89.魔族
「ラウさんが人間じゃなかったなんて……」
馬車に揺られながら、アニカが呟いた。
瑞希は気の抜けた気分で告げる。
「まさか、あんな悪魔も居るなんてね。
結構人間臭いし、アニカが安心して通ってたのも分かる気がするよ。
悪い人じゃない感じがする」
エーベルヴァイン男爵は困惑した表情で告げる。
「悪魔だとか魔族だとか、何の話をされていたのですか?
さっぱり意味がわからない会話でしたが」
「白竜教会――創竜神と敵対してる勢力だよ。
でもラウさんは、そう言った勢力と距離をとって生きてる悪魔なんだろうね。
暴力が嫌いってのも、嘘じゃなさそうだったし。
人間の子供たちに好かれてるのだって、人柄がいいからだろうし」
ユリアンがアニカの肩を優しく叩きながら瑞希に尋ねる。
「それで、どうするの?
ラウのこと、レッド公爵やシュワルツ公爵に知らせるの?
人間に敵対してないけど、悪魔ではあるわ」
瑞希は肩をすくめて応える。
「黙っていても、心を読まれて知られちゃう。
だから先手を打って、こちらから言うしかないね」
瑞希が手のひらを広げ、≪映像通話≫の画面を二つ作った。
「赤竜さん、黒龍さん、話があるんだけどいいかな」
レッド公爵が微笑みながら応える。
『何かな?』
シュワルツ公爵は静かな表情で応える。
『手短にしてくれ』
瑞希が明るい表情で二人に告げる。
「霧の神の眷属として二人に命じます!
二人は貧民区画に近寄らないこと!
あそこに住む悪魔を、私の許可なく滅ぼさないこと!
――理解できたら返事をして?」
レッド公爵の微笑みが凍り付き、シュワルツ公爵が目を見開いていた。
『状況を説明してもらっても、構わないかい?』
「貧民区画に住んでる、腕の良い情報屋が居るんだよ。
その正体が悪魔だったんだ。
でも人間と敵対しない、平和的な悪魔だった。孤児院に寄付までしてるんだよ?
王家としても、良質の情報源を失う訳にはいかないんだよ。
それに巧く交渉すれば、悪魔側の動向を知る手がかかりになる。
滅ぼすより、生かして協力してもらった方がいいって判断したんだ」
シュワルツ公爵が真顔で告げる。
『相手の爵位はわかるか』
「本人が『子爵と呼ばれるだろう』って言ってたから、子爵なんじゃない?」
『ならば、滅ぼすのも簡単だな。
大した力を持っていない小物だ。
人間に害をなさないなら、見逃すことは可能だろう』
「……ちなみに、子爵ってどのくらいの強さなの?」
『全力を出しても、貧民区画を壊滅させるのが精一杯、といったところじゃないか?
つまり、下手に手を出しに行くと貧民区画の人間が全滅する。
動くときは慎重に動け』
瑞希が眉をひそめた。
「ラウさんは、そんなことをする人じゃないよ」
『追い詰められれば、何をするかはわからん。
それだけの力がある、ということだけ覚えておけ』
レッド公爵が真顔で瑞希に告げる。
『霧の神の眷属からの命令だ。
我々には逆らうことができない。創竜神様から”従うように”と言われているからね。
だから言われた事は守るが、その結果人間に被害が出ても、我々は責任をとれないよ』
「もちろん、これは私が王太子妃として責任を持つ話だよ。
私は王都市民の命を背負ってる。
一人だって無駄に命を奪わせるつもりはないよ」
『それならば結構だ。
――話は以上かい?』
「うん、それじゃあね」
画面を消し、瑞希が大きくため息をついた。
「――はぁ。赤竜さん、すごい怒ってたなぁ。
黒龍さんは冷静だったのに、あんなに怖い赤竜さんは初めてだよ」
ユリアンがきょとんとして瑞希に尋ねる。
「そんなに怒ってたの? 真顔だったけど、怒ってる様子じゃなかったわよ?」
「画面の向こうで、魔力が怒り狂ってた。
黒龍さんが『赤竜さんは怒ると質が悪い』って言ってたの、なんとなくわかっちゃった。
あの人、根は凶暴な人なんだね」
アニカが小首を傾げて告げる。
「時折見かけるレッド公爵は、いつも微笑んでらっしゃる陽気な方、という印象でしたが……
そんなに怖い方なんですか」
「んー多分、悪魔が大嫌いなんじゃないかな。
帰ったら理由を聞いてみよう」
****
瑞希は帰宅後、早々にレッド公爵とシュワルツ公爵を呼び出していた。
リビングで紅茶を飲みながら、瑞希が尋ねる。
「なんで黒龍さんは冷静で、赤竜さんはそんなに怒ってるの?
