93.新しい時代
――秋。
婚約を祝う夜会以降、瑞希は週に一、二回のペースでお茶会を主催していった。
ユリアンとアニカの仲睦まじさを見せつけるようなお茶会の様子は、二人の熱愛の噂となって社交界に広がっていった。
夜会から一か月、婚約三か月を過ぎる頃には、二人の熱愛を疑う者は少数派となっていた。
「いやー、さすがにこのペースでお茶会を開くのは疲れるね……」
リビングでエステルを抱えながら、瑞希がぼやいた。
ユリアンが苦笑を浮かべて告げる。
「なにもここまでしなくてもよかったんじゃない?
あの夜会だけでも、充分なインパクトがあったわよ?」
瑞希がニタリと笑った。
「えー、だってユリアンさんが作ってるウェディングドレスが完成したら、すぐに婚姻させたいし?
ここまですれば、もういつ婚姻しても誰も変には思わないよ?」
「なんであなたがそれを知ってるの?!」
ユリアンが真っ赤な顔で応えた。
瑞希は紅茶を一口飲んでから告げる。
「あの夜会の後も、ずーっと服を作ってるみたいだったし。
アニカもずっと幸せそうに笑ってるし。
もうほとんど確信して、先に作ってるんじゃないかなって思っただけだよ」
ソファでユリアンの隣に座るアニカが、目を潤ませてユリアンに尋ねる。
「ユリアン様、それは……認めてくださったと、そういうことなのでしょうか」
ユリアンが諦めたように小さく息をついて、優しく微笑みながらアニカを見つめ返した。
「もう今のあなたなら、笑顔が陰ることはないんじゃないかなって、そう思っただけ。
――でも、まだ油断しては駄目よ?
ドレスが完成する前に少しでも笑顔が陰ったら、約束通り婚約は終了するわ。
その代わり、ドレスが完成したら改めて、婚姻を申し込んであげる」
アニカが言葉もなくユリアンの胸に飛び込んでいた。
ユリアンはジトっとした目で瑞希を見つめて告げる。
「まったくもう……サプライズの予定だったのに台無しじゃない」
「えへへ……ごめんごめん。
でも、今でも充分サプライズで喜んでるし、先に教えておいた方がもっと気合も入るんじゃない?」
ユリアンの胸の中でアニカが告げる。
「はい……この幸福、絶対に手放しません……!」
そんなアニカを見つめながら、瑞希が呟く。
「いいなぁ……アルベルトも早く卒業しないかな」
ユリアンがアニカを抱き留めながら、微笑んで瑞希に告げる。
「あら、寂しくなったの?
十二月の学力評価試験が終われば、来年から一緒に行動できるんじゃない?」
「あと三か月くらいかー……
私ももうすぐ十八歳。この世界に来て三年だね。
時の流れって早いよねー」
ユリアンの胸から離れたアニカが、涙をぬぐいながら告げる。
「エステル殿下も離乳食が始まりましたし、本当にあっという間ですね」
「子供の成長も速いよね……
二人は子供をどうするか、もう決まった?」
アニカが頷いた。
「やはり、一人くらいは実子が欲しいという話になりました。
ですので、早めに子供を産んで、エステル殿下と共に育てていく道になるのではないかと。
殿下は二人目をどうされるのですか?」
「んー、悩んでるところだけど、今のうちに産んでおきたいな。
エステルが乳離れしたら、本格的に仕込もうかなって」
ユリアンが苦笑を浮かべた。
「仕込むって……子供は、お酒や漬物じゃないのよ?
でも、『今のうちに』っていうのは、どういう意味なのかしら」
「この間の騒動で、取り逃がしこそしたけど、悪魔崇拝者の予定を大きく変更させることはできたみたいだし。
多分しばらくは、白竜教会が動くだけでも牽制が出来るはず。
国外の情勢も、今はまだ大きな動きを見せる気配はないみたい。
少なくとも一、二年は攻め込まれることはないはず。
崇拝者が動くのが先か、国外の軍が動くのが先かは分からないけど、その程度の余裕がある時期ってことだね」
ユリアンが神妙な顔で告げる。
「つまり、その後はどちらか、あるいは同時に動きがあるってことなのかしら」
「必ずそうなるはずだよ。
リンドマン伯爵があのまま諦めるとは思えないし、この地方が立ち直るまではまだまだ時間がかかるもん。
ラウさんからも『西に気を付けろ』って言われてる。
南の情報はライツラー侯爵が教えてくれるし、北の情報はラニエロ公爵が教えてくれる。
うちとしては東西の動きを見張ってれば、とりあえず対応が遅れるってことにはならないんじゃないかな」
「シュライヴ皇国はどうなの? あそこは周辺国でも、一番被害が軽微だったところよ。
ラニエロ公爵だけに任せて大丈夫なの?」
「北方同盟国も、それは警戒して監視の目を光らせてる。
どこも他人事じゃないからね。動きがあれば知らせてくるはずだよ。
同盟国の軍事力が頼りにならないから、ドライセン王国が出ていく事になるけど、数で有利をとることは難しいかも。
そうなったら身重でも私が出ていって、一回くらいは皇国軍を吹き飛ばすことになるかもね。
さすがにもう一度くらい私の魔導を食らったら、それ以上動くのを諦めるんじゃないかな」
ユリアンが考えを巡らせながら応える。
「うちは軍備増強を続けてるから、時期によっては皇国軍と数で互角になることもできるはずよ。
西側で怖い国があるとしたら、リーベシュタイン帝国ぐらいかしら……。
あそこが動くと、またミズキさんの力を借りる必要があるかもしれない。
東はアルトストック王国がやっぱり怖い所だけど、ミズキさんの魔導を直接目にした国でもあるわ。
動くかどうかは、半々といったところね」
アニカが瑞希に尋ねる。
「ご公務はどんな様子なのですか?
