92.新たなる兆候
リンドマン伯爵騒動により、夜会会場は一層騒がしさを増していた。
この場に居るのは霧の神の信徒ばかりで、悪魔に対する知識も経験も乏しい。
何が起こったのかを理解できず、皆が不安がっているようだった。
――そんな夜会会場に、国王の声が大きく響き渡る。
「皆の者、落ち着いて欲しい。
今のは創竜神に敵対する者だ。どうやらミズキを狙ってこの場に潜り込んでいたと思われる。
今後、あのような輩が我が国に襲い掛かってくる事が懸念されるだろう。
――だが! ミズキの傍にはフェッツナー伯爵という頼もしい騎士が居る!
そしてアニカという心強い乳母も付いている!
二人はこれからアルベルトとミズキを支え、この国を導く大きな助けとなる者たちだ!
彼らが居る限り、皆が不安に思うようなことにはなるまい!
今夜はそんな二人を祝福する席だ! 気を取り直して、夜会を楽しんでもらいたい!」
国王の言葉の後、わずかな静寂が訪れた。
だが誰ともなく拍手を打ち鳴らし始め、会場が割れるほどの音が鳴り響いていた。
国王が手を挙げ、拍手が鳴りやんだ。
国王が背を向けると同時に楽団が演奏を再開し、夜会の空気が戻っていった。
瑞希が隣に居るアルベルトに告げる。
「さっすがお父様、トラブルになれてるね」
「私もあのように振る舞える王にならねばな」
「だーいじょうぶ! アルベルトなら、その時になれば同じように振る舞えるよ」
「だといいのだが……」
「あれ? 私の言葉が信用できないのかな?」
「――いや、お前の言葉だ。信じるとも」
瑞希の目が、所在なさげにしているオーバードルフ子爵にとまった。
近づいて行って、微笑みながら声をかける。
「どうしましたの? オーバードルフ子爵。お話相手が居らっしゃらないのかしら」
オーバードルフ子爵は困ったように微笑んだ。
「いえ、先ほどまでシュトロイベル公爵やルートヴィヒ侯爵、マイヤー辺境伯やマルクス騎士団長が入れ違いにやってきてくださいました。
ですが私も交友関係に乏しい人間。この場に呼べる友人もおらず、人望もあるとは言えません。
みなさんはフェッツナー伯爵の次期近衛騎士団長を約束してくださいましたが、私自身は一騎士に過ぎぬ身。
周囲の貴族たちも、私自身には関心がないのでしょう。
私も、彼らに話しかけるほどの度胸も話術もありません。どうしたものかと悩んでおりました」
どうやら、オーバードルフ子爵夫人も同様のようで、夫婦だけで時間が過ぎるのを待っているようだった。
瑞希が微笑みかける。
「では、私が少しお話し相手になりますわ。
――どうかしら。今のアニカの姿を見て、オーバードルフ子爵夫妻はどのように思いましたか?」
オーバードルフ子爵の目が、遠くで力強く微笑むアニカに注がれた。
「……本当に別人の様です。
いつのまに娘は、あれほど力強く生きていけるようになったのでしょうか」
「ソニアの婚姻でシュティラーヒューゲル王国に向かう旅程ですわ。
道中でユリアンとアニカが仲を深め、シュティラーヒューゲル王国で決定的な何かがあったようなのです。
ですが、何があったのかまでは二人とも、私にすら教えてくれませんの。
余程大切な思い出なのでしょうね」
オーバードルフ子爵夫人がフッと微笑んだ。
「あの子はいつもそう。
大切なものほど、隠してしまいたがる子でしたの。
きっと私たちがねだっても、教えてはくれないでしょうね」
オーバードルフ子爵の後ろから、一組の男女が近寄ってきた。
「そんな可愛らしい性格をしてるのか。アニカ嬢は」
オーバードルフ子爵が振り向いて応える。
「フェッツナー子爵ですか。
ええ、外見も性格もあのような娘ですので、私に出来る精一杯として、身を守る術を教え込みました。
ですが、それが良くなかったのかもしれません。
他人からの暴力に脅かされることはなくなりましたが、自分の振るう暴力に心が負けてしまっているようでした。
私ではその心を救ってやることが出来なかった。そのことをずっと悔いておりました。
――ですがそんな娘の心を、ユリアン殿が救ってくださった。そのことを、私は篤く感謝したい気持ちです」
フェッツナー子爵が微笑んだ。
ユリアンのようにすらっとした男性だ。笑った顔も、よく似ていた。
「オーバードルフ子爵、我らは同格の身、そのように堅苦しい言葉は抜きにしようじゃないか。
私たち夫婦こそ、ユリアンの妻となってくれる女性が現れてくれてほっとしている。
あいつの個性はおそらく、姉や妹に挟まれて育ったせいもあるだろう。
あいつ自身も、若い頃は自分の在り方に悩んだ時期もあったようだ。
そんなユリアンを深く理解し、愛してくれるアニカ嬢を、私たち夫婦は歓迎するよ」
フェッツナー子爵が瑞希に振り向いた。
「ミズキ殿下。息子の人生は殿下に出会ってから、とても良い方向に向かっているように思います。
これもまた、霧の神のお導きなのでしょう。
これからも、息子をよろしくお願いいたします」
瑞希がニカッと微笑んだ。
「堅苦しいのは抜き――なんでしょ?
