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英雄の決算(ペイオフ)①

「……クソッ、寒いなんてレベルじゃねえぞ。顧客リストの住所は本当に合ってるんだろうな?」

 視界を白一色に染める猛吹雪の中、男の悪態が風音にかき消される。

 ヴィクトルは襟を立てたチャコールグレーのスーツを更にかき合わせ、凍える指先で懐の魔石カイロを強く握りしめた。

 北の大陸、魔王領との国境線上に位置する『最果ての村』。

 地図上のシミのようなこの場所が、今回の出張先だった。

「座標、住所共に一致しています、ヴィクトル様。ここが元・王国騎士ガルド氏の居住区画です」

 隣を歩く少女――アニエスが、平坦な声で答える。

 吹き荒れる雪が彼女のプラチナブロンドの髪に降り積もっているが、彼女は身震い一つしない。灰色の修道服ハビットに包まれたその身体は、寒さを感じていないのだ。

 不老契約の代償として『触覚(温度)』を銀行に徴収されている彼女にとって、極寒の吹雪も春の微風も等しく「情報」でしかない。

「お前はいいよな、寒くなくて」

「推奨温度を大幅に下回っていますが、身体機能に支障はありません。それよりヴィクトル様、鼻水が出ています」

「うるさい。……ったく、なんで俺がこんな僻地まで回収に来なきゃならんのだ。郵送で請求書を送れば済む話だろうに」

 ヴィクトルは忌々しげに安タバコの箱を取り出そうとしたが、風で飛ばされそうになり慌ててポケットに戻した。

 左目には銀縁の片眼鏡モノクル。だがそれは何の機能も持たない、ただの伊達眼鏡だ。彼にとって、これは「銀行員」という仮面を被るための儀式のようなものだった。

「到着です」

 雪に埋もれかけた一軒家の前で、アニエスが足を止める。

 ヴィクトルは凍り付いたドアノブを無理やり回し、逃げ込むように屋内へと滑り込んだ。

          ◇

 家の中は、重苦しい沈黙と薬草の匂いが充満していた。

 暖炉の火は細く、部屋の隅には心配そうな顔をした家族が集まっている。三十代くらいの女性とその夫、そして母親のスカートの裾を握りしめている五歳くらいの少女。

 彼らの視線が、雪まみれのスーツの男と、喪服のような修道女に向けられる。

「あ、あの……父の、知り合いの方でしょうか?」

 娘と思しき女性がおずおずと尋ねてくる。ヴィクトルは濡れた肩を払い、モノクルの位置を直しながら、営業用の薄い笑みを浮かべた。

「ええ、まあ。『大陸中央銀行』の者です。ガルド様に少々、資産のご提案がありまして」

「銀行……? 父にお金の話なんて聞いてませんが……」

「当行の中でも少々特殊な部署でしてね。お父上の『今後』に関わる重要案件です」

 その言葉に、家族の顔色がさっと変わる。

 奥の寝室から、重い咳き込み音が響いた。

「……通せ、マリア。その客人は、私が呼んだ」

 しわがれているが、芯の通った声。

 ヴィクトルは家族に軽く会釈をし、アニエスを連れて寝室へと足を踏み入れた。

 ベッドの上には、一人の老人が横たわっていた。

 ガルド。かつて『辺境の英雄』と謳われ、一本の剣で幾多の魔物を退けた伝説の騎士。

 だが今、そこにいるのは病魔に蝕まれ、枯れ木のように痩せ細った老人だった。布団から出た腕には無数の古傷が刻まれているが、今の彼に剣を握る力は残っていないだろう。

「……よく来てくれた、銀行屋。遠路はるばるすまんな」

「仕事ですから。それに、ここに来るまでに交通費コストが嵩みました。その分はしっかり回収させていただきますよ」

 ヴィクトルはベッド脇の椅子にどさりと腰を下ろし、脇に抱えていた分厚い『黒い帳簿』を開いた。

 ガルドが視線だけで家族を促す。

「マリア、すまんが席を外してくれ。大事な商談だ」

「でもお父さん! こんな怪しい人たち……」

「いいから。……頼む」

 老騎士の懇願に、娘は唇を噛み締め、幼い孫娘を抱きかかえて部屋を出て行った。

