87.帰国
――旅程も半分を消化した夜。
『――以上だ。それ以外は特に問題はないね』
ヴォルフガングの言葉に、国王が頷いた。
「では重臣たちとその方針で動いていてくれ。よろしく頼む」
≪映像通話≫が終わり、瑞希が小さく息をついた。
「やっぱり、一か月国王が居ないだけで、それなりに問題は出てくるんだね」
国王が微笑んだ。
「日頃からきちんとやるべき仕事をこなすのが、どれだけ大事か、理解したかい?
――ではお休み」
国王が部屋を去れば、恒例のユリアンとのティータイムだ。
他愛ない話で笑い合う、和やかな時間が過ぎていった。
そしてそれが過ぎれば、就寝時間となる。
瑞希は授乳のタイミング以外はアニカに任せ、ベッドで短い眠りに落ちていた。
その眠りを、強いノックの音が妨げた。
エステルを抱えたアニカが扉を開けると、息を切らせた兵士が真剣な表情で告げる。
「敵襲! 現在応戦中ですが、事態に対応できるよう備えてください!」
それだけ告げると兵士は他の部屋へ走り出していった。
おそらく従者たちにも同様に報せに行ったのだろう。
瑞希が速やかに魔術結界を展開させていく。
瑞希の目が壁際に走る――真剣な顔で俯いたまま、無言で壁に身体を預けているシュワルツ公爵に声をかける。
「黒龍さん。これって――」
シュワルツ公爵が厳しい目で床を見つめながら応える。
「――ああ、人間の兵ではないようだな。
お前は深く追うなよ? 魂が穢れるからな」
瑞希が頷いて応える。
「わかった。
でも、突然こんな軍隊が湧いて出るものなの?
寝る前は近くにこんな兵力、存在しなかったのに」
「低級眷属、という訳でもないようだ。
となるといったいどうやったのか、私にも想像が付かないな」
「……低級眷属なら、大群が突然湧いて出るってこと?」
「悪魔は低級眷属を生み出せる。
そこに悪魔が一体居れば、数百から数千の大群が突然現れるくらいはあるさ」
手早く着替え終わったザビーネが瑞希に告げる。
「殿下、今のうちにお召替えを」
部屋の全員が着替え終わる頃、扉がノックされユリアンが中に入ってきた。
「準備は――できてるみたいね。
いつでもこの街から逃げ出せるようにしておいて頂戴。
相手の兵力が闇夜ではっきりとしないの。
応戦はしてるみたいだけど、押され気味ね」
瑞希がユリアンに応える。
「相手の兵数はおよそ一万。東方面から襲い掛かってきてるね。
数で負けてるから、押し返すのは無理だと思う。
――私が術式で焼き払うよ」
そのまま瑞希は東側の窓を開け放ち、即座に≪火竜の息吹≫を口から吐き出した。
窓から極太のレーザービームが轟音とともに放たれ、闇夜を切り裂いて敵兵を照らし出す。
そのレーザービームが空中で分裂し、次々と敵兵の陣中へ落ちては大きな爆発を起こしていった。
レーザービームを放ち終わった瑞希が叫ぶ。
「そのまま残った敵兵を追い返して! でも決して深追いはしないで!」
その声が聞こえたかのように、ドライセン王国軍の兵士たちが動き出し、敵兵に向かっていった。
真剣な表情で眼下の状況を見据えている瑞希に、背後からユリアンが声をかける。
「相変わらず、とんでもない魔術を使うわね。
前に私が見たときより、派手になってない?
でも今の指示、どうやって伝えたの? ここから兵たちに届く声量じゃなかったのに」
瑞希が振り向かずに応える。
「≪念話≫の術式だよ。ドライセンの兵士たち全員に≪念話≫で伝えただけ」
呆れたような顔でユリアンは肩をすくめた。
「全員って……五千人に≪念話≫を同時に使ったの? 相変わらず信じられない事をするわね。
――あら、アニカさん。どうしたの?
