9.凶刃
瑞希は部屋に戻り、アルベルトと昼食を食べていた。
アルベルトが感慨深そうに瑞希に語りかける。
「人が死ぬ場面を目撃しただけであれほど動揺していたミズキが、殺し合いの覚悟を持つようになるとはなぁ。
霧の神の奇跡はヴォルフガングが言う通り、不可抗力だ。
自分にそう言い含めて、責任を感じずに生きる事もできたはずだ」
瑞希は精一杯の笑顔で応える――傍目には、無理をしてるのがありありと分かる笑みだ。
「私は、そんな卑怯な生き方を選べないみたい。
自分でも、ちょっと驚いてるけどね。
あんなことがなければと、今でも思う。
けど起こってしまったのだから、それを踏まえてこれから生きて行かなくちゃ」
「そうか……不器用な奴なんだな、お前は。
ではこれからどう生きて行くのか、方針は決まったのか?
魔導学院に通い、上流階級に縁を持つ人間として生きるのか。
あるいは世界を救うだけ救ったら、帰る時が来るまでひっそりと生きて行くのか」
「元の生活、元の自分にはもう戻れない気がしてるし、あちらには両親がいるだけだもん。
未練がないと言えば嘘になるけど、こちらの世界で生きて行くのも悪くないかなって思い始めてるところ。
こっちで精一杯生きてみて、その結果世界が救われたら、もうそれでいいかなって。
だから受験勉強と一緒に、上流階級の作法や礼節も覚えて行こうかなって思ってる。
王侯貴族が通う学校なら、入学した時にはある程度できておいたほうがいいだろうし」
アルベルトが楽しそうに微笑んだ。
「そんなに欲張って大丈夫なのか?
覚えることが多すぎるぞ?」
瑞希は肩をすくめた。
「それ以外、今はやることもなさそうだし。丁度いいんじゃないかな?」
アルベルトが瑞希の目をまじまじと見つめていた。
「……いいだろう。
講師は私に任せてくれ。近日中に手配してみせよう。
魔導学院の受験は年末近く、もう残り一か月弱だ。
まずは教養科目を克服するところから始めた方が良いだろう。
そちらの目途が付き次第、作法の講師に付いてもらう。
他に欲しい講師が居れば、遠慮なく言って欲しい」
瑞希が俯きながら考えていた。
「……戦争や戦闘に関する講師も、考えておいてくれないかな。
魔術で戦う技術を、私は覚えておきたい。
戦乱がこの国を飲み込んでも対応できるように、私はなっておきたいんだ。
人を殺す経験も、今のうちから積んでおいた方が良いと思う。
少なくとも、アルベルトが野盗を切り捨てられる程度の心を、私は持つ必要があるんだ。
ヴォルフガングさんはああ言ってくれたけど、追い詰められてから経験を積んでいたら遅いよ」
アルベルトが楽しそうに瑞希を見つめていた。
「どうしてそこまでしようとするんだ?
お前にとってここは異世界。
見ず知らずの人間ばかりが住む国だ。
お前がそこまで自分の身も心も投げ打つ必要はないだろう。
実戦は実働部隊に任せ、お前は父上と共に王宮に居ればいいだけの話じゃないのか?」
「もう私はアルベルトやクラインを始めとして、何人もの人と出会い、お世話になったよ。
見ず知らずの人間が住む国じゃない。
それにこの国を救うのは、世界を救うのに必要な事だと感じてる。
より良い形でこの国を救うために、手札を増やしておきたいんだ。
なにより、自分の手を汚すことを怖がって他人に任せているような振る舞いも、私にはできない。
私の言葉や願いで人が死ぬなら、それは自分の手を汚すのと同じことだよ」
アルベルトは、ひたむきな眼差しで語る瑞希の目を、ずっと見守っていた。
「……お前の覚悟は理解した。
だが、その覚悟にお前の心が耐えられるかは別問題だろう。
それについては十二月中に一度、野盗退治を経験してみよう。
実戦経験を積んで、それがどれほど自分に向いていないかを自覚しておいた方が良い。
お前の心が病んでしまわないように、これから動いていかなければならないからな」
瑞希が微笑みながら頷いた。
「うん、ありがとう。
でも私は、必ずそれを克服して見せるよ。
でなければ私は、自分の願いで八千人を殺した事実に負けてしまう気がする。
