91.南国の伯爵
瑞希がアルベルトを連れて向かった先――そこにはグライツラー侯爵が居た。
「来てくださったのですわね、グライツラー侯爵」
振り向いたグライツラー侯爵が微笑みながら応える。
「ああ、ミズキ殿下。
ええ、色々とタイミングが良かったですね。
今回は南方からの友人を同伴しているのですよ。
――さ、リンドマン伯爵」
グライツラー侯爵が横を見る――そこにはスマートな壮年の男性貴族が居た。
肩で揃えた透き通るようなプラチナブロンド、瞳はエメラルドグリーンだ。
優美な印象はどこか、シュトロイベル公爵に通じるものを感じていた。
「フラハバーグ王国の伯爵、ヴィルメ・グランフェルト・リンドマンです。
グライツラー侯爵とは、彼が旅行中に知り合って以来、情報交換をする仲です。
ミズキ殿下は、フラハバーグ王国をご存じですか?」
瑞希は微笑んで応える。
「いいえ、存じませんの。少なくとも、ドライセン周辺にそのような国はありませんわよね。
南方とは、どれくらい南にありますの?」
「大陸中央よりさらに南にある、人口二十万人の王国ですよ。
馬で片道二か月ほどかかるくらいには離れています。知らなくても仕方ありませんね」
ざっくり考えると、東京からインドネシアぐらい離れている場所だ。
車や飛行機のない世界なのだから、移動するだけで一苦労だろう。
大陸北部に位置するドライセン王国からすれば、縁が全くない国だ。
「まぁ、そんなに遠くから、ドライセンまでいらっしゃったのですか?
いったいこんな北方まで、何をしにこられたのかしら。ご旅行でしょうか」
リンドマン伯爵が微笑みながら肩をすくめた。
「昨年、脳裏に降ってきた映像――そこに映っていた神のような少女と、そっくりな方がこちらにいる、と伺ったのでね。
しかし見れば見るほど、あの映像の少女そっくりだ。
――ああ、旅行というのも、間違いではないですけどね。
旅をしながら各地の情報を集めるのも、仕事の一つなので」
グライツラー侯爵が微笑みながら瑞希に告げる。
「私が帰国した時期と、あなたからの招待状と、リンドマン伯爵が我が家を訪れたタイミングが重なっていたのです。
これも創竜神様のお導きかと思い、『せっかくだから』と、彼をこの夜会に誘ったんですよ」
瑞希が小さく息をついた。
「あの映像、そんな南方の国にまで広まっていたんですか?
本当に大陸中の白竜教会信徒が見てしまった、ということなのでしょうね。
――リンドマン伯爵、ひとつ伺ってもよろしいかしら?」
リンドマン伯爵が柔らかく微笑んで応える。
「ええ、なんなりと」
「あの映像がドライセン王国の映像だと、どのくらい広まっているかご存じ?」
リンドマン伯爵が肩をすくめた。
「私はたまたまグライツラー侯爵と交流があり、知る機会がありました。
そうでない人間は、あれがどこの映像なのか、見当もつかないままでしょう。
――私からも質問をしたい。あの少女は何者なのですか?
創竜神様よりも高位の存在に見えました。
彼女も神の一柱、ということなのでしょうか」
瑞希が柔らかく微笑んで応える。
「少なくとも、彼女が霧の神でないのは確かですわね。
『お母様直伝の死の権能』と口にしていましたから、霧の神の娘、のようなものではないでしょうか。
神の娘なら、彼女もまた神の一柱と言えるのかもしれませんが、私も詳しくは存じ上げませんの」
「あなたは『異世界から来た霧の神の眷属』という噂も耳にしました。
そして人間技とは思えない魔導を使うとも。
私にもその魔導の片鱗を見せて頂くことはできますか?」
瑞希は口元を隠し、小さく笑った。
「ふふ、私の魔導など、大したことはありませんの。
噂が大きくなっているだけだと思います。
わざわざお見せしても、がっかりするだけですわ」
リンドマン伯爵が肩をすくめて困ったように微笑んだ。
「どうやら、私はあなたから信頼できる相手とは思われていないようだ。
グライツラー侯爵からいくつか伺っている話だけでも、驚嘆に値する魔導だと思いますが」
「私の魔導は国家機密。
陛下の許しなくお見せすることが出来ませんの。
そのことについては、申し訳なく思いますわ」
「私は当分、この大陸北方の情報を集めるために、この付近に滞在することになります。
またそのうち、お会いする機会があるかもしれません。
今後とも、お見知りおきください」
リンドマン伯爵が右手を差し出した。
友好の印に握手をしよう、ということなのだろう。
瑞希は微笑みながら小さく息をつき、その手を握る――その瞬間、リンドマン伯爵の手がバチンという大きな破裂音と共に弾かれていた。
目を見開いて驚愕するリンドマン伯爵に対し、瑞希は微笑みながら告げる。
「私に対して何か魔術を仕掛けようとしてらしたようですが、それは無駄なことだとお伝えしておきますわ。
改めてリンドマン伯爵に伺ってもよろしいかしら?
――創竜神の信徒ではないあなたが、どうやって映像をご覧になったのか。教えてくださらない?」
グライツラー侯爵が慌てたように瑞希に告げる。
「ミズキ殿下?! 彼は私と同じ創竜神様の信徒、それは交流してきた私が保証いたしますよ!