貧民地区に対して、何かをなさろうとしていませんでしたか?」
瑞希は小さくため息をついた。
「即効性のある手は、やっぱり無理みたい。
霧の教会にも手伝ってもらいながら、少しずつ治安を良くしていくしかないね。
人さらいや物取りも、私が捜査に協力してからは劇的に件数が減ってる。
少なくとも貧民地区を除けば、王都の中は暴力事件ぐらいしか目立ったものはないし、それは兵士に対応してもらえば済むからね。
王都の外は相変わらずだけど、増やした兵士が対応してくれてる。
少しずつ治安は改善してるはずだよ」
ユリアンがアニカの肩を抱きながら告げる。
「今は嵐の前の静けさってことなのね。
来年からはアルベルト殿下も、王太子として本格的に公務が始まる。
二年後にはミハエル殿下もリーゼロッテさんと婚姻予定だし、五年後には公務にも参加するわ。
その頃なら、うちとしては万全の態勢で嵐に立ち向かえるはずよ」
瑞希が頷いた。
「赤竜さんと黒龍さんもついてるから、悪魔崇拝者に対しても万全の態勢で臨めるはず。
あと怖いのは国内かなぁ。
私の事を嫌う人が、アルベルトを暗殺してミハエルを王位につけようとしないかは注意しておかないと。
内政を邪魔する人たちは対処のしようがないけど、エーベルヴァイン男爵とその人脈が支えてくれるはず。
最善は尽くしてるはずだと思ってるよ」
ユリアンがアニカを見つめながら、瑞希に告げる。
「それじゃあ、私も早くドレスを仕上げて、静かなうちに婚姻してしまわないとね」
アニカがユリアンを見つめて頷いた。
「はい! そして私も、一人目を産み育てていきます。
ユリアン様の子供を、ユリアン様のように優しくて誠実な子に育てて見せます!」
――その年の冬、ユリアンとアニカの婚姻の儀が執り行われた。
年が明けてから、正式にユリアンが新しい近衛騎士団長として任命され、軍を統率する者として侯爵位を授与された。
若き近衛騎士団長の誕生は、人々に新しい時代の息吹を感じさせていた。
瑞希もアルベルトと共に過ごす時間が増え、人生が順風満帆に思える時期だった。
(でもこれは、嵐の前の静けさだもんね。油断せずにいかないと!)
****
「お母様! できました!」
エステルの手のひらの上に、≪現在視≫の画面が生まれていた。
その画面にはエステル自身の姿が映し出されている。
「五歳でそれだけ魔術を使えるのは凄いわ! さすがエステル! 私の娘ね!」
瑞希が抱き締めると、エステルがくすぐったそうに笑った。
そんな瑞希の服を、小さな男の子が引っ張る。
「母上、僕もー」
瑞希は涙目の男の子も一緒に抱きしめて告げる。
「いいわよー、一緒に抱きしめてあげる。
ヴァイスもエステルも、大切な私の子供だもの。
とっても大好きよ!」
子供たちを抱きしめている瑞希の背中から、アルベルトが微笑みながら三人を抱きしめる。
「私だけ仲間外れは寂しいな。
仲間に加えてくれないか」
子供たちが楽しそうに笑い声を上げていると、小さな男の子の手を引いて部屋に現れたアニカが告げる。
「エステル殿下、ヴァイス殿下。お勉強のお時間ですよ」
エステルとヴァイスが「はーい!」と元気よく声を上げ、アニカの傍に駆け寄っていった。
エステルとヴァイスが振り向き、瑞希に告げる。
「じゃあお母様、お勉強してくるね!」
「行ってまいります母上!」
「ええ、お勉強、頑張ってね」
瑞希はエステルが一歳を迎えた年、新しい子供を授かった。白に近いプラチナブロンドの男の子だ。
アルベルトがその子にヴァイサーヴォルフと名付け、瑞希がミドルネームに狼也と名付けた。
フルネームはヴァイサーヴォルフ・狼也・ドライセン――ファーストネームが長いので、周囲からはヴァイスと呼ばれている。
ヴォルフガングと祖父にちなんだ名前になったので、瑞希としては満足していた。
アニカも同じ年に子供に恵まれ、生まれた男の子にアルフレートと名付けた。
エステル、ヴァイス、アルフートの三人は、乳母のアニカとハンナによって教育を施されている。
三人は共に遊び、共に学ぶ乳兄弟のような仲だ。
エステルの魔力は未だ、創竜神によって魔法が使えないように封印されている。
しかし創竜神は『いやーそろそろ限界かもしれないですね』と言い始めていた。
『数年は大丈夫』と言われていたが、まさか五年で限界を迎えると思っていなかった。
だが今のエステルならば、魔導の使い道を誤ることはない気がしていた。
おそらく心配は要らないだろう。