二人の違いって性格だけ?」
シュワルツ公爵が静かな表情で告げる。
「赤竜は元々、凶暴な竜だからな。
普段は陽気な仕草で誤魔化しているが、本質は変わらん。
私はどちらかというと、のんびりとした性格だ」
レッド公爵が苦笑を浮かべて告げる。
「黒龍が『のんびり屋』? 冗談はよしてくれ。
私ほどではないとはいえ、君も充分、凶暴な竜だろう」
瑞希が小首を傾げた。
「じゃあ、似たような性格って受け止めておくけど、それでどうしてそこまで態度に差が出るの?
赤竜さん、今も頭に血が上ってるでしょ?」
レッド公爵が真顔になって瑞希に告げる。
「私は今まで数えきれないほど、悪魔たちに殺される竜の巫女を見てきた――もちろん、竜の寵児を含めて、だ。
それが、人間に関わろうとして来なかった黒龍との大きな違いだ。
『無害だから見逃せ』と言われても、納得などできない。
命令だから、従っているだけだ」
シュワルツ公爵が静かな表情で告げる。
「赤竜、お前は人間に入れ込み過ぎるからだ。
その上で、入れ込んだ人間が死地に向かうのを見守り続けた。
その結果死なせてしまった後悔が、悪魔に対する復讐心に繋がっているのだろう」
瑞希が小首を傾げた。
「そんな大好きな人たちだったのに、みすみす死んでしまう場所へ向かうのを見てるだけだったの?
もっと手助けしてあげられなかったの?」
レッド公爵の持っていたティーカップに、ピシリとヒビが走った。
「すまない瑞希、言葉を選んでくれると助かる。
私も、こんな場所で暴れたくはないんだ」
シュワルツ公爵が静かに笑った。
「瑞希、今のお前の質問は、あまりにも赤竜の心を抉り過ぎだ。謝っておけ」
瑞希が慌てて頭を下げた。
「うわっ! ごめん赤竜さん! そんなつもりで言ったんじゃなかったんだ!
ただ、どうしてそんなに苦しんでまで見守るだけだったのか、それが不思議で!」
シュワルツ公爵が瑞希に微笑みながら告げる。
「前にも言っただろう。見守るのが我らの役割だ。
どうしても人間の手に負えない場合のみ、我らは手を出すことを許される。
その許可がなければ、勝ち目がどれほど薄かろうと見守るしかない。
だから赤竜は、精一杯勝てるように人間に力を貸す。
私は人と関わらぬようにし、許可が下りたら悪魔に手を下す。
それが我らの違いだ」
レッド公爵がフンと鼻を鳴らした。
「だが黒龍も思い知ることになる。
入れ込んだ人間を、死地に送り込まねばならない苦しみをな。
――想像してみろ。瑞希を悪魔との勝ち目のない戦いに送り込む時を。
それだけで名状しがたい不快感で暴れたくなるぞ」
静かに微笑むシュワルツ公爵の持っていたティーカップにも、ピシリとヒビが走った。
「……なるほどな。これは確かに不快だ。
貴様、よくもこんな思いをあれほど重ねてきたな」
瑞希は頬を引きつらせて告げる。
「あー、できれば、食器は大事にして欲しいかな、なんて……」
シュワルツ公爵が苦笑を浮かべて告げる。
