88.情報屋
瑞希はソファに座り、紅茶を含みながら様子を伺っていた。
隣に座るのはユリアンとアニカ、向かいに座るのはオーバードルフ子爵だ。
オーバードルフ子爵は厳つい身体を緊張で固くしながら、口を開く。
「……それで、フェッツナー伯爵のお話とは、どういったご用件でしょうか。
ミズキ殿下と近衛騎士のフェッツナー伯爵が同時にみえるなど、アニカが何かしでかした、ということなのでしょうか」
瑞希が眉をひそめて微笑みながら告げる。
「朝から先触れもなく来訪してしまい、驚かせてしまったかしら。
悪い話をしに来たのではありませんのよ? そこは安心なさってください」
ユリアンが苦笑を浮かべて瑞希に告げる。
「ミズキさんは本当にせっかちよね。
普通、先触れもなく王族が動くなんてありえないわよ?」
オーバードルフ子爵が口を開く。
「ではどういったご用件なのか、お伺いしてもよろしいでしょうか」
ユリアンがオーバードルフ子爵の目を見据え、微笑んで告げる。
「私とアニカさんとの婚約を承諾してもらおうと思って、その話をしに来たのよ。
どうかしら? 承諾してもらえる?」
目を見開いたオーバードルフ子爵が、おずおずと応える。
「……フェッツナー伯爵がアニカと婚約をすると、そう聞こえましたが、それで間違いありませんか」
「その通りよ? 何か疑問があるかしら?」
「いえ、フェッツナー伯爵が異性愛者という話は、耳にしたことがありませんでしたので……
それは偽装結婚、ということでしょうか」
ユリアンが苦笑を浮かべて応える。
「私は立派な異性愛者よ。
アニカさんを妻足り得る女性と認め、結婚を前提としたお付き合いをしてみようと思ってるの。
婚姻に至れるかは、アニカさん次第だけどね。
やっぱりオーバードルフ子爵が娘を預ける相手として、私は不服かしら?」
オーバードルフ子爵が苦悩するように眉をひそめた。
「……フェッツナー伯爵は将来の騎士団長を有望視されているお方。
ミズキ殿下の傍仕えでもあり、その点において不服はありません。
ですがやはり、フェッツナー伯爵との婚姻は苦しい道に思えます。
アニカがそれに耐えられるのか、私には確信が持てません。
そのような婚姻に送り出すほど、薄い愛情を持った覚えもない。
――アニカ、お前は本当にフェッツナー伯爵で構わないと、そう思っているのか?
これからお前に待ち構えているのは、苦難の道だ。
それを理解しているか? それを乗り越えていけるのか?」
アニカが力強い微笑みで告げる。
「ユリアン様の悪評は、私も存じ上げています。
私も二十四。婚姻をするには、遅い時期です。
様々な噂にさらされるのは、間違いないでしょう。
ですが私はユリアン様の隣を、誰にも譲る気がありません。
これほど温かい場所を逃すつもりが、私にはないのです。
お父様なら理解して下さると、信じています」
オーバードルフ子爵が目を見開いた後、穏やかな表情に変わってアニカに告げる。
「少し見ない間に、別人の顔になったな。
それは、フェッツナー伯爵のおかげなのか?」
「はい、全てユリアン様のおかげです」
「伯爵夫人として生きて行けると、そう言うのだな?」
「ユリアン様の妻として、恥ずかしくないよう努めます」
オーバードルフ子爵が大きくため息をついた。
「これでは、私が反対するだけ無駄だろうな。
おそらく殿下がご一緒されているのは、私が反対した時に強権を発動するためなのだろう?」
「お父様はこの婚約に賛成できないと、本心ではそう思ってらっしゃるのですか?」
オーバードルフ子爵がニヤリと笑った。
「お前の目も曇ったか? 今の私が、反対するように見えるかい?
もちろん、娘を嫁に出す寂しさは感じている。
だがお前が幸福になるのであれば、喜んで送り出してみせるとも」
ユリアンが微笑みながら、テーブルに婚約書類を並べた。
「婚約に応じてくれるなら早速、書類を交わしましょう。
目を通して不服があれば、この場で遠慮なく言って頂戴」
オーバードルフ子爵が苦笑を浮かべながら目を通し始めた。
「用意が良い事だ……婚約解消の条項、この判断はフェッツナー伯爵が下すということか?