アルベルトが瑞希に告げる。
「父上が呼んでいる。私たちに話があるそうだ」
瑞希は小首を傾げて応える。
「お父様が? なんだろう?」
****
――国王の執務室。
「お父様、何か用?」
執務机の前に瑞希とアルベルトが並び、国王の言葉を待った。
国王が二人を見据えて告げる。
「この五年、ミズキの尽力によって、国外の安定が図られた。
シュライヴ皇国も、あれだけ痛めつけられれば二度と歯向かおうとはするまい。
周辺国もようやく立ち直り、我が国が敢えて支える必要もなくなった。
国内もアルベルトとミズキの助けもあり、成長を続けている。
ヴァイスが生まれ、世継ぎの心配もなくなった。
――お前たちも今年で二十三歳だ。
私はこれを機に、王位をアルベルトに譲るつもりで居る。
やや早いが、お前たちなら立派に国を回していけるだろう」
アルベルトが目を見開いて声を上げる。
「父上?! 突然なにを仰るのですか!」
瑞希は驚きで声も出せずに居た。
国王が告げる。
「これから大きな国難が待ち受けているはずだ。
霧の神の眷属であるミズキが王妃となり、国を支え、民を導いてやって欲しい。
アルベルトなら、必ずミズキを支えられると私は信じている。
――私ももう、いい年だ。私では、これからの国難には立ち向かえまい。
これからはお前たちを陰で支えつつ、離宮でメイソンを弔っていこうと思う。
ミハエルも十八歳となった。お前たちを支える一人となってくれるはずだ。
この国を、頼んだぞ」
瑞希は戸惑った後、力強く頷いた。
「お父様……わかったよ。霧の神の名に懸けて、必ずこの国を守って見せるよ!」
国王がフッと柔らかく微笑んだ。
「ミズキは、いつまでも変わらないな」
瑞希も優しく微笑んで応える。
「それはそうだよ。
私は私。何も変わらないよ。
――大丈夫! 不安になんて、させないからね!」
その年の秋、アルベルトがドライセン王国第十四代国王に即位した。
王都市民はそれを祝い、大いに歓迎した。
貴族の一部には反対する者もいたが、国王の意志を変えることはできなかった。
王宮のバルコニーで、戴冠式を終えたアルベルトと瑞希が、王都市民に対して手を振っていた。
瑞希の眼下に広がる市民たちの笑顔――彼らの人生を改めて背負ったのだと、瑞希は覚悟を新たにしていた。
彼らは霧の国の民。
霧の神を信仰する、瑞希を慕う民だ。
その命を一つたりとも無駄に散らせはしないと、固く誓っていた。
前国王からアルベルトが受け取ったバトンを、いつかヴァイスに渡す日が来る。
その日は霧の神の血族が、霧の国の王となる日だ。
この国が、真に霧の国となる――歴史に刻まれる日となるだろう。
その日を迎える為にも、アルベルトと共に、この国を守り抜かねばならない。
秋の風が、優しく瑞希の頬を撫でた。
この世界にやってきて八年――長いようで、あっという間に過ぎ去った時間だ。
今ではもう元の世界の記憶も、遠い夢のように思えていた。
瑞希も母となり、王妃となった。
新しい時代を、夫であるアルベルトと共に切り開いていかねばならない。
見上げる秋空は、青く晴れ渡っていた。
その向こうに、霧の神の笑顔が見えた気がした。
(霧の神、見ていて。必ずこの国を守り切って見せるから!)
瑞希たちを祝福するように、秋の優しい風が、金色の葉を空に舞い上がらせていた。
これにて、「霧の国へようこそ」第2章が終了です。
布石は残ってしまいましたが、ひと段落がついたので一旦これで完結とします。
作品タイトルを回収した感じの終わり方ですしね。
第3章も書き溜めていたのですが、50万文字書いても終わりが見えないので、一度筆を止めました。
瑞希やエステルのその後、さらにその先に待つ大きな事件とかあるのですが、書き上げられる日は来るかな?
第3章は(お届けできれば)2章までとちょっと雰囲気の変わる物語になります。主眼がエステルに移りますので。
それを投稿できる日が来るのかは、今はちょっとわかりません。
このまま第2章までで完結してしまう可能性の方が高いかもしれません。
第2章終盤は第3章へのプロローグを兼ねていたので、やや「もや」っとした終わり方になってしまう気もしますが、第3章がまとまらないので仕方ないですね。
このまま第3章を続けるか、新作を書くかはまだ決めていません。
長々とお読みくださり、ありがとうございました。
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