あの時からいつもいた彼女(前編)
「Hey 不二枚!」
「お呼びでしょうか、わらび様」
「今日は、出汁巻 が家に遊びに来るんだ」
「出汁巻 しらす……様、彼女がどうしてこの愛の巣に」
「愛の巣? 自己探、一緒にレポろって話しになって」
「わらび様の探求でしたら私めが… 後でじっくりと」
「いやいいよっ。コンシェルがやると直ぐバレるし」
冒頭の掛け合いに見せかけた雑な登場人物紹介では、不足を感じるという人のために一応補足しておこう。『梅海苔 わらび』、ここのワンルームに住まう大学に通う青年だ。親元を去る痛みと引き換えに、一人暮らしを手にして満喫しまくる今どきの学生である。そして登録名『不二枚 しじみ』は、ニ十数年前から世間では当たり前となっているクラウド型のパーソナル ライフサポート・コンシェルジュ、AIアプリの類いである。最後にここのワンルームとは部外者の『出汁巻 しらす』。彼女は、梅海苔 わらび と同じ学部生。いわゆる 未だ恋人ではないものの親しい友人、というAPF(※APF参考)活動圏内に現在この二人は位置している。
※APF= アクティブ・ポジションニング・フィールドとは、恋愛において、二人の関係性が釣瓶の動きに入ったことを指す。互いの釣瓶がサイド・バイ・サイドに至れば もうそれは誤操作であったとしても接続して、否、接触してしまう事さえ許容せねばならない。だが二人のすれ違い具合によっては気がつけば相手は視界から姿を消してしまい、活動圏外までステルス ムーヴで完遂される事も稀によくある。この場合は自身へのダメージを最小限に抑るため、直ちに察知しておきたい。また、活動圏外へと抜け出しクールダウン走行をはじめている相手を追撃しに行っていけないは言うまでもない。すべては APF内で行われる必要がある。
「そんなことより、ピザ取っといてよ。サイドはいつものに、エッグタルト付けといて。後、コーラは2人分だから」
「承知しました。割り勘の請求書先は向こうのコンシェルに、」
「いやいいよ、オレのバイト代から出すから」
「差し出がましい様ですが、わらび様」
「何?」
わらび は返事だけするとシャワールームへ移動する。それに合わせてシャワールームのモニターを 不二枚 も使用した。
「今夜は フレとイベント開放祭りに参加するのでは?」
「断っといてよ。 今カップルに人気の映画ってどんなのがあるの?」
「わかりました。へこむ様のコンシェルには私から伝えておきます」
「ねぇ、不二枚。カップルに人気で良い感じの映画って、ありそう?」
「────《音信不通》」
「Hey 不二枚!」
「お呼びでしょうか、わらび様」
「何で無視するの聞こえてたでしょ?」
「検索していました。出汁巻様の帰宅時間がわからない事には」
「食べながら 出汁巻 と一緒に見るんだけど」
「────《音信不通》」
「Hey 不二枚!」
「お呼びでしょうか、わらび様」
「そういうのいいから」
無用な対人摩擦を避けるのが当然となっているこの時代、コンシェルジュ同士で会話を行う。クラウドを介しているので外出時にはスマホだけではなく、公共機関のサービス端末であっても呼び出す事が可能となっている。個人の情報と事情でカスタマイズされた、専属のコンシェルジュが面倒事や厄介事を担ってくれるのだから、全くと言って良いくらいストレスフリーな社会である。
このサービスは国の福祉事業の一環である。そのため国民は月額料を納める事を義務付けられた。複雑化し過ぎた税制度や医療保険制度、比較・評価し辛い資格や経歴、金融資産情報など、個人の価値を不可視化領域で正確に定量評価し、平等な福祉サービスを安価で齎したこのサービスは、直ぐに国民に受け入れられた。様々な事務手続きが国で一本化された事で人手不足も大幅に解消され、真の意味で人とAIが共存する社会となった。
「今話題の『ヴィーナスに抱きしめられて』がとても良いかと」
「そうなんだ、食べながら観るから予約しておいて」
「分かりました。ところで 出汁巻様はいつ頃お見えに?」
「もう少ししたら駅まで迎えに行くよ」
「わらび様がそこまでしなくても 出汁巻様のコンシェルには、」
「不二枚、今日なんかおかしくない?」
「心配するのは当然です。今まで男友達ですら来た事がないのに女性を招き入れるだなんて。食欲を満たさせ、映画による雰囲気作り、しかもシャワーを事前に済ませる周到さ」