私も堅苦しいのは苦手なんだ! ユリアンさんやアニカのご両親なら、私に敬語なんて要らないよ!
私やエステルも、ユリアンさんやアニカにはたくさん助けられてる。
いつもすっごい感謝してるんだよ!
特にユリアンさんには、迷っているところや危ない所を何度も助けてもらってる。
これからも、たくさん助けてもらう! こちらこそ、よろしくね!」
次第にユリアンとアニカ、クラインとマルティン、アリシアとロルフ、イーリスとゲルト、コルネリアやアニエルカなどが集まっていった。
そのままユリアンとアニカの幼少期の話題を根掘り葉掘り聞きだす場となり、珍しく照れて真っ赤になるユリアンの姿もあった。
笑顔の絶えない時間は、そのまま夜会の終わりまで続いていった。
****
部屋に戻って着替え終わった瑞希とアルベルトが、どさりとソファに身を沈めた。
「あーつかれたー。さすがに人を呼びすぎたかな」
「いや、結果的には良かっただろう。
父上の演説で、ユリアンとアニカがこの国で重要な位置にいる人物だと多くの人間に知らしめることが出来た。
あれほど仲睦まじい姿を見れば、偽装結婚などと噂する者も出ないはずだ。
ユリアンの次期近衛騎士団長も約束され、その話はあの場で多くの者が耳にした。
父上からも信頼され、あれだけの人物が後ろ盾となっていると知らしめられたんだ」
あそこまで念入りにしておけば、ユリアンの個性や二人の年齢に関する悪評など、あっさり吹き飛ぶのは間違いない。
明日からの社交界は、次期近衛騎士団長の話題でもちきりになるはずだ。
「ねぇアルベルト。
ユリアンさんって、いつのまに次期近衛騎士団長に決まってたの?」
「前からシュトロイベル公爵は強く推薦していたが、他の候補者も根強く残っていたようだ。
今夜の事はおそらく、クラインが入れ知恵して親を説得したんじゃないか?
