第一章3話 「必要なこと」
……決まった。現状最大の手札を、胸を張りながら言い放った。
ふん、と少し自慢げにしていると、予想に反し、ヴァルターは少し深刻そうな曇った表情になっていた。
「記憶が……無いのか?」
記憶が失われている、こんな幼い女の子が記憶を失っているのだ。一体どんなことがこの子の身に起きたのか、母なら何か知っているかもしれないが……。書記には何か手がかりがあるだろうか。俺は鞄から書記を取り出してパラパラと確認してみる。すると、始めの方にそれらしき記録が残っていたので、改めて確認していく。
『今日、全てが変わりました。後世に伝…るため、そ…をここに記し…す。』
途中から所々文字がふやけて滲んでいるが、こう綴られていた。
『お…様の身の安全は取れましたが、…都は未だ混…状…に……ます。夜………と……ータ・…ァ…スが……』
この後に書かれている部分は、とてもじゃないが読める状態ではなかった。
「っかあぁー! 気になる所は全部滲んでいやがるぜ」
「っ! ……急に叫ばないでください、心臓に悪いですわ」
「あ、あぁ。すまない…」
少し自分の世界に入り込んでしまっていたようだ。
この後、何か思い出すきっかけにと、補足をしながら彼女にも読ませてあげたが、頭に痺れが走る以外は全く変化が無かったそうだ。
「ありがとうございます。思い出せはしませんでしたが、なんとなく想像はできました」
読みながら現在の補足を貰い分かった事は、聖都と呼ばれる街があることと、その聖都を放棄し、今は新聖都と呼ばれる別の場所へと移っていることだ。
「ちなみにだが、今は元々あった聖都のことを旧聖都と皆は呼称している」
「なるほど。となると、まず向かうべきは新聖都ということですね」
「そういうことになるな」
「ここから近い聖都はどのくらいで着くのでしょうか?」
「ここからであれば、直ぐに出立する場合だと早くて二日、遅くても四日で着くはずだ」
ヴァルターさんの想定で二日から四日だと、私はもう二日ほど足して考えておいた方がいいだろう。道中は野宿をすることになるだろうし、無駄に時間がかかることは必至だ。
「そうですか。では、私は早速ですが新聖都へと向かうことにしますね。ヴァルターさんより時間がかかるかと思いますので」
ヴァルターは少し微笑みながら「おいおい」と続ける。
「何言ってんだ。もちろん俺も行くぜ、丁度聖都に戻る用事もできた。それに、嬢ちゃんの記憶について知っている人に心当たりがあるし、会わせてやりたいと思ってる」
そうだ、ここの調査依頼をした母さんなら何か知っているはずだ。まずは会って話を聞くことが重要だろう。
「分かりましたわ、正直とても頼りにしています。道中、よろしくお願いしますね、ヴァルターさん」
「おう! そうと決まれば早速出発するとしよう、場所は新聖都ルミナスってところだ」
二人は直ぐに食料などを準備して、新聖都ルミナスに向けて出発した。
この日以降、地震が起こることは無く、周辺の人々がそのことに気づくまでに時間は掛からなかった。それによって動き出した者たちの事は、まだ二人は知る由もない。
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この洞窟のような場所から外に出ると、そこは遺跡のような建造物で溢れていた。何度目かの階段を降りて、ようやく開けた道に出る。
とりあえず遺跡と称したあの場所を出発して直ぐに、運よく新聖都ルミナスへ向かう商人の一行が通りかかったため、一緒に乗せてもらえるようにヴァルターさんが話を付けてくれた。これで大幅に時間を短縮できるだろうとのことだ。
「商人のリヒャルト・バルトリーと申します。男爵位を頂いておりまして、新聖都ルミナス統治領にある辺境のエルハイン村を管理しております。以後お見知りおきを」
「聖都には統治領があるんですね」
「……? ええ。五つの聖都に、それぞれ統治領がございますよ」
「悪い、嬢ちゃんはこの辺に詳しくないんだ」
何気ない会話をしながら軽く挨拶を交わし、ヴァルターと共に商人の荷馬車に乗り込んだ。ガタガタと揺られながら道中を過ごしていると、私の服を見兼ねてリヒャルトが服を譲ろうかと話しかけてくれた。
申し訳なく思いつつ、今のボロ服のままで居るわけにもいかないので、ありがたく貰う事にした。どうやら娘の古着を売りに出すために、何着かまとめて持ってきていたものから一着分けてくれるそうだ。リヒャルトは「この中から選んでくれ」とざっと数着分けてくれたので、私は古着の小山を物色する。
「どれも良い服ばかりですけれど、こんなにまとめて売るなんて何かあったんですか?」
「はい、それが新聖都へ向かっている理由でもあるのですが、住んでいた村が夜哭教団に襲われて村を出ることを余儀なくされまして。なのでひとまず、荷物整理を兼ねてまとめて売ろうと思った次第です。新聖都へは、避難民受け入れ申請をしに向かっております」