顔が真っ青だけど、大丈夫?」
アニカはエステルを抱えたまま、青い顔で瑞希を見つめていた。
「なんなんですか、今の光は……
いったい、何が起こったんですか……」
瑞希が振り返らずに応える。
「魔術だよ。人間相手なら一万人の兵士ぐらい、逃さず全滅させられたんだけどね。
正確に位置を補足するのが難しいから、乱暴に数を減らすぐらいしかできなかった。
多分、三割は残っちゃったかな。
でも数で優勢になったから、これで押し返せるはず」
ユリアンが瑞希に尋ねる。
「もう一度、同じ術式を放つわけにはいかないの?」
「もう敵味方が入り乱れてる。正確な狙撃ができないから味方を巻き込んじゃうし、馬が怯えるから味方の邪魔をしちゃう。
私の魔力も残り少ないし、これ以上魔術で直接支援するのは無理だよ」
ユリアンがシュワルツ公爵に振り向いて尋ねる。
「人間が相手じゃないってことなら、あなたが手を出せるんじゃないの?」
シュワルツ公爵は床を見つめたまま、静かな表情で応える。
「私たちは瑞希ほど器用な芸当はできん。
ドライセンの兵士たちを巻き込んでいいなら薙ぎ払えるが、それは望んでいないだろう?」
ユリアンは怯えるアニカの肩を抱きながら、シュワルツ公爵に尋ねる。
「相手は何者なの? なぜ一万もの兵が突然現れたの?」
「あれは悪魔に取りつかれた人間の成れの果てだ。
人間の姿をした低級眷属、とでも思っておけばいい。
どうやって現れたのかは、私にも分からん。
赤竜の奴なら、何か知っているかも知れん」
瑞希が静かに告げる。
「――押し返せてるね。
あとは深追いしなければ問題ない。
私の指示を理解しているなら、もう大丈夫だよ」
窓から振り向いた瑞希がアニカを見る――アニカは肩を震わせて、身を縮めていた。
瑞希が苦笑を浮かべて告げる。
「そっか、アニカは私の派手な魔術を見るの、初めてだったっけ。
初めて見た人はみんな、そうやって私を化け物を見るみたいに怖がるんだよね。
怖がらなかったのは、アルベルトとユリアンさんくらいかな」
そのアルベルトも、驚愕で同じような目で見ることはあった。
本当に全く怖がらなかったのは、ユリアンくらいだろう。
ユリアンがアニカの肩を抱きしめながら、優しく告げる。
「理解できなくて怖いかもしれないけど、あそこにいるのは私たちの知るミズキさんよ?
いつものミズキさんを怖がる理由なんてないって、わかるでしょ?
大丈夫よ、落ち着いて」
瑞希がユリアンに尋ねる。
「どうしてユリアンさんは最初から私を怖がらないのかな?」
「理解されなくて恐怖の対象とされるのは、私も何度も経験してきてるの。
それがどれだけ悲しい気分になるかも、知ってるつもりよ。
大好きな友達を悲しませる真似、私がすると思う?」
瑞希がフッと微笑んだ。
「……しないね。納得した」
微笑みあうミズキとユリアンを見ていたアニカが、頭を振ってから気合の入った表情をした。
「そうですね! 殿下は殿下! 怖がる相手ではありませんものね!」
瑞希がにんまりと笑ってアニカに告げる。
「……アニカ、私とユリアンさんが仲良くて嫉妬したんでしょ? 取られちゃうとでも思った?」
真っ赤な顔でアニカが首を横に振った。
「嫉妬?! いえ! そんな畏れ多い真似など、私はしておりません!」
(わかりやすい人だなー)
扉がノックされ、国王とレッド公爵が姿を現した。
「ミズキ、撃退を手伝ってくれたようだね。ありがとう。
敵の正体はわかったか?」
瑞希が肩をすくめて応える。
「深く追えない相手だったから、さっぱりだよ。
赤竜さんが一番よく知ってるんじゃない?」
レッド公爵が静かな表情で告げる。
「襲ってきたのは、悪魔に魂を食われた、人間の成れの果てだよ。我々が『悪魔崇拝者』と呼んでいる連中だ。
悪魔同然の魂を持っているから、我々でも深く追うことはできない。
各地で少数の勢力として活動していることは把握していたが、あれほどの人数を動員してくるのは、今回が初めてだ」
「上位四頭の竜でも、深く追えないの?」
「追えば魂が穢れるからね。人間ほど酷い結果にはならないが、我々が我々でなくなる可能性がある。
私たちの存在が歪められてしまう、と言えばわかりやすいかな?