確かに、未婚のままでは好ましくないのも事実だ。
『婚姻するならば次期団長に推薦してもいい』という結論に誘導したんだろう」
クラインがマイヤー辺境伯を、アリシアとロルフがルートヴィヒ侯爵を説得し、ルートヴィヒ侯爵がマルクス騎士団長を説得した、ということだろう。
ユリアンとアニカを悪評から守る、見事な援護射撃だ。
「……もしかして、私に会う前までも、クラインってこうやってアルベルトの事を支えてたりした?」
アルベルトが目をつぶったまま頷いた。
「ああ、いつの間にか根回しを済ませてしまうんだ。あいつは。
言っただろう? あいつは全方位で守ってくれる女性だ。
前にも出るし、裏にも回る。味方にすれば、あれ程頼もしい女性はまず居ない。
そのことで恩を着せることもしないし、敢えて告げることもしない」
「さっすが、お父様がアルベルトの婚約者候補として拘っただけはあるね。
王妃としては、やっぱりクラインの方がふさわしいんじゃない?」
「だが私の伴侶は、お前しかありえない。
だからお前は、お前なりの王妃になればいい。
そんなお前を、クラインたちが支えてくれるさ」
リビングに、エステルを抱えた新しい乳母――ハンナが姿を見せた。
エステルは静かに眠っているようだ。
「ああ、ありがとうハンナ。
エステルは我儘を言わなかった?」
「少しぐずりかけることはありましたが、シュワルツ公爵があやして下さり、すぐに収まりました」
創竜神の眷属、上位四頭の竜まで子守に参戦だ。
瑞希は苦笑を浮かべてハンナに尋ねる。
「黒龍さんは今、どこに?」
「レッド公爵とお話をしてらっしゃるようです」
おそらく、リンドマン伯爵が使った呪物について相談をしているのだろう。
瑞希としても、あの呪物に対抗する手段は欲しいと思っていた。
ハンナからエステルを受け取った瑞希がザビーネに告げる。
「紅茶をもらえるかな。
そのあと、人払いをお願い」
****
テーブルの上に≪映像通話≫の画面が浮かび上がる。
画面は無人のカウンターが映っているだけだ。
紅茶を飲みながら、瑞希が告げる。
「ラウさーん、そこにいるー?」
物音がして少しすると、フードを被った男――ラウが姿を見せた。
『……なんだこれは。どういう術式だ?』
「細かいことは気にしない!
この術式の事も、なるだけ秘密にしてくれると助かるかな」
『それは構わないが、人間のお前が魔族を魔導で追いかけるのは止めておけよ?』
「これはラウさんじゃなくて、そのお店のカウンターに座標を合わせた術式だよ。
だからその場所にしか画面を作れないんだけど、これなら大丈夫でしょ?」
『まーその理屈なら大丈夫だ。
俺も悪臭に耐えなくていいし、お前が俺の店に通う噂も立たない。
問題は情報の対価だが、それはどうするんだ?』
「後払いになっちゃうけど、お使いをそっちに出すよ。
ラウさんとしても、金銭での報酬もあった方が動きやすいでしょ?
適当な書類を作って渡してくれればいいよ」
『ふむ……まぁいいだろう。お前ならつけ払いでも構わん。
それで、何を知りたいんだ?』
「今夜の夜会で、フラハバーグ王国のリンドマン伯爵って人が来てさ。
悪魔崇拝者だってのはすぐにわかったから術式で捕まえたんだけど、強力な呪物で逃げられちゃったんだ。
赤竜さんは『魔竜の血石』かそれに匹敵するものだろうって言ってた。
――この今夜の出来事について、売れる情報を売って欲しいかな」
『ふむ……いいだろう。若い女三人を寄越してくれ。それで話せるだけ話す』
「わかったー」
『軽いな……。
まずフラハバーグ王国だが、あの地には公爵級魔族が封印されている。
そのリンドマン伯爵ってのは、その復活をもくろむ一派だろう』
「そんな人が、こんな北の方にまで来たの?」
『それだけ、お前らに生贄の価値を認めてるんだろう。
逃げられたとしたら、再び何らかの手を打ってくる。気を付けておけ』
「はーい」
『二つ目だ。”魔竜の血石”だが、大陸の魔族コミュニティの中で、密かに伝承されている呪物だと噂されている。
そのリンドマン伯爵が持っていた物が魔竜の血石かはわからんが、それに匹敵する呪物の噂は、俺も知らん』
「じゃあ、魔竜の血石である可能性が高いってことかな……厄介な呪物だね」
『魔竜の血石だとしたら、神話級の呪物だからな。人間がどうにかできるものだと思わない方が良い。
――三つ目だ。最近、ドライセン王国の西側でコミュニティの人間が動いているという噂がある。
詳しい国名まではさすがに言えないが、注意をしておけ』
「……私は『今夜の事についての情報』を求めたんだよ?
