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ばつ★らば  作者: 柊鏡
17/23

5-1

 五


 惑星タルティーンはいずこかにあった。

 いや……いまでも宇宙のどこかに存在するはずであろう。いまや、そこに住まうものたちが、かの惑星をタルティーンとよばないことがまったくもって完全無欠に明らかであるにせよ……。

 むかしむかし、タルティーンの大地には、できそこないの平和があった。くだんの平和はゾウの描いた絵画いじょうに均斉がとれていなかった。

 生命は、本質的には個々としては争いを好まないのかもしれない。されど、種全体としてみたとき、そこには闘争本能がある。

 重ねて言う。――これは本能である。

 本能を超克することは、はかなくも難しく、知的な生命体にとって当面の課題として機能してきた。なぜ、生命は闘争本能をもつのだろうか? こたえはカンタンだ。闘争することは、種族全体からみればとても有意義なことだから。

 種族内部で研鑽を積み、優良種だけを残す。

 優生学のような意図的な手法などなくても、生命はむかしからそうしてきたのだ。不良な要素は削いできた。

 だから、争うわないことなどできない相談だった。

 争うことは合理的であり、争わないことこそ非合理の産物だったから科学的な手法でもって、その根本を支配する合理性という観念で、かかるテーゼを解決せしめることは無理難題だった。

 外的環境との闘争は黙認された。

 これは個々としても戦わねば死ぬのだからいたし方のないことだった。闘争を拒否することは、巨大な自然環境によって嬲られ、ねじふせられることを意味する。厳しくて、常日ごろは慈愛の片鱗さえ見せぬのに、たまに思い出したように恵みを与える自然は闘うべき相手にほかならぬ。

 なんども大戦争があった。

 しかし、種のための高度なプログラムは、けっして、かかる種族をほろぼすことはなかった。内ゲバで死に絶える生命などいない……はずだった。

 歯車はいつしか狂った。

 その『いつ』を特定すのは困難だ。

 時間の根幹に最小単位があったとしても、それを識ることはできない。一見する世界は、いつだってアナログ的に進み、ぶつぎりにすることはできそうもない。時間を輪切りにすれば存在も輪切りにされるのだから、観測することが内部性の問題になってしまうこともまた明白だったのだ。客観は死んだ。

 社会という見えない存在が鎌首をもたげてきたときが、きっと曙光だったのだろう。そのとき狂ったのだ、とおおくの論者は口をそろえていい、雁首をそろえて首肯することを容易に想像可能だ。

 種族内部の研鑽を積むべき争いはいつしか社会対社会の、異なる社会同士の闘争にすりかわった。

 研鑽とはほど遠く、あいてを組み伏せることこそが至上命題になった。いつしかそれは、社会内部の熾烈な競争を生んだ。構成単位はコスモポリタンになることなく、どんどんミニマムになっていったのだ。

 社会は自然環境から隔絶していた。

 ほかの種族――単独で狩猟をおこなうような動物――が社会性なしに自然環境とわたりあえている事実から解るように、社会性とは自然と戦うための装置いじょうの効能を秘めていた。はっきりとは意味のないことなのに、逆説的に高等動物をうむための必須条件であることは、なんともはや皮肉的で象徴的なトーテムだった。

 だれも個人的な領分いがいに於いて、死を片時も意識しなくなった。生涯におけるもっとも哲学的な問題は『自殺について』。これだけが残された。そうすると、相互扶助的なものは霞になって、いつしかなくなった。

 真に内在する哲学性とは、個々人の最大の関心事でしかありえず、そこには抑圧的で感傷的な外部からのインプットに対しアウトプットを返すでなく、輪廻のように絶え間ない円環をぶったぎるには、アポートーシスがちらつく。細胞的ではなくして、超個体としてのアポトーシス。

 個々が闘争を開始した。

 それは、自然的プログラムから逸脱していた。

 だから、ブレーキはなかった。異様にピーキーで、整備不良の、とまならない列車だった。こいつはオーバーホールなんてしないと言い張るビッチじみた処女だった。そして、線路をはしることはなかった。ハナから脱線していたのだ。

 集団的戦争は終わりを告げた。

 万人が万人をあいてに戦った。

 無秩序だった。

 エントロピーは肥大化の一途をたどった。

 物理学的に、エントロピーは増大するが、それはあくまで確率論であり、増大するほうが確率的に高い。ひくいほうの確率に楽園へのきざはしがひそんでいることにだれもきづきはしなかったし、ギャンブル好きはいつだってつまはじきものなのは変わらない。

 まず個人があり、それから文化が形成されるという考えがまちがっていたのだった。社会的な動物のばあい、さきに集団がある。

 ――集団ありき。だからこそ、エントロピーの拡大は個人化につながる。

 眼前の敵に勝て。

 つぎは、そのうしろのやつだ。そいつはおまえの背後をとらんと欲している。そいつはアサシンだ。さぁ、やられるまえにやれ! 弱肉強食なのは超自然的な空間でもおなじなのだ!