そこに私の判断を加えてもらう事は可能か?」
「あら、私の目を信用できないのかしら。
でも親ですもの、それくらいの心配はするわよね――ええ、構わないわよ。
あなたの目から見て、アニカさんが不幸になったと感じたら、それを理由に婚約解消を申し出る権利を与えるわ」
ユリアンが書類に追記し、それをお互いが確認して署名をしていく。
瑞希が立会人として、最後に二人分の書類に署名を記した。
念入りに王族の署名まで入った、正式な婚約契約書だ。
ユリアンが微笑んで告げる。
「これで婚約成立ね。迅速な対応、感謝するわ」
オーバードルフ子爵がユリアンに深々と頭を下げた。
「娘を、よろしくお願いします」
ユリアンが微笑んで応える。
「気が早いわよ?
でも、任されたわ。私が隣に居る以上、もうアニカさんが道に迷うことはないと保証してあげる」
****
オーバードルフ子爵に見送られ、瑞希たちは馬車に乗りこんだ。
「さあ! 次は貧民区画に行ってみようか!」
馬車で待機していたエーベルヴァイン男爵が苦笑をした。
「伯爵の婚約を成立させた足で貧民区画の情報屋ですか。
落差が烈しいですね」
「エーベルヴァイン男爵も、急に誘ってごめんね。
忙しい時期でしょ?」
「いえ、そろそろ貧民区画の確認をしておきたいと、陛下からも要望が届いています。
私も直接この目で見ておくことは、無駄にならないでしょう。
最近は貧民区画の情報が少なく、陛下も困っておいでのようでした」
アニカが眉をひそめて微笑んだ。
「やはりあの方は、女性でなければ情報を出し渋るようですね。
私が出向くと、愛想よく情報を渡してくれるのですが」
瑞希が小首を傾げてアニカに尋ねる。
「どういう人なの? そんなに女性が好きな人なのかな?」
「その方は男性だと思うのですが、いつもフードを目深に被っているので、容貌までは分かりません。
変な視線を感じるということもないので、街のごろつきより上品なぐらいです。
法外な報酬を要求する訳でもありませんし、とても不思議な方ですよ」
馬車が貧民区画の前で停車した。
アニカが告げる。
「ここから先は、徒歩になります。少し歩きますよ」
馬車に兵士を残し、アニカとユリアンを先頭に、瑞希とエーベルヴァイン男爵が続き、周囲を近衛騎士九名が囲んだ。
エーベルヴァイン男爵が整備されてない貧民区画を見渡しながら口を開く。
「以前来たときよりも荒れているな。
戦争で街から逃げ出す貧民も多かったのだろうか」
瑞希がエーベルヴァイン男爵に尋ねる。
「あれから一年近く経ったよ?
なのにまだ戦争の影響が残ってるの?」
「貧民区画に国の手が届いてませんからね。
復旧は自力でするしかありませんが、彼らにはその力がありません。
手の届く範囲で、荒らされた部分を直しているように感じます」
「荒らされるって?」
「家主が逃げ出した後、残っていた貧民がその場所を漁るのですよ。
戦争が終わり戻ってきても、元の生活を取り戻すのに時間がかかるのでしょう」
「貧民が逃げる場所ってあったのかな?
あの時、私たちと移動してた人たちの中に、貧民って居なかった感じだけど」
「なんとかして場所を探すなり、王都を抜け出すなりしたのではないでしょうか。
ですがおそらく、大半は『逃げても無駄』と割り切っていたと思いますよ」
アニカがぽつりと呟く。
「不思議な気分です。
これだけ歩いていれば、いつもならごろつきが寄ってくるなり、視線を感じたりしたものですが。
なぜか今日は、全く寄ってくる気配がありませんね」
ユリアンが苦笑を浮かべて告げる。
「騎士が十人揃ってる集団よ?
それもただの騎士じゃないのは見ればわかるわ。
無法者は暴力の世界で生きる人間。
相手の力を見抜く術を知っているのよ。
それでもアニカさんが狙われたのは、実力を見抜きにくいからでしょうね。
ぱっと見であなたが荒事に慣れてるなんて、わからないもの」
しばらく細い路地が続く。
アニカは迷いなく道を進んでいき、ユリアンたちは他愛ない言葉を交わしていった。
騎士たちも油断こそしていないが、戦場よりはゆったりとした空気で周囲を警戒している。
だが一人、瑞希だけは深刻な表情で黙り込んでいた。
ユリアンが瑞希に振り向いて尋ねる。
「どうしたの? ミズキさん。
さっきから怖い顔で黙り込んでるけど」
「ああうん、大丈夫。みんなは気にしないで。
私が何とかできると思うから」
ユリアンは怪訝な表情を浮かべたが、瑞希がそれ以上伝えるつもりがないとわかると、周囲との雑談に戻っていった。
アニカが小さな家屋の前で告げる。
「ここが情報屋の店です」
小さなコンビニ程度の大きさで、窓にはカーテンが閉まり、内部の様子はうかがえない。
瑞希が深刻な表情のままで告げる。
「じゃあ、中に入ってみようか」
ユリアンと騎士二名が瑞希、アニカ、エーベルヴァイン男爵に付き添いながら店の中に入る。
残りの騎士は、外で待機だ。
アニカが店内にむけて声を上げる。
「ラウさーん! お久しぶりです、アニカです!