「夜哭教団?」
村を襲うような教団があるのは少し怖い存在だ。気を付けようがあるかは分からないが、多少は気を配っておかなければいけないだろう。
「そういや、嬢ちゃんは知らないよな」
ヴァルターは夜哭教団について続けて説明してくれた。
「夜哭教団ってのは、約五十年以上前からある古いカルト教団だ。表立った動きは、確か五十年前の聖都陥落事件が初めてだろうな」
「その教団が今の旧聖都を陥落させたんですか?」
「ああ。どうやら別の組織も一枚噛んでいたと噂があるが、確定情報はほぼ無いに等しい。概ね夜哭教団が当事者で間違いないだろう」
なるほど。旧聖都がどのくらいの大きさかは知らないけれど、街を一つ陥落させられるほどの組織ということは憶えておいた方がよさそうだ。
「その事件、もしや【月の災禍】と呼ばれているあの事件ですかな?」
別の商人も加わり、教団のここ最近の表立った動きに気を付けた方が良いことを教えてくれた。
「その教団ですが、最近からまた動きが活発になっていると商人の間で噂を聞くようになりましたので、もし名前を聞くようでしたら関わらないように気を付けてくださいませ。奴らは何故か、行動を起こす際に教団の名を名乗るようですから」
名乗りを上げる? ここまで規模の大きい組織であれば、そこには明確な理由があるはずだけれど、今考えても正解にはたどり着けないだろう。
そんなことを考えながら私は服を一着選び、手に取る。胸元にリボンの付いた白のシンプルなワンピースだ。
「あ、服は決まりましたか?別の荷馬車に着替え用のものがありますので、一度休憩を兼ねてここで止まりましょうか」
荷馬車は道から少し外れて、ちょっとした川辺へと移動した。
私は着替え用の荷馬車での着替えを終えて外に出ようとすると、なんだか外が騒がしい様子だ。
「何かあったんですか?」
少し気になり、人が集まっているところへと駆けていく。
「それが……」
そこには、全身水浸しな少年の姿があった。
少年を見つけた人の話を聞くと、気絶した状態で川上から流れてきたそうで、偶然通りがかりで流れていくのが見えたという。
応急処置されているのをしばらく数人で見守っていると、突然、少年は息を吹き返した。
「……! みっ、水が……っ、息が、でき、る?」
じたばたと動いていた少年は、段々と落ち着いた様子を取り戻し始める。
「俺は……まだ生きている、のか」
少年は自分の体がまだ動くことを確かめ、そのまま周囲へと目線を映し、なんとなく状況を把握した様子を見せる。
「すまない、どうやら世話になったらしい。命を拾った、ありがとう」
まだ少し混乱している少年は、不意にセリーナと目が合い、驚きの表情へと変わった。
「……っ、ノエリア!?」
「……へ?」
そのまま両肩を掴まれて、ぶんぶんと体を振られる。
「なぜおまえもここにいるんだ?! 今はオルティナで動いているはずだろ?」
突然の行動に、ヴァルターも思わず少年を引きはがす。
「おいおい、ちょっと落ち着けよ少年。嬢ちゃん、知らないと思うが、ノエリアって名前に聞き覚えはあるのか?」
「すみませんが、全く知りませんわ」
「知らない? あ……あぁ、すまない。言動が全く違うし、見た目が似ているだけみたいだ」
その言葉を聞き、少年は少しずつ冷静さを取り戻してきた。
そんな中、少年の言っていた事についてヴァルターが話を切り出してきた。
「それは良いとして、だ、少年。お前の言っていたオルティナってのは、聖都オルティナのことだな? それは新聖都のことか?それとも……」
「……っ!」
少年の顔が暗く曇り、明らかに何か隠している様子を見せる。
「現状、旧聖都の場合、お前は夜哭教団に関与している事になるが、どっちだ……?」
ヴァルターは私やリヒャルトに離れるように指示して、少年に対して警戒するように促す。
「…………」
しばらくの沈黙が続き、少し焦りとも感じる表情の少年は口を開いた。
「……ああ、そうだよ。俺は、俺たちは夜哭教団の一員さ。でも、だから何だってんだ! 俺だって……っ、村を襲われて、俺たち子供は教団に入るしか生きる道が無かったんだ! 聖都のやつらは教団の名を聞いただけで離れて行きやがる! でもそんな時に助けてくれたのはノエリアだけだ、ノエリアはこんな俺たちを受け入れてくれようと……」
それを聞いた全員が、あまりの内容に黙り込んでしまう。中でも特に、リヒャルトは顔を青ざめさせていた。教団は襲った村から人員を確保していて、しかも子供だけを狙っているような様子だ。
「そ、そんな……。もしや今、エルハイン村は……!」
「「……!」」
私とヴァルターは顔を見合わせて頷いた。
「奇遇だな」
「奇遇ですね」
どうやら同じことを考えていたらしく、そのままリヒャルトに向けて言い放つ。
「「リヒャルトさん、私(俺)たち、エルハイン村に行きたいと思っていたところ(だ)です」」