 きょうは何人に勝った?

 負けることは社会的な死だ。

 ともだち一〇〇人ではない――勝利を一〇〇回つかめ。

 自称異常者が語るような、偏屈でじつのところ予想がたやすい概念は不要だった。それは、あいてを殺す、死を与えるというものだ。他殺的な死を望むことは、異常性の発露でもなんでもない。メクラのふりしたメアキよりも百万倍はおろかしい。

 故、そんなものは必要ない。ネコの皮のような異常性などすててしまえ。三味線に貼れ。方便だ。クチジャミセンだ。

 高度に発達した文化には勝利のための方程式が無数にあった。しかれども、なぜか、その解はすべて同一だった。

 相互理解は消えた。

 電子脳が管理するこどもたちは、闘争の方程式を暗記した。

 理解の消滅は、社会の消滅だった。それは、集団性の喪失だった。社会的動物としての本文をうしなえば、まっているのはネクローシスだけだった。腐っていくのだ。腐るだけで発酵はない。

 真綿で絞め殺されるようにして、タルティーンから高等生命はいなくなった。

 おおきな災害も、

 甚大な戦争も、

 宇宙からの強大な干渉も、

 要らなかった。

 残されたのは瘴気のただよう空気と、黒く変色した土地と、きらびやかな電光掲示板とゴーストタウン。

 宇宙修行中のテンプラーたちがもどってきたとき、タルティーンはそこにあるのにないのと同じことだった。愚者にも間違いであると指摘できるほどの矛盾をいやおうなく彼らは受け入れた。そうせざるをえなかった。

 自然環境の恢復力というのはすさまじいことをテンプラーたちは識っていた。だが、精神的な理由が彼らにタルティーンへの里帰りを拒否させた。

「いまのタルティーンには、得体のしれぬ、ありうべくもないはずの、しかし顕在化した悪魔がすんでいる」と高位のテンプラーが言った。

「神は我々を見放した」と別のテンプラーが言った。

 神は生きていた。

 神は――高等動物が、その神意的なプログラムから逸脱した時点で生まれた産物だから、科学技術の発展で消えることなどなかった。なぜなら、一番最初に考え付いた科学的回答こそ神の存在だった。

 神は宇宙だった。

 ヴォールピたちは思った。神にふたたび受けいられることを望んだ。宇宙をただようことを望んだ。

 それが、どんな艱難辛苦をともなっていようとも、

 神の試練を、

 拒否するものはいなかった。

 だれかが聖典を開いた。

 何千年もむかしに書かれた聖典で、その原本はとっくのむかしに消え去り、いまテンプラーの手元にあるのは高度な機械文明の印刷機で刷られたものだったが、しかし聖典に書かれている一言一句は太古より不変であるのだと信じられている。

 聖典の最終章は破滅の話だった。そして、じつにありがちでひねりのない、最後の文句はこうだった。

『神は約束の大地を与えるだろう』

 寺院舟(テンプリウス)は約束の地を目指すことにした。

 どこにあるのかも解らなかったけれど。

 逆にいえば、知らないからこそそこを目指すための希望を得ることができたのだ。解らないことこそ冒険者を育てる肥やしなのだから。


 ***


 『あなたの家に爆弾を設置した』と書かれたノートの切れ端をみつけたのは今朝のことだ。ぼくはガクガクブルブルしながら、そんなことをしそうなヤツのところへいって問いただしてみた。