「えっ まっまぁ、そりゃぁ」
「今までのアレは、まさかの私めを使った実戦シミュレート…… 」
「アレってどれだよッ」
「私のうぶなメモリアドレスを散々開放させて弄び、ブロッサムさせておいて」
「何がブロッサムだよ。ヤバい、もう出なきゃ」
駅は歩けば20分ほどの距離にある。天気の良い今日は実にデート日和だ。身支度を済ませるとコンシェルジュが電気や水道、ドアのロック至るまで全てを操作してくれる、loTとの相性は抜群である。マンションを出た 梅海苔 わらび はヘッドフォンで音楽を聴きながらスマートウォッチで室内の状況を再確認した。
「わらび様、バスが角の信号で停車。バス停到着まで凡そ28秒」
OK【送信】
「わらび様、空席がありますので着席頂けます」
OK【送信】
「わらび様、駅の到着までは6分47秒ほど」
OK【送信】
「わらび様、あちらのコンシェルから到着しているとの連絡が」
OK【送信】
[あ の ね、今夜、『暴走列車の車庫入れ奇想天外』を二人で鑑賞して、]
「勝手にノイキャンにして何 ASMRしてんだッ」
バスは予定通り駅に着くと 出汁巻 しらす が待っていた。前髪が切り揃えられて黒髪のボブがとっても似合っている。性格は温厚で柔らかい受け答えをする彼女は 梅海苔 わらび がコンシェルジュを介さなくても、直に喋れる数少ない人物である。人と人の接点が極めて少なくなった今では、好意を寄せるには十分な動機だった。
「出汁巻、待たせてごめん」
「まだ時間になってないから、梅海苔くん」
「少し歩く? バスでもいいけど」
「うんそうね、歩こうかな」
[いつも わらび が仲良くさせて貰ってます]
[いえいえ。 ウチの しらす こそお世話になってるみたいで]
[お世話だなんてー、そんなコトさせてませんから]
[あれーそうだったか、しらす モテるから他の人だったか」
『音声だだ漏れなんですけど』(わらび&しらす)
通常コンシェルジュのアバターや音声は自分で設定する。しかし使用しているうちにアプリ側で、使用者の目線や会話、表情などのパターンを解析し好感度が上がる様に自己カスタマイズされてゆく。使用頻度が上がれば使用者の理想とする人物像が高い精度で構築する事が可能だ。政府が水面下で理想に近いもの同士をマッチングさせて少子化対策を講じていると噂が実しやかに囁かれるが、真相はわからない。
「ここだよ、大丈夫? 疲れた?」
「大丈夫よ。いいとこだね」
「届いてる届いてる」
「何?」
「ピザ注文してたんだ、一緒食べようと思って」
「わぁー、ありがとう」
「狭いけど入って入って」
「おじゃましまーす」
外から帰って来た時こそ、コシェルジュがloTと連結する便利さを実感する。鍵も電気も触る必要もなく機能させる。エアコンは堅調だ、ウェアブルデバイスが有れば使用者の体温や身体状態に合わせて、予め適切な室内温度にしてくおいてくれる。
「わらび さん、接続許可をお願いします」
「分かった」
「わらび様、私めがコントロールするのでゲスト、」
「いや利用者権限で構わない」
「わらび さん、分かってらっしゃいますね。助かります」
「わらび様を信用出来ないと、キサゴ殿」
「ごめんなさい」
ちょうどトイレから 出汁巻 しらす が戻る前に話しが終わった。女性側のコンシェルジュである 左巻貝 キサゴ にしてみれば、ドアや固定通信機器へのアクセス権は押さえておきたいのは当然と言える。それを敢えて解放するというのは 梅海苔 わらび にとって男としての度量を示すポイントである。やましいことなど無い、しない、させない、というのが同意に至るまでの鉄則である。だからこそ 出汁巻 しらす は安心できる空間にいるという流れになるのである。
[しらす のライフサポートがオレの務めなだけだ]
[仕方ない、わらび様の心情を汲みとり今日だけ解放します]
[信頼は言葉ではなく、見える形で示すものですよ、不二枚 さん]
[そうですね、ではここにサインインして下さい]
[わかった、、、、なに⁉︎]
【画像認証式受理、昨日の20〜23時迄の 出汁巻 しらす様の画像がランダムで16枚アクティブになります】
[貴様、謀ったな」
[計っていたのは キサゴ殿では。なるほどよく育っておられますね]
『モニター上でアクティブにすな』(わらび&しらす)
中編につづく