そのためにも、私は強くならなきゃいけないんだ」
「そのことも、午後からの講義でヴォルフガングと相談しておいた方がいいな。
あいつは実戦経験もある魔導士だ。
きっとお前の役に立つ助言をしてくれる。
――ああそれと、今夜はお前を歓迎する小さな夜会が開かれる。
父上たちにも、お前を会わせなければならないしな。
今夜は作法のことは忘れて構わないから、気楽に参加してくれ」
****
ヴォルフガングは神妙な顔で瑞希を見つめながら、アルベルトから話を聞いていた。
「そうですか、それほどの覚悟をお持ちですか。
であれば、年内は私がミズキ様に魔術での戦い方を指導しましょう。
野盗退治に私も同行します。
ミズキ様の心身が危うくなれば、魔術で庇うこともできますからね」
瑞希はヴォルフガングに頭を下げてお辞儀をした。
「よろしくお願いします。
――私は強くなりたい。
人の命を背負う重みに、負けない心を得たいんだ」
瑞希のひたむきな眼差しを、ヴォルフガングは嬉しそうに見つめ返していた。
「任せてください。
あなたの心が歪んでしまわないよう、最大限お手伝いしましょう」
その後、瑞希はヴォルフガングから初歩の魔術を教わっていった。
術理と術式を説明されれば即座に習得してみせる瑞希に、ヴォルフガングも舌を巻いていた。
「いや、これは本当に素晴らしい。
神がかり的な才能ですな」
感心しているヴォルフガングに、傍で見守っていたアルベルトが楽しそうに尋ねる。
「初歩の魔術だ、これくらいは当然じゃないのか?」
「いいえ、理解の解像度が並の人間の比ではありませんよ。
魔術の家系の出身だということですが、昨日まで魔力操作すら知らなかった人間の理解力ではありません。
魔導において、比類ないものをミズキ様はお持ちです。
――≪過去視≫の魔術というのを、私にも見せて頂くことはできますかな?」
瑞希は静かに頷き、覚えたばかりの火炎魔術で画面を生み出し、そこに午前中のヴォルフガングの姿を映してみせた。
「……今度は巧く行ったかな。
二時間前の映像だよ」
ヴォルフガングが真剣な表情で瑞希の披露した魔術を観察していく。
「なるほどなるほど、そういう魔術ですか。
恐らくこの魔術は、自分自身の姿を遡ることはできないでしょう。
その制約を回避するには、術式をアレンジする必要があります」
瑞希が小首を傾げた。
「どうすればいいのかな?」
ヴォルフガングが瑞希の目の前で、同じように火の画面に同じ場面を映し出してみせた。
「……どうやら巧く行きましたね。
このように、使用する魔術理論のいくつかを置き換える必要があります。
ミズキ様の使った術式は、自己に関する因果を苦手とするものです。
それを克服する魔術理論を組み込みました」
瑞希がヴォルフガングの魔術を観察した後、頷いた。
「ぼんやりと把握したよ。やってみるね――」
一旦術式を解除した瑞希が、改めて火の画面を作り映像を投影した。
そこには、早朝ランニングする瑞希の姿が映し出されていた。
「……巧く行ったかな?
朝五時の映像だよ。十時間前だね」
ヴォルフガングが楽しそうに瑞希の魔術を観察している。
「自己の因果を克服した上で、さらに時刻を指定した術式に変えている。
見事なアレンジ能力と言えましょう」
瑞希がアルベルトに振り向いた。
「ねぇアルベルト、夜会は何時から始まるの?」
「ん? ああ、夜七時からだ」
「そっか……じゃあこんなのはどうかな」
再び画面を消し、改めて瑞希が画面を作り出した。
その画面には、刺客に襲われ致命傷を負う国王の姿が映し出されていた。
****
アルベルトもヴォルフガングも、固唾をのんで画面を見つめていた。
画面の中の国王は刺客の凶刃に倒れ、混乱する夜会の様子が映し出されていた。
瑞希も冷や汗を浮かべ、乾いた笑いで画面を見つめている。
「ははは……まさか、こんな映像になるなんてね」
画面が大きく乱れ、映像が途切れた。
「……あれ? 消えちゃった」
ヴォルフガングが考え込みながら口を開く。
「おそらく、今の映像を我々が見たことで因果が揺らいだのでしょう。
今のは≪未来視≫の魔術ですな?