 犯人は取り繕う様子もみせず、あっけなく白状した。

 おまえか? ときくまでもなく、切れ端を見せたら、

「私だ」

 白面さんだった。

 まさしく予想通り。

「ぶっそうなことはやめろ」

「あれだ。おかしだ」じつにまじめくさって応答する白面さん。

「ハァ?」

「まあいいよ。帰ろうか」

 放課後である。

 よく解らないがいっしょに帰宅することになった。そして、まずいことにぼくは先輩のことをわすれてしまっていたのだ……。カレシ失格。


「ほら、爆弾だ」

 駄菓子だった。

 茂木家の玄関には駄菓子がおかれていた。

 あの、ポップコーンのような駄菓子の、バクダンとよばれているヤツだった。たしかにバクダンだけどさぁ……。

「まぎらわしい」

「おもしろくなかった?」

 期待の眼差し。

 正直者のぼくは、言い放つ。「つまんねぇ」

「そうか」シュン。

 垂れる耳状の髪。きょうはネコミミ帽子はかぶっていなかった。

 白面さんは歩き出す。

「をい」

「ん?」

「なぜ玄関のノブを回している?」

「いいじゃぁないか」さっさとたにんの家だというのに白面さんは躊躇することなく框をまたいでいった。

 運が悪いことに本日は両親が不在なのだ。


「ふふん。孔明くん。私は一応、女性なんだぞ。料理のひとつもできる。どんな女も女であるかぎり料理ができるのだ」

 まったく不可解極まりないことに白面さんは茂木家のキッチンに立っている。母さんのエプロンを勝手に装着している。冷蔵庫にくびをつっこんでいる。まったく思慮というか配慮というか遠慮がない。

 両親がいない旨を告げたら、「コンビに弁当はよくないぞ」とか言い出してこの始末である。

 以前の家庭科室での一件にて、白面さんが料理上手なことは識っていたが、ここはおちょくるべきところだと思った。

「目玉焼き?」

「ノー。もっと高度だ」

「厚焼き玉子?」

「なぜそんな庶民的なの? もっと料亭風な――」

「イセエビの活けつくり」

「近い!」

 近いのか……。

 イセエビなんてもの食ったことないぞ。ぼくは。

「舟盛?」

「おお! もっと近づいた。いい。教える。私の料理は女体――」

「けっこうです!」大声でいった。

 女体に興味はあるが、ちんちくりんな彼女の裸体は見ないでもよい。見るなら先輩がいい。と、まれ、先輩のばあい、身体の起伏がおおきすぎて盛り付けできないかもしれないけれどね。

 六時になった。

 夕飯にはちょっと早いと思う。

 日暮れ。

 両親はおそらくデートだから、朝まで帰ってこない可能性のほうが高い。まぁ、なのでありがたくいだくことにはするけれど――、

「毒とかはいってないよな?」ぼくは疑わしい目で白面さんを見た。彼女ならやりそうだと思ったのだ。

「なぜ、そんなことを気にする?」

 テーブルのうえにはとりあえず料理。

 野菜と肉の炒め物(品名が解らない)、焼き魚(なんの魚か不明)、オレンジジュース。最後に彼女が運んできた一〇〇円プリンですべて。いたってふつうの庶民的かつ質素なラインナップなのが逆におぞましい。

「睡眠薬でも盛って、まーた腑分けとかいいだすんじゃないかと」

 心外だ、そう彼女はいいたげだ。

「それは、少しね。しばらくおあづけといったところ。いまは、肉体の組成うんぬんよりももっと興味をそそられることがあるんだ。肉体的ではなく、精神的文化の支柱ともいうべきものかな。そういった観点からいえば、そうだなぁ、脳みそはちょっとひりだしてみたい気がしないでもないか」

「やめたわけじゃないのね」ぶるっとぼくは肩を震わせた。古代エジプト人は鼻から、鋭い匙を使い脳みそをこそぎだしたそうだ。木乃伊づくりのために。その光景を想像する。ぞっとする。

「もちろん。私は地球にホモ=サピエンスを調査にきたのだから」

「へ?」

「え?」

「調査って?」

「え?」

「え?」

「いってなかったかな?」

「なにを?」

「私はET(extra-terrastial intelligence 地球外生命のこと)だってこと」

「初耳」

「そうか。そのわりには泰然としてるんだな」

 どうやら、おどろいたようだった。白面さんは野菜炒め――しなしなになったキャベツを()んでいる。

 いい加減に……、

「なんか慣れた」

「なにに?」

「おまえの奇行。宇宙人ってことで納得できた」

「そうか。それはよかった。ちょっと、このヘルメットかぶらないか?」

 なんだ……。その電気椅子で処刑されるときに死刑囚があたまにかぶらせられるような毒々しくまがまがしいヘルメットは!

「お断りします」

「むぅ……」

「で、証拠みせてくれよ」

「なんの?」

「宇宙人である証拠だ」

「食べ終わってからな」

 食事中の守るべきマナーは遵守するらしかった。


 シッポと耳がとびだした。

 耳はとんがっている。毛が生えていてネコミミそのものだった。いや――ネコよりはキツネっぽいかもしれない。そして、そればかりか、彼女の頭蓋の横っちょにあったはずの人間ミミは完全に消失してしまっているのにはおどろいた。いつのまになくなってしまったのか?

