プロローグ
「おはようございます、お嬢様」
外から鳥のさえずりが聞こえてくる中、カーテンを開けて窓の左右に紐でまとめながら、側近メイドのフロリアーナが朝の挨拶をする。
「うぅ、あと五分寝かせてちょうだい……」
まだ意識がはっきりとしない中、少し声をふり絞りながら返事をする。
何度も朝は弱いと言っているのに、早朝から公務の予定が詰めつめなのだ。このまま続くくらいなら、いっそ抜け出してやりたいほどだ。
「いけません。本日は夜にお披露目会がございますので、午前中にダンスレッスンと、礼儀講座、午後にはドレスの着付け調整が予定されております」
そうだ、今日はお披露目会があるんだった。
お披露目会は、十二歳になった子供たちが大人の仲間入りを果たすと共に、盛大にお祝いする会だ。
新聖歴80年の歴史を持つここアルカペンテ聖王国では、十二歳を迎えると成人になる。
そんな私は、今年で十二歳を迎える。
聖王国は、北に位置している聖都フェルグリムを始め、そこから東、東南へと順に、オルティナ、ルミナス、エリュシアン、サンクティオといった五つの聖都が存在している。
中でも、私の住んでいる聖都フェルグリムは首都とされており、お父様である聖王とお母様の聖王妃と共に、フェルグリム城で暮らしている。
聞くところによると、毎年聖都全域から十二歳になる子供たちが一斉に集まるため、食事の準備など一苦労だそうだ。
今年は私もお披露目会に参加する内の一人であり、さらにはその中で身分が一番高いため我が家であるフェルグリム城が会場となっているが、正直あまり気乗りしていない。
どちらにせよお披露目会の開催は決まってしまっているため、できるだけお父様とお母さまに恥をかかせないよう、しっかりと準備しなくてはならないだろう。などと考えながら、むくりと上体を起こす。
「本日は、お庭で採れたフェルグリーフのストレートでございます」
ベッドの端まで寄ってから座り、淹れてもらった紅茶を飲む。
いつもながら最高においしい。今はまだ冷える季節のため、身体にじんわりと温かさが染みわたるのを感じる。
「ん……」
短い両手を頭の上に伸ばし、朝の着替えを進めてもらう。
「ふわぁ……眠い……」
朝の身支度を終えると、レース入りの白いフレアワンピースを身に纏っていた。動きやすさ重視のそのデザインは、ここ最近のお気に入りだ。花柄のレースが朝の光に優しく映えている。
それから部屋を出て、入口に立っている近衛兵二人と朝の挨拶を交わす。
「おはようございます、近衛の方々」
近衛の二人が「おはようございます、お嬢様」と軽く会釈する。そのまま二人も後ろに付いてレッスン部屋までの廊下を歩いていく。
向かっている途中、ふと外の様子がいつもより騒がしかったので気になり見てみると、何やら正面の城門に人が集まっている。門兵と合わせて四、五人ほどだろうか、少し遠くてはっきりとは見えないが、服装はここからでもかなり年季の入った服装だと分かるほど汚れていた。
今日はお披露目会もあり、いつもよりも街に人が多い分そういった人たちの動きも活発になっているのだろう。
そんなことを考えながらレッスン部屋に着くと、朝にはとても似あわないような元気な声が聞こえてきた。
「さぁ、お嬢様! 今日も張り切って踊るわよ!」
……抜け出したい。
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そんなこんなで、あっという間にお披露目会の時間がやってきてしまった。
「お父様、お母様!」
「おぉ! セリーよ、こちらに来なさい」
両手いっぱいに広げたお父様に駆け出し、そのまま胸の中へと飛び込んだ。
「全くこの人ったら、セリーナにとことん甘いんだから」
両親のと合流して、まずは食事をとることになった。
「セリー、ダンスや礼儀はもうばっちりだそうね、なんだか離れていってしまうようで私寂しいわ」
「まだ十二の歳ですわお母様、来年から学園に行くことにはなるでしょうけど、聖城から通うため全然離れません」
正直な所、成人するタイミングで独り立ちを求められないかと、内心少しヒヤヒヤしていたことは隠しておいた方が良さそうだ。
食事が進む中、今年成人になる子たちが順に挨拶しているようで、最後に私の番が回ってきた。
「……何を言ったらいいのかしら」
これといって思いつくものが無いし、取り敢えずありきたりな事でも言っておこう。
私は食事のテーブル席から降りて、さらに階段を降りた先にあるちょっとしたステージに立つ。
「おぉ……」
「あれが噂の……」
「なんて可愛らしいの!」
「……あんな子どもが、今回の……?」
私はあまり外出しないため、色白で銀髪という容姿から、『聖女』と呼ばれているらしい。八歳の頃、父に同行して一度城下町に行っただけで、それ以来、私のイメージは勝手に一人歩きしているようだ。
様々な言葉が飛び交う中、簡単な挨拶から始める。
「皆様、お初にお目にかかります。聖王イオス・フェルグリムと、聖王妃リュディア・フェルグリムの娘、セリーナ・フェルグリムと申します。」
軽くお辞儀をして手を振りながら続ける。
「本日より、聖なる地フェルグリムの加護の下、私達は成人としての一歩を踏み出します。この恵みと使命を胸に、聖都と人々の幸せを守ることを誓います。改めまして、皆様、共に歩む未来をどうか祝福してください」
ワッと拍手と歓声が起き、ニコッと愛想笑いを振り撒きながら食事席へと戻る。
「とてもいい挨拶でしたよ、セリー」
「うむ! さすがは我が娘セリーナだ!」
「ありがとうございます、お母様、お父様」
褒められて頬が温かくなるのを感じ、ふふんとしながらも何とか平静を装う。
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それからしばらくして、両親は爵位を持つ者たちに挨拶周りを行っており、私はフロリアーナと二人で席に取り残されていた。
「お嬢様、何か食べたい物などございますか?」
「もうお腹いっぱいよ、ありがと、リア……」
ウトウトしながら返事をする。夜も深くなり、お腹もいっぱいでさすがに眠くなってきてしまった。
「ふふ、成人になったとはいえ、お嬢様はお嬢様ですね。少し気張っていた私が恥ずかしいです」
「ふわぁ、なによ、それぇ……」
フロリアーナの華奢な腕にすっと抱えられ、その場を後にする。
フロリアーナの腕の中で揺られながら、私室までの廊下を進んでいた、はずだった。
「いで! あれ……リア?」
唐突な衝撃に目が覚める。抱えられていた腕から落ちて尻餅をついてしまったようだ。
地面に触れた手に、ピチャ、と濡れた感触があり振り返ると、そこには倒れているフロリアーナの姿があった。
「リア!!」
慌てて駆け寄り、めいっぱい揺らして声をかける。
「…リア! リアーナ! どうしたの?! 返事をしてよ…!」
今までこんなことが無かったため、頭が混乱してしまう。誰か呼ばなきゃ、でも誰を呼べばいいのか分からない、病院には私じゃ運べない、病院…お医者様、そうよ、城内には掛かり付けのお医者様がいたはず……!
