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一
ぼくは占い師から運気の向上するというクスリをもらった。
占い師なんて人種を信じてはいなかったが、無神論者がたまには、神さまにすがるようなもんで、ぼくも占い師に頼ってみたのだった。最後の神頼みというヤツである。
――クライストは言った。「いままでさんざんに神をこきおろしてきた無神論者は数あれど、悪魔をこきおろした無神論者を私は識らない」まったくもって、拍手喝采ものの箴言だ!
けど、神さまはサイコロを振らないらしい。
どこかのもじゃもじゃあたまの物理学者がのたまったけど、じゃあ、きっと悪魔はサイコロを振るわけだよ。悪魔っていうのは、神さまと真反対のことをするのが趣味なものたちなんだから。
占い師ってのは魔女のたぐいなんだから、悪魔みたいなもんと考えてしまってもいいはずだ。うん。これでいい。よく解らないけど証明終わり! なんか哲学者とか科学者とか文学者からの引用が多いと、労せず、智的に解決できた気になるよね。
して、ぼくがどうして占い師に頼ったか。
理由は単純明快。
ぼくはあす、マージャンで戦う。
つまり勝負運と、場のながれを支配する神の手が欲しかったのだ。運気というのは無節操なやからで、努力/友情をガン無視にして飛来してくるものだから、魔術的ななにかに身を寄せるべきなのだ。
女々しい?
占いは女の特権?
なにをおっしゃる、うさぎさん。
「勝負はときの運」とカメさんは言った。
カメさんがうさぎさんに勝てたのは、カメが努力家だったからじゃない。うさぎが、度しがたいほどのアホウだったのがカメの勝因だ。つまり、対戦相手にめぐまれていたということにほからないのだ。もし、質実剛健なうさぎVS怠惰のカメだったら?
ぼくは日頃、黄金の右手を持つ男と呼ばれている。
シャイニングなフィンガーも、焼きたてな日本パンも関係ない。
ヒキがいいのだ。
人生一回でるかでないかのテンホー(*ゲーム開始後、いきなりあがる役。役満のひとつ)を三回も出した男なのだ。
しょうらい、パチプロでも食っていけるかもしれないと自己陶酔しちゃうぜ。きっと、ぼくはギャンブラーになるために生まれてきたに違いなく、母さんのなかから生まれ出でたその瞬間に「ツモ!」と叫んだと思う。
だから、あすの勝負も勝算しかない。我が辞書に敗北の二文字はない。が――万が一を考えるのがチキンなぼくなのだ。
どうしてそこまでするのかと言うと、敗者にはバツゲームが科される。これが、はてさてクソ厄介で、戦々恐々としてしまうバツときているからチキンなぼくの綺麗な心臓は萎縮してしまって、最近は血圧がめちゃくちゃ低い。
バツゲームの内容とは、
高嶺の花にラブレターを送るという……。
いまどき、手書きのラブレターを、ほんとうに求愛する目的でだすのだって、こっぱずかしい時分だ。
そんな時代に背を向けるどころか、これは特別攻撃にさえ比肩する。玉砕しかありえないことをせよ! というのだ。万全を期すのも至極とうぜんのことだ。誰がぼくを非難できるものか。正義は我にあり。
電話よりはいい? それは甘い考えだ。
音声というのは、録音という手段を講じないと残らない。全部、空気のなかに溶け込んで、「はい。おしまい」だ。だけど、手紙というのは物理的なものであって、つまることろ証拠が残ってしまうのだ。特別な手段を用いることなく!
そんなの、末代までの恥!
ぼくの後裔たちは先祖の恥に打ち震えるのか! 残せるかどうかも皆目解らない子孫のためにもぼくは戦う。
考えてみるといい。
歴史の教科書にお目見えするような人物たちにプライバシーはない。
常識的な感性で考えてみると、おかしいことが多々ある。
通常、墓をあばくことは本来なら不謹慎でタブーなのに、古代の王族たちは考古学者と名を変えた盗掘人にその存命中のあるがままをあばかれる!
まあ、ぼくが将来的に偉大な人物になれるほどリアルラックがあるのかっていったら、そこまでの自信過剰さはないし、そもそもカノジョのひとりもいないのだけれども。マジで、子孫――残せるかなぁ……。
ケータイメールと変わらない?
バカいっちゃいけない。ケータイのばあい、ぼくが送信したという証拠はない。トモダチのイタズラなんだとシラを切ることが可能だ。
だけど手紙のばあい、バツゲームなんだから代筆なんかできるわけがない。代筆させちゃ、バツゲームの意味が瓦解しちゃう。ゆえに! 筆跡鑑定にかければ、あら不思議、一目瞭然!