 くわえてシッポだ。ふさふさしたものがぴょこんとスカートの裾からこんにちわして、左右にふられている。真っ白な毛並みが覆っていた。

「ヴォールピ。それがわれらの名前」

 とりあえずぼくはシッポをひっぱった。そうするのが礼儀だと思ったからそうした。後悔はしていない。

「なにをする!」

「ちょっと出来心で」

「シッポというのはな……」例のごとく白面さんは浪々と語り始めるのだった。「シッポというのはそれなりに重要度の高い器官だ。たとえば、人類や、それに近い類人猿、チンパンジーやゴリラ、ボノボにはシッポがない。それは樹上生活よりも、地上生活を選んだから。もちろん、類人猿は木登りをする。しかし――ほかのもっと樹上生活を基本とするサルはシッポを持っている。シッポというのは、四足歩行における舵取り装置にほかならないけれども、木登り運動に於いても同様に重要なのだ。人類がほかの類人猿とちがい、その生活スペースをサバンナへうつしたのは、それなりに時代が下降してからだけれど、二足歩行に於いて、シッポは重要性を欠いた。むしろ、座るという動作に於いては邪魔になった。木の上に座る分にはよいかもしれないが、平地に腰掛けるには適さないと表現すべきか。つまるところ、私たちヴォールピはあなたたち地球人と似たような経過を辿りはしたものの、私たちの母星には平地が極端に少なく、樹上生活を完全に放棄しなかった点に相違が見られる。ヴォールピの文明は人類と同じく、ジャングルから始まった。この発展はマヤやインカ、モホスといった文明に似ているが、かの文明がほかの灌漑文明よりも出遅れていたのは、人類という種の身体的機能がジャングルに向かなくなってしまっていたからだ。そして、私たちヴォールピの耳の形状が尖っているのは、聴覚を重視した結果だ。類人猿は色盲ではないが、旧い時代において、夜行生活をしていた哺乳類にとって視覚よりも聴覚が重要性を帯びていた。これはエコローケーションのような、人類の潜在的能力を見ても解ること。人類の声帯と私たちの生態が類似性を示すのは、単なる偶然だと思うが、まったく口腔の形状が異なる鳥類が、人間のモノマネをできるということを踏まえれば蓋然性は低からず、高いものなのだろう。逆も可能だから、鳥の鳴きまねを人類はできる。もっとも、ヴォールピが二足歩行を始めたのは、泳ぐという作業に於いて、手と足を分化することが自然淘汰的に有用だったからだ。私たちの母星タルティーンは湿地帯が多いのだ。遊泳が得意な生物はそれなりの生存価値を持つ。イヌも遊泳が可能だが、彼らが潜水を得意とするかといえば、否だ。へびの一種は、潜水をするが、海産物を採取するという目的を持てば、手の有用性が示される。そのため、ホモ=サピエンス――人類はイネ類の栽培によって文明を発展させたが、私たちは魚類の養殖がさきに立った。ジャングル時代を経て、つぎのピリオドへやってきたのは海の文明だったのだ。古代に於いて、陸路よりも海路がよりよい交通手段であったことは、グレクスにとって、ゲルマニクスが蛮族であったのに対し、海を隔ててなおアナトリアに悠を誇ったペルシクスと文化的接触が多かった点を見れば判然とする。もっとも、グレキアそのものが多くの諸島群を持っている。だのにグレクスたちは普遍的な共同体意識をシェアしていた。私たちヴォールピは海運に秀でた。結果として、地球のイルカに似た生物を馬のように使役するようになった。これは機械駆動の船舶が出現するまで優勢を誇った。ヴォールピに於ける毛の退化というのは、遊泳に対し一助となったからだ。人類においても、体毛の退化は同様の仮説がある。また、私たちの色素が薄い点に関しては海面で反射する陽光をさらに反射することでみずからの存在を秘匿する意味を持ち、逆に海面下に於いては少ない光を反射し、仲間に自己の存在をあかすという相反する効能による。けっしてメラニンだけの問題ではない。色素を決めるのはメラニンだけではない。よって日焼けの問題に関し、ヴォールピは無縁である。そして――」

「もういい!」

「もういいのか?」

「もういいんだって!」そういえば先輩にもおなじ文句をいったなぁと思いつつ、「それより野球の話しようぜ!」

「野牛の話? それとも――柳生ならシベリアに……」

 ちょっとはギャグセンスがみがかれてきたではないか。シベリア柳生というネタについていける人間がいかほどいるのかという点にはついては目を瞑るとして、だけれども。ぼくはにんまりとした。「六点だ」