「すまなかった、今修復する」
その言葉と同時に、シュワルツ公爵の持つカップのヒビが、瞬く間に塞がっていった。
瑞希がその様子を眺めながら感心していた。
「へぇ、そんな術式もあるのか~。面白いね!」
「瑞希は因果に特化した術式ばかり使っているからな。
他の分野の術式は、ほとんど研究していないだろう。
竜には竜の、人には人の、そして悪魔には悪魔の魔導がある。
種族の特性にあわせて術式が発展しているからな。
そういう意味で、お前の魔導は別系統の魔導と言えるかもしれん」
「あー、即興魔術主体だから、人間の魔導かと言われると、ちょっと違う気はするよね。よく魔法と間違われるし。
――ねぇ、『悪魔』と『魔族』って、どうして別々の呼び名があるの? 意味が違うの?」
「『魔族』が正式名だ。奴らも自分たちをそう呼ぶ。
『悪魔』は人間が奴らを呼ぶときの俗称だ。
今の人間社会では、こちらの方が通りが良い。
だから我々も奴らを基本的に悪魔と呼ぶ。たったそれだけの違いだ」
「ラウさん――魔族の情報屋が、『魔族も生きてる』とか『食事もする』って言ってた。
それってどういう意味? 神と魔族って、同じような存在じゃないの?」
「それを教えていいのか、私には判断が付かない。
神については教えて良いと許可はもらっているんだがな。
知りたければ、その情報屋から聞いて来い。
奴らも当たり障りのないことなら教えるだろう。
だが知り過ぎれば、お前は苦しむことになる。
俺は、知らん方がお前のためだと思うがな」
瑞希が小首を傾げた。
「それはどういう意味?」
「お前が魔族と戦わねばならなくなった時に、余計な苦しみを背負うことになる、という話だ。
――ヒントをやろう。
その情報屋が、人間と敵対する勢力に寝返り、王都市民を殺したとする。
お前はどう対応する?」
瑞希が俯いて思案した。
敵に寝返ったのであれば、滅ぼさざるを得ない。
人の命を奪ったなら、それ以外に選択肢はないだろう。
だが果たして、ああも言葉を交わしたラウを滅ぼすことが瑞希に出来るのか――自信は持てなかった。
『知り過ぎれば余計な苦しみを背負う』とは、つまりこういうことなのだろう。
深く知らなければ、ラウが言ったように魔族を『虫を潰すかのように命を奪える』のだ。
「……つまり、魔族の命は、人間と変わらないんだね」
シュワルツ公爵が静かに告げる。
「その答え合わせをしたければ、情報屋に確かめに行くがいい。
だが私は、何も知らぬまま戦う方を勧めるがな」
****
「ラウさーん! またきたよー!」
カウンターの奥から、フードを目深に被った人物が姿を見せる。
「……またお前か。昨日の今日で何の用だ。
売れる情報は全部売っちまったぞ」
瑞希は、騎士の背後に隠れるよう身を縮めていた若い女性の従者を、ラウの前に突き出した。
「どう? ご要望の若い女性なんだけど。聞きたい事があるんだよ」
「おお! いいねぇ! さては貧民区画に来るのが初めてってところか?
