを、ひとりは黒いハイソックスを履いていた。
靴は、学校指定の革靴。おろし立てそのままに傷ひとつなくぴかぴかしているところから、同じ一年生なのだということがわかる。
少女たちは顔を寄せあっていて、内緒話でもしているように見えないでもない。しかしやはり、キスだ。ふたりのくちびるは、隙間なく重なりあっている。
女の子ふたりが、キスしている。どう見てもキスシーンであるその光景を、悠翔は思わず凝視してしまった。
(……女の子同士、が……?)
女の子は、三人いた。さらさらと流れる、緑がかった艶を持つ長い黒髪をツインテールに結った少女。その彼女とキスをしている少女は、右にまとめたサイドテール。こちらの髪は褐色がかっていて、そんなふたりを見ているもうひとりの少女――そのひとりは、キスしている少女とは逆の左で結んでいる。
髪を左右それぞれの横に束ねたふたりは、顔がそっくりだ。制服姿で服も同じなので、髪を結んでいる場所以外では見わけができないほどの瓜ふたつ。
そして片方は同じ制服の少女と、キスの真っ最中。そんな光景を目の前に見せつけられて、悠翔の足は動かない。
(学校、なのに……)
校舎の陰に、人通りはない。地面は湿っぽく、ところどころに苔が生えている。確かに秘密の行為をするにはちょうどいい場所だろう。しかし、だからといって。
(学校内で、キスはないだろう……しかもひとり、じっと見てるやつがいるし!)
いったいどういうシチュエーションなのだろうか。この三人はどういう関係で――サイドテールのふたりがふたごであろうことは想像できたが、ではキスしている、ツインテールの少女は。
「……ふ、っ……」
髪をふたつに結い上げたの少女が微かな喘ぎ声をあげて、ふたりのくちびるは離れた。それぞれの濡れたくちびるは、つやつやとしたピンクだ。まわりに舞う桜の花びらにも劣らない。
「これでおっけぇ。二週間は持つわね」
「なんで……、あんたが霊仙薬の持ち主なのよ……」
ツインテールの少女は、ぐいぐいとくちびるを擦っている。恨みがましい目で、右側サイドテールの少女を睨んだ。
そんなところからも、ツインテールの少女は好きでキスをしているわけではないらしい。右サイドテールの少女も、目の前の少女とはキスをするような艶めかしい間柄ではない、なんらかの理由で、仕方がなくしているのだ、ということが伝わってくる。
「あんたが、霊仙薬を作れるんじゃなかったら……」
「あら、お言葉ね。あたしでよかったって思わないの? 髭面の脂くさいオヤジじゃなくてよかったじゃない」
のほほんとそう言う右サイドテールの少女は、面白いものでも見るかのようにツインテールの少女を覗きこんでいる。ツインテールの少女は、ただでさえつり気味できりりと見える目を尖らせて、右サイドテールの少女を睨んだ。
睨まれても馬耳東風、というように右サイドテールの少女は涼しい顔をしている。
「あらら、そんな顔しちゃっていいの? 霊仙薬が切れたら、大変なことになるのに」
ふたりの様子をにこにこしながら見つめていた、左サイドテールの少女が言った。彼女の髪を、春の風がふわりと揺らす。
「那奈がいやなんだったら、あたしでもいいわよ?」
「どっちも、いやっ!」
ツインテールの少女は、屈辱を噛みしめるような表情をした。改めて見るまでもなく、大きな黒目がちの瞳、マッチ棒の乗りそうな睫毛、すっと通った鼻筋に、小さなくちびる。髪や目の黒さが強調されるような白い肌。
なにもかもが『美少女』の条件を満たしている彼女は、恥じらいと怒りが綯い交ぜになったような表情で声をあげていた。頬が少し赤らんでいるのが、ますますその美貌に色を添えている。
左右サイドテールのふたりは、そんな彼女をそっくりの笑顔で見つめ、ツインテールの少女を追いつめて楽しんでいるようだ。
「……あ」
ぱっと顔をあげたツインテールの少女は、悠翔を見た。睨みつけた視線のままだけれど、その目尻にうっすら涙がたまっていること、きゅっとくちびるを噛む仕草がかわいらしくて、悠翔は、見とれた。
「なにしてるの、そこの人!」
きりり、とした声でツインテールの少女は叫ぶ。彼女はつかつかと歩いてきて、悠翔の学生服の胸倉を掴みあげた。
「わ、わわっ!」
少女の力は思いのほか強くて、悠翔は慌てた。手をじたばたさせる悠翔を少女はじっと睨み、低く唸るような声で言った。
「……見たわね」
その声音に、悠翔は反射的に考えた。
この少女に、逆らってはいけない。逆らえば、いったいどのような目に遭うか――それでいて、これほどの美少女に責め立てられるのも悪くない、と思ってしまった。