いったい何を仰っているのですか!」
瑞希はグライツラー侯爵に微笑みながら告げる。
「私の魔導のことを、グライツラー侯爵は御存じのはず。
その私の魔導で、『リンドマン伯爵が悪魔崇拝者だ』と知っただけですわ」
その言葉を合図に、瑞希とリンドマン伯爵の周囲を近衛騎士たちが取り囲んだ。
瑞希が再び告げる。
「すでにこの会場は、あなたを捕縛する手筈が整っています。
言い残す事があれば、聞いて差し上げてもよろしいですわよ?」
リンドマン伯爵が肩をすくめて微笑んだ。
「……噂通り、とんでもない魔導をお使いのようだ。
私の擬態を見抜いたのは、あなたが初めてですよ。
おかげで、予定を大幅に変更しなければならなくなりました。困ったものです。
――上位四頭の竜がこの国に居る、という噂も聞いています。
彼らもこの会場に居るのですか?」
「聞いて差し上げるとは言いましたが、教えて差し上げるとは言っておりませんわ。
他に言い残すことがなければ、その動きを封じさせていただきますが、もう覚悟はよろしくて?」
リンドマン伯爵の笑みが醜悪なものに変わった。
「人間の魔導ごときが私に通用する、などと思わない方が良いですよ」
即座に瑞希が≪捕縛≫の術式でリンドマン伯爵を捕らえた。
だがリンドマン伯爵は炎の縄を、いとも容易く引きちぎっていた。
「だから言ったでしょう? 人間の術式など、私には通用しません。
あなたとはまた、どこかで会うこともあるでしょう。
それまでお元気でいてください」
次の瞬間、リンドマン伯爵の姿が掻き消えた――かに見えたが、再び破裂音と共にリンドマン伯爵が床に叩きつけられ、転がっていた。
困惑するリンドマン伯爵に対し、瑞希が微笑みながら告げる。
「あら、『人間の魔導は通用しない』のではなかったのですか?
どうしたのですか? 逃げないのですか?」
リンドマン伯爵が一瞬真顔になり、瑞希を見据えた。
再び姿が一瞬掻き消えた後、破裂音と共にリンドマン伯爵が床に叩きつけられていた。
リンドマン伯爵が苦笑を浮かべながら告げる。
「これは……どういう魔導だ。なぜあなたごときの魔力で私を封殺できるのだ」
瑞希は小首を傾げた。
「さぁ? なぜでしょう? 不思議ですわね。
魔力は遥かにあなたがお強そうですのに、あなたは手も足も出ないご様子。
魔導とは、奥深いものなのですね」
向かい合う瑞希とリンドマン伯爵の元へ、微笑むリーゼロッテと微笑むレッド公爵が姿を現した。
レッド公爵が微笑みながら瑞希に尋ねる。
「瑞希、この崇拝者は始末してしまっても構わないね?」
「ええ、赤竜様のお好きにしてくださって結構ですわよ?」
レッド公爵とリーゼロッテの姿を見たリンドマン伯爵が、冷や汗を流しながら苦笑を浮かべた。
「竜の寵児と赤竜ですか、どうやら緊急事態のようだ。仕方がありませんね」
リンドマン伯爵が懐から何かを取り出すと同時に、瑞希はリンドマン伯爵を取り囲んでいた術式が大きく歪む手ごたえを感じていた。
(嘘?! ≪隔絶≫の術式に干渉してるの?!)
リンドマン伯爵が手に握った何かを頭上に掲げた瞬間、彼の姿は強い闇のような光を放った。
それと同時に瑞希の術式が破壊され、辺りに闇のような光が迸っていた。
浴びるだけで寒気を感じる光――それが収まった時、リンドマン伯爵の姿はその場から忽然と消えていた。
騒然とする夜会会場の中で、レッド公爵はリンドマン伯爵が居た場所を静かな表情で見つめていた。
瑞希がレッド公爵に尋ねる。
「赤竜さん、今のはどういうこと? 逃げられたの?」
「……ああ、どうやらそのようだ。
瑞希の魔導すら抜け出して逃げ出すとは、予想外だったね」
「あの≪隔絶≫の術式は因果を遮断する術式。
あれを超えられるのは神の奇跡だけ……だと思っていたけど、術式を破壊されちゃった。
あれは何が起こったの?」
「相当に強力な呪物を用いたんだろう。おそらく『魔竜の血石』か、それに匹敵する呪物だ。
瑞希の魔力では、その呪物の力に抗うことができなかった、ということなのだと思う」
「その『魔竜の血石』ってなんなの?」
「遥かな古代に生きた、とても強力な竜の血を触媒にして作った呪物だと言われている。
その竜は神に匹敵する力を持っていたとも伝えられている、呪物としては最高峰の代物だ。
だが長い歴史の中で失われた物でもある。
それに匹敵する呪物の心当たりはないが、魔竜の血石などという重要な呪物を、こんな場所に持ってくるとも考えにくい。
――どちらにせよ、崇拝者に逃げられたという事実だけは確かだ」
(私の魔導でも封殺できない呪物、か。厄介だな)
苦戦の予感を覚えながら、瑞希はレッド公爵と共に、リンドマン伯爵が消え去った場所を見つめていた。