「それはうれしいぞ」よろこんだ。

 ケータイが鳴った。

 メールかと思ったが電話だった。

 ディスプレイには先輩のなまえ。ぼくはあわてた。受信ボタンを押して、

「もしもし。――先輩。どうしたんです?」

「縄架黒紐から電話か?」

 白面さんがよってきた。ぼくのケータイに耳をちかづけてくる。そんなことをされては、ぼくのかおも彼女にちかづくわけで……ぼくは彼女をいなしつ、受け答えしつ、そして先輩に応答せねばならなくなった。

「うん」受話器に、「……っと先輩? 先輩? せんぱーい? あれ?」

 白面さん、ぼくが顔をしかめたを見てとって、

「どうした?」

「切れた」

「へんなヤツだなぁ」白面さんはあきれた声をだした。

「なぁ、茂木くん。私の話をきいてほしい」いつになくまじめな声だった。彼女はある意味ではいつだってまじめかもしれない。けれど、今回のものはそのいつもとは打って変わっていた。冷えた河底の水がせせらぐような声だったのだ。

「アブダクションの話でないならいいよ」

「そうじゃなくって……」彼女にしては珍しく言いよどんだ。「あなたは、人類だ。ホモ=サピエンスだ。あなたの意見がききたい」

「そのまえに」

 白面さんは眉をわずかにつりあげた。

「確認していい?」

「触ってみるか?」

 ムネをつきだすな! ムネを。つきだすべき山脈もないくせに!

「違う!」

「じゃぁ……」

「ぬぐな!」

「人類とヴォールピの性器の違いでも知りたいのかと……」

 ぬぎかけたスカートをむりやりあげさせる。

 まったく、ぼくはこれでもオスなんだぞ!

「あのさ……」

「はやく続きをいえ」白面さんがせかす。

「ぼくにバラしていいわけ?」

「私が宇宙人であるということか? それなら問題はないぞ。この宇宙に住まうものはすべて宇宙人なんだから」

「屁理屈禁止」

「屁理屈じゃぁないぞ。断じて……」白面さんはうつむいた。「しょうじきなところを言うとだな……よくはない。あまりよく、は。私はスパイなんだ」

「殺さないで!」ぼくはとびすさり、居間とキッチンのあいだにあるカウンターの影に身をひそめた。

「オーバーだよ。私はあなたを殺さない。約束する」

 ぼくはうなづいた。そしてカウンターから這い出した。

 彼女がほんとうにぼくを殺さない確証なんてなかったが、なぜか信じる気になったのだった。さいきんぼくはオンナノコに甘い。って、白面さんはオンナノコじゃない! そもそも人間じゃないし……。

「あなたは私に希望をくれた」

「え?」

「移民船の……正確には寺院船の話をしよう」

 白面さんの話をぼくはいつにも増してまじめに聞き入ってしまった。ぼくは宇宙の話とか、そんなに興味がなかったし、SFの熱心な読者でもないのに、ぼくの耳は彼女の話をのがすまいと必死だった。

 彼女がヴォールピという宇宙人であるいじょう、彼女の話はほんとうのことで、異文明の話は現実で、だからぼくは聞き入ってしまったのだろうか。

 もしかすると理由はまったく別のところに存在し、目の前にいる白面氷柱というオンナノコのすがたの宇宙人の語り方にその所以があるのかもしれず、ぼくのなかにある彼女への評価が少し揺らいでいた。

 彼女は奇特でキテレツな少女ではなかったし、アブダクションにばかりかまけるマッドなインベイダーでもなかった。

 故郷タルティーン/地球のような惑星。

 万年の放浪の旅路/目的地は不明、否、未定。

 聖典に縛られた艦内/牢獄のような自由のない/彼女はスパイ=そうすることが艦外へでれる順当で穏当な理由。

 テンプラーと呼ばれる教団幹/事実上の支配者。

 彼女の話を要約すると、フェルミのパラドックスを思い出す。

 パラドックスの概要はこうだ――ある程度の文明規模になると文明は崩壊してしまう。文明の高度さが仇になってしまうのだというのが論旨で、結論はこうなる。……だからぼくらは宇宙人に会えない。でもいまぼくは宇宙人に邂逅している。パラドックスはその意味を失った。

 しかし、ヴォールピの文明がなくなったのは事実で、いまや寺院船と呼ばれる移民艇に住む五〇〇人しかいないのだと聞くと、フェルミ=パラドックスは半分は真実なのかもしれなかった。


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