そして、そのラブレターを送るさきというのは、
三年B組、黒紐先輩。
フルネームは縄架黒紐。
中国か香港か――こんななまえの映画俳優がいたような……。って感じのなまえのひとだ。DQNネームといえばそんな感じだし、なんとなく古風な感じといえばそんな気もしてくるなまえ。
彼女をひとことで表すと、美少女。しかしこれは陳腐だ。
二言で表すと、美しい/少女。
三言で――めんどうだから説明で勘弁。
黒紐先輩が美人さんであることはだれの目にもあきらかだ。
よくモデルのようなという形容いがあるけれど、ぼくはそうは思わない。世界ミスコンで優勝した日本人はお世辞にも美人じゃない。
あれはおそらく、ルーシー=リュー(*ハリウッド女優。中華系)が天使! などと形容されるアメリカンのお花畑的審美眼のせいだ! メグ=ライアンがかわいらしいのは認めるが。
そして、これは日本でもいっしょだ。マリエ(*雑誌モデル)が美人か? うそだぁッ!
だからここはあえて、俗世間的な描写をしよう。
たとえば、マックへいったとする。そこでマックポークを頼もうとする。しかし、やってきたマッククルーに対し、《ポーク》といいたくなくなるような美貌と思えばいい。いや、《てりやき》といいたくなくなるといったほうが正鵠を得ているだろうか……。まあ、そんな感じだ。
また、おおくのグラドルの顔立ちが残念! しかし、肉体はワガママボディ。「天は二物を与えない」というが、あろうことか黒紐先輩はワガママボディである。顔立ちはすこしも残念じゃないので、まさしく二物を得ている。
賢人は言った。
「スク水にはふたつの派閥がある」、と。
どういうことか?
ょぅι゛ょが着ればエロス! ダイナマイトボディでも、エロス。ちいさな布地に包まれたぱっつんボディにエロス! ということらしい。
らしいといったのは、ぼくの持論じゃなくって受け売りだからだ。ぼくは、こんなヘンタイ紳士じゃない。至極まっとうな好青年を自負している。熟した果実を食べたいと思う健全さを持っている。腐りそうな果実や、青い果実には食指が動かん。
先輩は中学時代《スク水とぼんきゅっぼんの宝石箱》と呼ばれていた。
おおくの、将来生命となるべき貴重な遺伝子(ホワイト=フロッグ=チルドレン)たちが、先輩の蠱惑的さにあてられた健全な男子諸氏により、猛然とエスニッククレンジングされているのは、ぼくの想像の域をでまくっているだろう。無残にシーツとティッシュの海に消えたことだろう。ご冥福を祈ります。「嗚呼、ザーメン」じゃなかった――アーメン。
まあ、ここまでは二物だ。
みっつめは家柄だ。縄架というなんか田舎臭い――スペイン語でいえばdonde esta? ほら、田舎臭い! ドンデエスタだって! ――そんななまえとは裏腹に彼女はいわゆるお嬢さまなのだ。縄架家といえば、あらゆる分野のコングロマリット《A社》の大株主の家系だ。
A社は揺り篭から墓場まで、どころか、戦争から戦後復興後のテロリズムまで、地底旅行から宇宙旅行まで、旅立ちの村から魔王城までを手広くカバーする。一族の総資産は数百兆ドルといわれている。あきらかに世界の通貨量をオーバーしていそうだが、気にしてはいけない。そういうことになっている。金は水モノである。
そんな縄架家の宗家、直系、嫡子――つまり一人娘。
そして、よっつめ。
彼女は絶滅したかと思われていた貞淑な乙女なのである。
高校生(ぼくは二年生だ)にもなると、色気づく。
色気づかないばあいは、グレる。もしくは、ネクラる(*登校拒否るとも言う。未来のNEET予備軍。とつぜん、子息が「きょうはいい天気だな」と脈絡なく黄昏だしたりしたら、親御さんは必ず留意すること)。
が、たいては色気づくのだ。
化粧はケバく、ときに日焼けサロンの魔手にかかり、スカートは短く、したにはホットパンツやジャージやスパッツを履き、耳には色取り取りのイヤリングをジャラっとさげて、ネイルしたつめ先はシャーペンを持つのにも難儀し、あたまのなかはといえば、かっこいいオトコノコとセクロスすることしか考えていない。
ヤラハタにならぬために――といった女となるのはケプラーの法則よりも身近であり、蓋然性が高く、おおくの同志によって立証されている科学的事実である。
おおかたこんなところなんだけど、先輩は黒髪ストレートロング(*日本の一般男性(チカン予備役)がもっとも好む髪型。2009年ぼく調べ)。膝下スカート。彼女の唇が動いたとしても、かしましさは微塵もなく、空気を振るわせるのは風鈴のような優雅な音色。そして、ピンと伸ばした背筋でもって粛々と歩く。
こんな人物なら、とうぜん、飢えたオオカミは攻勢に出る。
しかし――だれひとりとして帰ってきたオオカミはいない。みな赤頭巾ちゃんを狙い、猟師に撃たれた。赤頭巾ちゃん=猟師=黒紐先輩。あな、おそろしや。