 パタン、と扉が閉まる。

 部屋には、死にかけた老人と、二人の銀行員だけが残された。

「さて、本題に入りましょうか。ガルド・フォン・アイゼンベルク氏」

 ヴィクトルは事務的な口調で切り出す。

 アニエスは無言のままヴィクトルの背後に控え、記録用のペンと羊皮紙を取り出した。

「単刀直入に言います。貴方の病状は末期だ。肺の機能は既に三割以下、心臓も限界に近い。現代医学……いえ、教会の『下位回復魔法』程度では、もう手遅れです」

「……ああ、分かっている。自分の身体だ」

「そこで貴方は、我々『大陸中央銀行・特別資産管理課』に救いを求めた。違いますか?」

 ガルドは苦しげに息を吐き、ゆっくりと首を縦に振った。

 その視線は、ヴィクトルではなく、窓の外に向けられている。分厚いガラスの向こうでは、相変わらず激しい吹雪が世界を閉ざしていた。

「……この村はな、一年の半分が雪に閉ざされている」

 唐突に、ガルドが語り始めた。

「作物は育たず、魔物は多い。若い者は皆、南の都市へ出て行く。……だがな、銀行屋。たまに晴れた日、この窓から見える日の出は……本当に美しいんだ」

 老人の瞳が、遠い記憶を見るように細められる。

「雪原が黄金色に染まって、空気がダイヤモンドみたいに輝く。亡くなった妻も、それを愛していた。『この景色があるから、私たちはここで生きていけるのね』と……そう笑っていた」

「…………」

「俺は約束したんだ。この平和な景色を、いつまでも守るとな。……妻はもういないが、あの部屋には娘たちがいる。孫もいる。あいつらが、俺の守るべき『未来』だ」

 ガルドは痩せこけた手を握りしめ、ヴィクトルの方へ向き直った。

 その双眸には、病人とは思えないほど強い、戦士の光が宿っていた。

「頼む、銀行屋。俺に力を貸してくれ。ただ生き延びるためじゃない。……この村に迫っている『脅威』から、家族を守るための力が欲しいんだ」

 ヴィクトルは表情を変えず、懐から安タバコを取り出して咥えた。

 火は点けず、ただフィルターを噛み潰す。

「……ふん。美談ですね。ですが、我々は慈善事業団体じゃない。感動的なエピソードで金利が安くなると思ったら大間違いだ」

 冷たく言い放ち、ヴィクトルはガルドの顔を覗き込む。

 

「見せていただきましょうか、ガルドさん。貴方の魂に、どれだけの『価値』が残っているのかを」



 ヴィクトルは片眼鏡モノクルの位置を指で直すフリをして、左目を細めた。

 一瞬、その灰色の瞳孔が爬虫類のように縦に裂け、人間ならざる光を帯びる。

 ――『負債視デット・アイ』。

 それは機械の力ではない。彼という存在が生まれつき持つ、捕食者の視覚だ。

 ヴィクトルの視界の中で、ガルドの肉体が透け、その奥にある「魂の灯火」が可視化される。

 蝋燭の炎のようなそれは、今にも消え入りそうに小さく、頼りなく揺らめいていた。

「……む」

 その炎の根元に残された「燃料」の量を見て、ヴィクトルはわずかに眉を寄せた。

(……酷いな。これじゃあ絞りカスだ)

 残り三日。それがこの英雄に残された時間の全てだった。

 風前の灯火どころではない。もはや燃え尽きた灰に、わずかな余熱が残っているに過ぎない状態だ。

 ヴィクトルはふぅ、と小さく息を吐いて瞳を元の状態に戻し、手元の黒い帳簿にサラサラとペンを走らせた。

 そして、パタンと重々しく帳簿を閉じる。その音が、死刑判決のように部屋に響いた。

「審査結果をお伝えします」

 ヴィクトルは事務的な声音で告げた。

「融資は不可能です。貴方の申請は却下リジェクトされました」

 ガルドの目が見開かれる。

「……な、なんだと? 却下だと?」

「ええ。貴方が求めているのは、肺と心臓の機能を修復し、かつ全盛期の活力を取り戻すための『上位回復魔法』相当の融資だ。これを行使するためのコストは、人間の寿命換算でおよそ五年」