それで出てくるのがその情報なの?」
『言っただろう、同族を売る真似まではできん。
だが人間どもの動きを教えるぐらいは、多少ならできる。俺に言えるのはここまでだ』
「私の質問にも、答えることはできるか?」
レッド公爵が、静かに瑞希の背後に佇んでいた。
ラウは少しの間を置いて告げる。
『赤竜、あんたに情報の対価を払えるのか?』
「お前の命を保証する、というのはどうだろうか」
「赤竜さん?! 命令を破る気?!」
『……まぁ確かに、あんたは魔族に対して深い恨みを持つ竜だ。
神罰を覚悟で命令違反をしても、おかしくはないか。
――いいだろう、言うだけ言ってみてくれ。報酬が割に合わないと判断すれば、俺はこのまま姿を消す』
瑞希が慌てて口を挟む。
「待って! ラウさんを失うのは困るんだよ!
――赤竜さん! お願いだから、命令を守って!」
レッド公爵が静かな顔で告げる。
「……わかった。だが質問をすることだけは許してほしい。
その対価は――ラウ、お前が決めて良い」
『……言うだけ言ってみてくれ。
赤竜でも払えないと判断すれば、俺は応えない。
それで構わないか?』
「ああ、それでいい。
――ここより西の地、といったな。
ならば奴らの狙いは『大公』か」
ラウの体が震えた。
しばらくして、ラウが静かに告げる。
『……すまない。
さすがにそれは、どれだけ報酬を積まれようが売れない情報だ。
諦めてくれ』
「……では質問を変えよう。
お前のような魔族は、どの程度存在する?」
『俺のような……どういう意味だ?』
「人間社会に紛れ、人間と協調して生きる魔族の個体のことだ」
『その情報なら、竜の牙を一本くれ。つけ払いで構わない』
レッド公爵が口の中に手を入れ、歯を引き抜いた――その歯が、手のひらの中で小さな牙に変わっていた。
その牙を、レッド公爵は画面に見せつけるように持ち上げた。
「この牙を瑞希の使者に持たせる」
ラウが、牙を確認するように間を置いた。
『いいだろう。それだけでも立派な呪物だ。
――人間社会に紛れている力の弱い個体は、それなりに居る。一国に数十人といったところだろう。
大抵は貧民街に隠れ棲み、人間にほどほどの暴力を振るって生きている。
人間から見たら、街の無法者と区別はつかないだろう。
裏社会で生きる個体も居るが、あれを協調してると言えるかは疑問だな。
俺のように人間に全く手を出さない個体となると、各国に一人いるかどうかだ』
「お前はこれまで、人間を手にかけた事がないと、今言ったのか?」
『追加の質問だな……だがまぁおまけで応えてやる。
俺は生まれてから今まで、人間を傷つけたことはない。
魔族仲間すら必要最低限だ。
暴力が嫌いなんでな。なるだけ平和的に解決したいんだが、魔族社会はそうも言ってられない。
だから人間社会に紛れて生きている』
「……わかった。信用しよう。
お前が人間に敵対しない限り、私がお前の命を狙うことがないことを約束する」
『……いいのか?
あんたの話は伝え聞いている。
無理をしてまで約束をしなくてもいいんだぞ?
俺だっていつでも死ぬ覚悟はできている。
抗いはするが、命運が尽きたら、素直に滅びるだけだ』
「フン! 魔族と手を組むなど反吐が出るが、これからお前の情報が必要になる局面が訪れかねない。
大きな犠牲を防ぐためなら、怒りを飲み込むぐらいはするさ」
ラウはしばらく考えるように黙り込んだ。
『赤竜にそこまで言われたなら、俺もできる限りの協力はしよう。
売れないものは売れないが、売れる情報をなるだけ仕入れる努力はしておく。
この国が滅びない事を、願っているよ』
瑞希がラウに告げる。
「ごめんね、驚かせちゃって。
これからもよろしくね! おやすみ!」
瑞希が≪映像通話≫の画面を消した。
振り返ってレッド公爵に告げる。
「ちょっと赤竜さん! 心臓に悪いことしないでよ!
……でも、ありがとう。理解してくれて」
レッド公爵が静かな微笑みを浮かべた。
「なに、このぐらいは慣れたものだ。
瑞希はこの先の苦難を乗り越える覚悟だけしておきなさい」
「さっき言ってた『大公』って何のこと?」
「それは、言える時が来たら伝えよう。
伝えずに済むことを、願っているよ」