アニカほどじゃないが、これは美味い。
――いいだろう、何を知りたい? 言ってみろ」
「魔族の命って、人間の命と同じなの?」
ラウが腕を組み、顎に手を当てて黙り込んだ。
「……俺は、それを知らん方がいいと判断するが、それでもその情報を買いたいのか?」
「なんで? その理由を先に教えてよ」
「お前は今後、魔族の勢力と戦う機会がきっとあるはずだ。
この国で老いて死ぬまでに、少なくとも一回くらいはな。
その時に余計な事を知っていれば、お前は余計な苦しみを背負うだろう。
それが原因で命を落とすこともあるかもしれない。
下手をすれば、それがきっかけで国が滅ぶ。
俺としても、この国に滅びられても困るんだよ。
これでも、王都市民の一員のつもりだからな」
瑞希がフッと笑った。
「黒龍さんと似たようなことを言うんだね。
でももう、それは答えを言ってるようなものだよ。
――つまり、同じ命なんだね」
ラウが腰に手を当て、深いため息をついた。
「――まぁいいだろう。
ご想像の通り、魔族は人間と同じ、地上の種族だ。
独特の生態をして、独自の固有能力を持つ――だが本質的には同じ命だ。
街の無法者を、どぶ川の水で煮詰めたような存在――それが魔族だ。
地上の種族だから、子を産むし、食事もする。そして飢えれば死ぬ。寿命もある。
人間は神と等しい存在と思っているが、種を明かせばその程度の、小さな存在だ。
俺たちから見れば、人間の器に神の眷属という中身が入っているお前の方が、よほど異質な存在に映る」
「そんな魔族が、白竜教会に封印されてるの? なんで?」
「それは竜に聞けば教えてくれるだろう? なぜ俺に聞く?
――まぁいい、俺が知る範囲でなら教えてやる。
遥かな古代から、魔族は神と争ってきた。
――正確には、魔族と人間が地上の覇権を争っていたところに、神が人間に肩入れしたらしいがな。
魔族は負け続け、負けるたびに人間の時代が訪れた。
だが魔族が力を蓄えると戦争を起こし、人間を支配しようとした――その繰り返しと言われている。
ある時から、人間に手を貸す存在が古き神から創竜神に変わった。
創竜神は魔族が二度と力を蓄えられないよう、各地に封じた――それが封印だ。
その時から、封印を破壊して復活しようとする魔族の勢力と、封印を維持しようとする創竜神の勢力の争いに変わった。
――それが現在まで続いているって訳だ」
瑞希が眉をひそめて告げる。
「なんだか……ややこしい話だなぁ。
結局、魔族と人間が戦争をしていた結果、魔族が封印されたってことでいいかな?」
ラウが楽しそうに笑った。
「ははは! まぁその理解でも間違っちゃあいないさ!」
「どうして魔族が私たちを狙う可能性があるって、赤竜さんは言ったんだろう?
魔族の狙いは封印を壊す事なんでしょ?
その封印って、私たちと関係なくない?」
「んーそれには報酬がちっと足りないが……まぁこの際だ、おまけで教えてやろう。
封印を弱めるには、生贄が効果的だ。
普通の人間でもいいんだが、強い力を持つ存在を生贄にすると、より強い封印を破壊できる。
よく狙われるのが、竜の巫女や竜の寵児だな。
同じ理由で、古き神の眷属であるお前やエステル王女も狙われるだろう。
特に古き神は、仇敵みたいなもんだ。恨みがこもってる分、狙われやすいだろう。
お前は充分に注意をしておけよ――今日の情報は、これで売り切れだ」
背を向け、カウンターの奥に姿を消そうとしたラウに、瑞希が叫ぶ。
「ちょーっとまったー!!
……魔族の勢力の情報って、買えるのかな?
今、魔族がどんな動きをしてるのか、少しでも情報を売ってくれる?」
「……その情報は高いぞ?
お前に払えるとは思えないが」
「赤竜さんと黒龍さんには、ラウさんの命が保証されるような命令を伝えておいたよ。
この命令を破れる二人じゃないから、ラウさんが貧民区画に居る限り、二人に滅ぼされることはないと保証するよ。
――もちろん、人間と敵対した時は別だけどね」
ラフがフッと笑った。
「身の安全を先に保証してくれた訳か。
……いいだろう。今日みたいな新鮮な若い女の感情、それである程度は売ろう。
だが種族を裏切る情報は諦めてくれ」
「わかった! 今日はありがとう! また今度遊びに来るよ!」
「できれば来て欲しくはないんだが……止めても無駄だろうな。好きにしろ」
「何時頃なら時間が空いてるかな? 他のお客さんが来てない時間が知りたいんだけど」
「俺は人間相手の商売だ。夜なら店は閉めてるし、客は来ない。
だが、夜の貧民区画にお前が来るのか?」
「細かいことは気にしない! じゃあね!」