やっとのことで思考が固まり、駆けだそうとしたその時だった。
「こんなのが噂の聖女とはな……」
唐突な声に体がビクリと跳ねて驚く。無感情でありながらも少し威圧的な声だ。
恐るおそる振り返ると、そこには聖城に似つかわしくない少しボロついた衣服を身に纏う少年の姿があった。
まだ少し幼い印象で、歳も同じくらいだと思われるその少年が続けて言った。
「あいつとは大違いだ……着いてこい」
少年は腰かけの鞄からカチャと手錠を取り出し、セリーナへと施錠しようと試みてきた。
「あいつ?……なっ! やめて!」
必死の抵抗も虚しく、あっという間に両手と両足に施錠されてしまう。
「……引きずられたくなけりゃ歩くこった」
急なことばかりで頭が追いつかない。ただ、引きずられるのは嫌なので歩くことにした。
向かっている方向から察するに、裏口へと向かっているようだ。
道中に廊下で何名か騎士やメイドが倒れている様子が見えて、この後私も殺されるのではないかと恐怖に身体が飲み込まれていく。
しばらく移動した後、五、六人の男女が集まっている場所に着いた。その中で人一倍大柄な男が声を掛けてくる。
「レイフ、仕事の方はどうした……?」
「ああ、こいつが例の姫さんだ」
ぐいっと手錠ごと引っ張られ、集団の中に投げ出された。
「いた”っ……!」
「おいおい、粗末にするもんじゃねぇぞ。これから商品になるんだからな」
……商品? 私…身売りされるの?
「詳しくは知らないけど、遠国で実験に必要なんだとさ」
「……俺には知ったこっちゃねぇよ」
遠国、実験…? そんなの嫌……。思考が思うようにまとまらず、感情が外に漏れ出てくる。
「い、いやよ、お…父様……、お母、様……」
手錠された両手を使いながら、その場から這って逃げようと試みるが、小柄な少女の移動距離は知れたものだった。あっけなく首根っこを掴まれ、元の場所へと投げ戻される。
ぽろぽろと涙が溢れてきた。何も考えられない。ただ、すぐそこに見えるあの聖城へと帰りたいだけなのに。
「おいおい、泣いちまったぞ。レイフなんとかしろよ……」
「……っ! なんで俺が!」
「聞けば同い年だっていうじゃねぇか、年頃のやつは同じ年頃が相手をしろってのー」
「くっ……」
仕方ないといった様子で、レイフが顔を覗き込んでくる。
「おい、泣くな。それでもこの聖都のお姫様なんだろう、それならば相応の態度を取って見せろよ」
何を言っているんだ、と正直思った。フロリアーナから私を攫った犯罪者が何を言っているんだ、と。
「……さい」
今頃は、フロリアーナの傍でお話しながら、ゆっくりと眠りについていたはずだった。
「うるさい、やめて……」
(またいつもと変わらない朝が来て、紅茶を淹れてもらい、なんてことない会話をしながらレッスンを受け、お父様やお母様、リアに褒めてもらうんだ。)
「……こんなの、間違っているわ」
不意に雨が降ってきた。レイフは何かを察して、少し離れた。
「やっと静かになったか。……たく、雨も降ってきたし、そろそろ片して遠国へ向けて出発の準備を……」
突然一人の仲間がレイフを凝視し、その顔には驚きが浮かんでいた。
(それに、来年からは公務のお手伝いをしながら学業に勤しみ、城下町に住む皆の幸せのために尽くすと誓ったはずなのに。)
「おい……レイフ、どういうこった……? てめぇ、まさかレジスタンスの……!」
「…………」
……ゴロゴロと次第に雷雨へと変わる。
「ふざけないで!!!」
リアーナの叫びと共に、落雷の轟音が轟いた。
こんな拙作を読んで頂きありがとうございます。
しばらく書き溜めてから1話より投稿してまいりますので、その際は良かったらご一読くださいませ。