「ご、五年……」

「対して、貴方の資産(残存寿命)は残り三日しかありません。担保割れもいいところです。これではローンは組めません」

 ヴィクトルは淡々と事実を突きつける。

 銀行はリスクを嫌う。回収の見込みがない人間に投資するほど、彼らの組織は甘くない。

 ガルドは震える手でシーツを握りしめ、必死に身を乗り出した。

「ま、待ってくれ! 金ならある! 現役時代の蓄えも、国から貰った勲章も、この家の権利書だってあるんだ!」

「ガルドさん」

「裏庭に隠し財産の金貨だって埋めてある! 全部やる、全部あんたらの銀行に預けるから! だから……!」

 老英雄の悲痛な叫びが、狭い寝室にこだまする。

 だが、ヴィクトルの眼差しは冷ややかなままだった。彼は溜息交じりに首を横に振る。

「勘違いしないでいただきたい。我々は『特別資産管理課』だ。我々が取り扱う通貨は『時間』と『魂』だけなんです」

「金貨じゃ……駄目なのか?」

「金貨で寿命が買えるなら、王侯貴族は全員不死身になっているでしょう。……残念ながら、貴方の魂の与信枠クレジットは既に空だ。これ以上、未来の前借りはできません」

 それは、絶対的な通告だった。

 ヴィクトルは椅子から立ち上がり、スーツの皺を直す。

「無駄足でしたね。行きましょう、アニエス」

「……はい」

 ヴィクトルは呆然とするガルドに背を向け、躊躇なく部屋を出て行く。

 背後から「待ってくれ、頼む!」という掠れた声が聞こえた気がしたが、振り返らなかった。

          ◇

 リビングに戻ると、マリアたちが不安そうな顔で駆け寄ってきた。

「あの、父は……?」

「……今はそっとしておいてやってください」

 ヴィクトルはそれだけ言い残し、逃げるように玄関を出た。

 外は相変わらずの猛吹雪だ。頬を刺すような冷気が、室内の重苦しい空気を洗い流していく。

 膝まで埋まる雪道を歩き出し、村外れへ向かう。

 しばらく無言で歩いていたが、後ろをついてくるアニエスが、ぽつりと口を開いた。

「……見殺しにするのですか、ヴィクトル様」

 その声には抑揚がない。非難めいた響きもなく、ただ事実確認をするようなトーンだ。

「あの個体……ガルド氏の魂は、まだ輝きを失っていませんでした。家族を守りたいという意思は本物です」

「だからどうした」

 ヴィクトルは吐き捨てるように返す。

「意思だけで飯が食えるか。覚悟だけで病気が治るか。……俺たちは審査部の人間だぞ、アニエス。数字が全てだ」

「しかし、ヴィクトル様は以前……」

「以前の話はするな」

 ヴィクトルは苛立ち紛れに、吸ってもいないタバコを雪の中へ放り投げた。

「あいつの寿命はあと三日だ。それが運命だ。……俺たちにできることは何もない」

 そう自分に言い聞かせるように呟き、ヴィクトルはコートの襟を立てる。

 このまま村を出て、次の回収先へ向かう。それで終わりのはずだった。

 ――その時。

 ドォォォォォォォォンッ!!

 地響きと共に、村の入り口付近で巨大な爆発音が轟いた。

 雪煙が舞い上がり、けたたましい警鐘の音が風に乗って聞こえてくる。

「……チッ、なんだ?」

「魔力反応、多数。村の防護柵が突破されましたようです」

 アニエスが虚空を見つめ、淡々と報告する。

「襲撃です。魔族の群れが、村に侵入しました」


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