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滞りなく日中はすぎた。
ちがうことといえば、例の三人が四六時中ニヤニヤしているだけである。キモイ。ああ、キモイ。重要なことなので二回言いました。
――そして放課後――
「あの……。茂木くんはいますか?」
唐突な、そして予期せぬ訪問者によって水を打ったように、クラスがしずまりかえった。
先日の、童貞ペンギン降臨のときと同レベル。
脳内のウイルスバスターが警報を鳴らす。
これはただごとじゃないぞ、とぼくは廊下を見た。そこには黒紐先輩が悠然として立っていた。
クラスメートたちの好奇に満ちあふれた視線が彼女へとそそがれている。「いったい、なんの用だろう?」みなが、一様に興味をいだいていることは間違いなさそうだ。
先輩はぼくを見なかった。そりゃそうだろう。ラブレターにはなまえしか記載してないんだから、顔立ちが把握できているはずがない。彼女は、きょろきょろと首を回した。
コトンと背後から座席をズラす音がして、
なぜか花子が取り次ぎに行った。
二言三言話したあと、花子は振り返り、ぼくを指差した。なにを企んでいる? 花子よ。ぼくはきみが怖い……。
先輩は、ちょっとだけ躊躇するような素振りを見せ、それから教室にはいってきた。ゆったりとした足取りで。
彼女は立ち話に興じる生徒や机をすすすと華麗によけてぼくに迫った。
間近で見ると――イイ!
清楚感がマキシマムなのは確定的にあきらかだった。
ぼくは唾を飲み下した。
ノドボトケが上下して、ごくりと鳴った。骨伝導されて、ぼくの耳朶はとても大きい音のように、これを聞いた。
並べば、ぼくと先輩の身長差はあまりなかった。わずかに彼女の目線が低い気がするが、そおらく一六五センチは超えているんじゃないかなぁ。女子にしては大柄なことはたしかなんだけど、こんなに上背があると思えなかった。理由は、先輩が出るところは出ているスレンダーだからに違いないのだった。
先輩はぼくを見詰め、
「茂木くん。で、いいんだよね?」
「はい! なんでありましょーか!」うっかり、なんちゃって軍人調になってしまうくらいのテンパりぶり。お解りいただけるだろうか?
このとき、ぼくの精神はマッハで有頂天だった。
ぼくがどうやったって取り乱してる証拠だよ!
日本語が崩壊した。
これでは、拘束具とかが常備されている病院で栄養食を食べるハメになる。そんなレベルにぼくは錯乱しているのだった。
黒紐先輩が口を開く、
「お手紙、ありがとう」ぺこり。
「いえいえこちらこそ」ぺこり。
「いえいえこちらこそ」ぺこり。
「いやいや――」ぺこり。
なにこれ?
どこのリーマンの取引現場だろうか! おじぎばかりに精を出していると、国際派を自認する連中から、「おじぎはみっともない。欧米風に握手にすべき」とか苦言を呈されること請け合いである。
このままじゃ埒があかない気がした。いや――気がするじゃない。ぼくがなにか策を講じないと延々と続く。たぶんだけど。
ぼくはなんとか自分のタズナを取って、クールさを取り戻そうとつとめた。約五分かかった。おじぎはたぶん――一〇回はした。首が攣った。ドサ周りのリーマン? の気持ちを痛感した。
「先輩。その――」
「うん。解ってるよ」
こんどは、ぺこりではなく、こくりとあたまを揺らす先輩。かわいらしかった。美人なだけではなく、かわいいのだ。これを反則もしくは、誘っているという。
「ここにきたのは、手紙のことなんだけどね……」
解ってますとも。
いわずもがな。
「やぁ、孔明」冬町乱入。KYだな。いや――AKYというべきか。解ってやっているわけだからな……。
ぼくは冬町をバスケっぽいディフェンスでいなしつつ、間髪いれず早口で言った。「先輩。ちょっとここじゃ人目が多いと思うんです」
先輩は周囲を見渡し、いまさら気付いたかのように口元に手をあてた。なんというおくゆかしいおどろきのジェスチャー。大正時代にタイムスリップして、ハイカラさん的袴すがたで登場していただけると、ぼくは天にも伸びるような快楽が雲間を突破する。
どうやら、彼女は天然さんの模様である。
ぼくはガッツポーズをした。
黒紐先輩のこんな仕草を見れただけでも本懐をとげたようなものだ。答えがノーでも構わない。
「屋上とかいきましょう」
「うん。そうだね」
ぼくは先輩とつれだって屋上へ向かおうとする。
ついてこようとする不逞の四名――冬町、石綿、波幌、花子に「ぜったい、くんなよ! カス!」と釘をさすのは忘れない。
ことばの釘打ち銃を一世掃射!
ぼくは上島竜兵じゃないので、きゃつらがぼくの言と真反対の行動――ストークしてくることはないはずだ。やつらだって、最低限度の空気読解力は持っているはずだし、ジョーシキをわきまえているはず……。それにぼくは期待するしかない。
チッと舌打ちがよっつ聞こえた。聞こえないフリをした。
いちおう、期待していいらしい。