いらっしゃいますかー!」
カウンターの奥から、黒いフードを目深にかぶった人物が姿を見せた。
それ以外はみすぼらしいが、平民のありきたりな服装だ。
情報屋――ラウが告げる。
「アニカか。随分久しぶりだな。
今日は集団で何の用だ」
アニカが小首を傾げて応える。
「ラウさん、なんだか機嫌が悪そうですね。
具合でも悪いんですか?」
「……気にするな。それより用件を早く言え」
「えっとですね、最新の貧民区画の情報を、あるだけ買い取りに来たんです。
おいくらになりますか?」
「……少し待っていろ。持ってくる」
いったん奥に引っ込んだラウが、しばらくしてカウンターに戻ってきた。
薄い手紙と共に金額をアニカに告げた。
アニカが目を見開いてラウに告げる。
「え?! たったこれしか情報がないんですか?!
いつも分厚い書類の束でくれるじゃないですか!」
「気に入らないなら、買い取らなくても構わん」
「いえ、買い取りますけど……なんだか、今日のラウさんは無愛想ですね」
アニカは提示された金額の入った革袋をラウに渡し、引き換えに手紙を受け取った。
ラウが告げる。
「用件は以上か? 済んだならとっとと失せろ」
アニカが困惑したように眉をひそめた。
「今日のラウさん、なんだかおかしいですよ?」
「俺にだって、機嫌が悪い日ぐらいある。
今度はアニカ一人で来い。そうしたらいつも通り対応してやる」
瑞希が割り込むように告げる。
「私からも質問があるんだけど、それには応えてもらえるのかな」
ラウが瑞希に振り向き、間を置いて応える。
「報酬次第だ。質問内容で報酬を決める。
言うだけ言ってみろ」
瑞希が真顔でラウに告げる。
「……どうして悪魔がこんなところで情報屋なんてやってるのかな」
一瞬の間があった。
即座にユリアンが瑞希の前に出て剣を抜いた。
「ミズキさん! どういうこと?!」
「どうもこうも、悪魔かどうかは私にはわかるってだけだよ。
私が魔導で追えない相手なんて、神か悪魔ぐらいだもん。
襲ってくるようなら、いつでも滅ぼすつもりで居たんだけど……そんな様子もなく、平和的にアニカと情報の取引をしてるし。
私もどう対応しようか、困ってるところ」
ラウが楽しそうな笑い声を上げた。
「ははは! 殺気もなく相手を滅ぼせるか。
まるで虫を潰すかのように相手の命を奪える人間という訳だな。
悪くない、悪くないぞ」
「それで、この質問の回答はいくらになるのかな」
「そうだな……そこの騎士たちの感情が美味かったから、それで応えてやろう。
俺は暴力が嫌いなんだよ。
力も大して強い訳じゃない。
だが人脈はそれなりにあるんでな。
人間相手に、こうして情報屋をやることで飯を食ってるって訳だ」
「『感情が美味い』とか、『飯を食ってる』とか、悪魔も食事をするんだ?」
「『悪魔』って呼ばれるのは、やっぱりしっくりこないな。
できたらきちんと『魔族』と呼んでくれ。
――魔族の食事は人間の感情、それも負の感情だ。
怒りや妬み、恐怖あたりだな。絶望なんかは御馳走だ。
俺たちはそれを食べて生きる」
「悪魔――魔族にも、名前ってあったんだ?