何時頃の映像でしたか?」
「夜八時頃だね。
……さっきの映像に映った犯人が今何をしてるか、映してみるね」
再展開された魔術は、夜会の支度をする従者の姿を映し出していた。
ヴォルフガングがアルベルトに振り向いた。
「殿下、今すぐこの者を捕えてください」
「わかっている、この場は任せたぞ――」
アルベルトは駆け出すように部屋から出ていった。
瑞希とヴォルフガングは、黙って画面を見守っていた。
しばらくすると、従者の周囲を兵士が取り囲み、騎士たちが従者を取り押さえた。
騎士の一撃が従者を昏倒させ、その場で縛り上げ連行されていた。
瑞希は魔術を解除し、大きく息をついた。
「ふぅ。どうやら無事に取り押さえられたみたいだね」
ヴォルフガングが神妙な顔で瑞希の顔を見つめている。
「ミズキ様、今の≪未来視≫の魔術は軽率に使わない方がよろしいでしょう」
「どうして?」
「ご自覚がありませんか?
魂がすり減っておいでです。
寿命を縮める魔術、と言えばご理解いただけますか?」
「……この感覚は、魔力を消耗しただけじゃないってことだね。
確かに、未来を見るなんて人間の力を大きく超える魔術だもんね。
よく成功したなぁ」
「それだけ、ミズキ様の魔力操作技術が高く、魔力が大きい……いえ、それだけではありませんな。
ミズキ様ご自身が特別な存在なのでしょう」
「私は霧の神の血族だって話だから、神の力の一端を使えるのかもしれないね」
「この魔術の存在は他言しない方がよいでしょう。
知られて良いことは有りません。
他に手がないときに、最後の手段として使う――それぐらい危険な魔術だと心得てください」
瑞希が頷いた。
「もちろんだよ。
私だって寿命を削ってまで魔術を使いたくないし。
それにしても、あの犯人は誰なんだろう?
どうして王様がこのタイミングで命を狙われたのかな?」
「それはこれから取り調べを行い、ある程度は判明するでしょう」
部屋にアルベルトが戻ってきて、二人に報告する。
「取り押さえに成功した。
ヴォルフガング、お前は取り調べに協力してくれないか。
おそらくシュトルム王国の密偵だ」
ヴォルフガングが頷き、入れ替わるように部屋を出ていった。
瑞希がアルベルトに尋ねる。
「ねぇアルベルト。
今の未来を映した魔術は秘密にして欲しいんだ。
誰かにこの事を話した?」
「いや、まだ誰にも話していない。
私にだってこの魔術の危険性ぐらいは推測できる。
こんな魔術が使えると知られれば、ミズキの身が狙われる危険性が高まるからな」
「ありがとう。
――でも、ヴォルフガングさんが居なくなっちゃったね。
夜会の時間まで暇になっちゃった」
アルベルトが微笑みながら提案する。
「あんな大魔術を使った直後だ。
今日は魔術を使うのを控えて、お前の部屋で話でもして過ごそう」
****
瑞希は夕方まで部屋でアルベルトと雑談をして過ごした後、夜会の支度を始めるよう告げられた。
マイヤー辺境伯が用意してくれた夜会用のドレスに着替え、化粧を施されて行く。
支度が終わるとアルベルトが瑞希を迎えに来て、時間までまた雑談をして過ごすことになった。
「初めて着る夜会用ドレスの感想はどうだ?」
瑞希は顔をしかめて応える。
「コルセットなんて、私の体型なら必要ないと思うんだけどなぁ」
「ははは、まぁ諦めろ。
夜会はどうしても美を張り合う場になる。
少しでも美しく着飾ろうとする。
そこで手を抜くと、印象が悪くなるからな。
相応に努力をしている姿を見せる必要がある。
お前の美貌はただでさえ羨望の的になる。
下手に嫉妬を煽る真似は、控えた方が良いだろう」
瑞希が憂鬱そうにため息をついた。
「女子の戦いの場か……
それが一番憂鬱なんだよねー。
私は元の世界で、親しい友達なんて作ってこれなかったし。
クラインが初めての友人じゃないかってくらいに」
「クラインも呼べればよかったんだがな。
今頃は領地に向けて帰っている最中だ。
アリシアは参加するから、フォローを頼んでおくか」
「アリシアさん? 公爵令嬢だっけ?」
アルベルトが憂鬱そうに頷いた。
「ああそうだ。
あいつは度が過ぎたのんびり屋だから、頼りにはならんだろうけどな」
瑞希が小首を傾げた。
「……なんで憂鬱になってるの?」
「あいつはマイペース過ぎて、傍に居ると疲れるんだよ。
まぁ、会えば分かるさ」