前に会った魔族は『伯爵』って黒龍さんが呼んでた。
あだ名みたいなものでしょ? それって」
「魔族の名前を人間が知ると、魂が穢れるからな。
特に高位の魔族になるほど、穢れが強くなる。
だからあいつらは爵位で呼ぶんだろう。
『ラウ』は、俺が人間社会で暮らすための偽名だ。
あいつらなら、俺の事を『子爵』と呼ぶだろうがな」
「なんだか、急に愛想がよくなったね。
報酬も受け取らずにそんなぺらぺらと回答していいの?」
「ははは! 俺が魔族だと理解して、アニカが強い恐怖を覚えているからな。
やはり若い女の感情は美味い。久しぶりに美味い物がたらふく食えた礼だ。その分は情報を売ってやる」
「じゃあ、なんで今日は愛想が悪かったのかな」
「お前のせいだよ。
そんなに強い神の気配を漂わせて、臭いったらありゃしない。
顔馴染みのアニカが一緒じゃなかったら、奥から出てこなかったところだ」
「え? 私から霧の神の気配を感じるの? そんなこと、言われたことないんだけど」
「人間どもは鈍感なんだろう。
お前が魔族を感覚で分かる程度には、俺たちも感覚で神の気配がわかる。
噂通り、神の眷属だけあるな。とんでもない悪臭だ」
瑞希が眉をひそめた。
「さすがに、臭いとか言われると傷付くなぁ。これでも若い女子なんだけど」
「ははは! 仕方ないだろう! こればっかりは、種族の特性みたいなもんだ。
何故かは知らんが、俺たち魔族は神に対して、そういう反応をする身体で生まれてくるからな」
瑞希が小さく息をついた。
「種族の特性じゃしょうがないか――ねぇ、貧民区画の情報でもっと売れる情報はないの?」
「ああ、それなりにある。少し待ってろ、今まとめて来てやる」
ラウが奥に引っ込み、少しして書類の束が入った封筒をカウンターに置いた。
「今仕入れてる情報はこれで全部だ。
次の情報は最低でも、一か月くらいは必要だ。それより前に来ても、売れるものはないと思ってくれ」
「ありがとう――魔族の術式って、どういうものなの?」
「魔族は長生きだからな。
古い時代の術式や、それを元にして独自に発展させた魔導を持っている。
人間たちからすれば、それが独特のものに見えるんだろう」
「突然一万人の兵士を出現させる術式なんてあるのかな」
「んー、その情報を売るには、報酬が足りないな。
もっと美味い負の感情を持って来れば、売ってやってもいい」
「あなたは人間に敵対する存在じゃない――そういう理解であってる?」
「少なくとも、俺はそのつもりだ。
平和に生きて行くのに、情報屋ってのは便利な職業だからな。
だが殺されそうになれば、それなりに抵抗するから覚悟しておいてくれ」
「情報屋ってことは、魔族仲間に情報を売ることもあるのかな」
「情報屋の人脈は、情報を交換する事で作り上げる。そこは人間と変わらんよ。
ある程度はそうやって、魔族の側に情報を売る形になると思っていい」
「私やエステルの情報も、魔族に渡ってるって理解してもいいかな」
「この国の魔族コミュニティは、他の国の魔族コミュニティと分断されている。
国外の魔族が情報を買い付けに来ていたら知られているかもしれん。
少なくとも、俺のところに国外からの買い付けは来てないな。
だが人間社会、特に社交界には魔族コミュニティ関係者が潜んでることが多い。
人間たちが交わす噂ぐらいは、知られてると思っていいだろう」
「今日私が会いに来たことも、情報として売るのかな」
「報酬次第だ――と言いたいところだが、馴染み客のアニカに免じて、黙っておいてやる。
少なくとも、俺から情報が漏れることはないと思っていい」
「アニカのこと、随分気に入ってるんだね」
「今までアニカには、長いこと美味い感情を食わせてもらってたからな。
だがもう、今のアニカはそれほど美味い感情は望めなさそうだ。
次からは別の若い女を連れてこい。負の感情を望める奴だ。
そうしたら今まで通り情報を売ってやる」
瑞希が小さく息をついた。
「金銭での報酬じゃだめなの?」
「あんなもの、人間を騙すための建前だ。
もらった金は全部、地域の人間どもに適度にばらまいてるよ。
周りからは、金払いのいい客として映ってるだろうな。
ガキどもからも、妙に好かれて困ってる」
「子供? 子供にお金を渡すの?」
「貧民区画にだって孤児院はある。そこにいくらか金を渡してるからな。
金を渡しに行くとき、ついでにガキどもと少し遊んでやってるだけだ」
「魔族が慈善事業なんてするんだ?」
「魔族の食い物は人間の感情だ。
人間が居なくなれば、魔族も困る。
自分たちのために、人間を増やす手伝いをしてるだけだ。
もっとも、こんな物好きはこの王都では俺くらいだろう
――ここまでだ。これ以上は、別の負の感情をもってこい」
「赤竜さんや黒龍さんが、あなたのことを知ったらどう思うかな」
「……ここまでだ、と言ったはずだ。
だが、俺の命に関わるから応えてやる。
やつらが近づいてくるのを察知した時点で、俺は姿をくらます。
逃げきれても、逃げ切れなくても、お前たちは貧民区画の情報屋を一人、失うことになる」
「わかったよ、助かった。ありがとう」
「次の若い女を楽しみにしてるよ」