その場合、創竜神様の味方で居られる保証が出来ないからね。危ない橋を渡る真似をしないんだよ」
「一万人もの大兵力が、突然現れた理由は思い当る? 黒龍さんは分からないって言ってたけど」
「以前、似たような経験をしたことがある。
数は桁違いに少なかったがね。
居なかったはずの場所に、突然現れるんだ。
そういう術式を、奴らが持っているのかもしれない」
「そんな術式、あるのかなぁ? 私にはできそうな気がしないんだけど」
「瑞希が不可能ならば、強力な呪物の力を借りた術式だろうな。
まっとうな魔術ではないのだろう。
魔術であると断言はできないが、その可能性は高いと思う」
「その呪物って?」
「我々も連中の魔導に関して、大した知識を持っている訳ではない。
奴らしか知らぬ邪法も、数多くある」
瑞希が小さくため息をついた。
「わからないことが多いってことだね。
――じゃあ、連中の目的は何だと思う?」
「はっきりとは言えない。
だが狙われる対象が、ここには三人居る。
リーゼロッテと瑞希、そしてエステルだ。
そのどれか、あるいは全員が目標だったとは思う。
目的までは、手掛かりがないからわからないね」
瑞希が深いため息をついた。
「本当に何もわからないんだね。
――じゃあ、今回の敵は強いの? 弱いの?」
「人間の兵士がなんとか対抗できる強さだった。
悪魔崇拝者の中でも、最底辺の連中だろう。
それなりの崇拝者であれば、並の人間が対抗することは不可能だからね。
――だが、だからこそ相手の狙いがわからないんだ」
瑞希が思考を巡らせて告げる。
「最弱の兵士による軍隊なんて、相手の力量を測る以外の利用方法なんかないよ」
「だがそこで『誰を測りたかったのか』という疑問が湧く。
瑞希の戦力を測りたかったのか。
エステルの戦力を測りたかったのか。
リーゼロッテの戦力を測りたかったのか。
あるいは、我々が手を出すか見定めていたのか。
少なくとも、これだけの可能性があるんだ。
それを絞り込むことは、現状の情報では無理だろう」
国王がレッド公爵に尋ねる。
「今夜のような襲撃が、再びあると思うか」
「あれほどの軍勢など、私も初めて見る。
油断はできないが、同じ規模を再び用意する事は難しいように思う。
第一、いくら最弱の崇拝者とはいえ、こうもあっさり撃退されていたら無駄死にだろう。
同じ手を打つとは考えにくい」
「……今夜の敵は、白竜教会の敵、ということで間違いはないか」
「それは確かだよ。我々の敵、悪魔の先兵だ」
国王が頷き、瑞希を見た。
「今夜は本当に助かった。
エステルの世話もある。早めに身体を休めるがいい」
言葉を残し、国王が部屋を去っていった。
瑞希も息を大きくついた。
「さすがにもう限界、私ももう寝るね」
手早く着替えた後、瑞希もベッドに潜り込み、目を閉じた。
****
その後も警戒は続けていたが、襲撃される事なく、王家一行はドライセン王国の土を踏んだ。
そのまま無事、王都に帰り着いていた。
国王が馬車の車内で告げる。
「あの夜の襲撃の目標が我々なのか、白竜教会だったのか、判然としない。
新しい情報が手に入るまで、我が国は対応を後回しにする。
あとはミズキに任せるが、国としての対応が必要と判断すれば報告を上げてくれ」
「わかったよ、お父様。
たまってる公務もあるだろうし、今は安心してそちらに集中して。
私もしばらく、貧民区画に打てる手はないか、調査をしてみたいし」
「貧民区画?
……詳細はエーベルヴァイン男爵が知っているはずだ。
彼の意見に耳を傾けておけばよい。
そちらも吉報があることを期待している」
王宮に付き、それぞれの部屋に向かう。
瑞希が王太子の部屋に足を踏み入れると、アルベルトが出迎えた。
「ああ、ようやく画面越しじゃないミズキと会えた。
エステルも、元気にしていたか」
アルベルトに抱きしめられながら、瑞希が微笑んで応える。
「アルベルトも元気そうだね。
まずは着替えさせてよ。
話しておきたいこともあるしさ」
着替え終わった瑞希は、リビングで紅茶を味わいながら、崇拝者の襲撃について伝えていた。
「敵の狙いがわからないから、アルベルトも狙われる可能性を否定できないんだ。
くれぐれも油断だけはしないでおいて」
アルベルトが黙って頷いた。
瑞希が紅茶を口に含んだ後、アルベルトに告げる。
「それと、私は貧民区画を調査してみようと思うんだ。
なんとなく、王都の治安が悪いのは、そこが原因じゃないかなって感じるんだけど」
「確かに、無法者の根城が多く存在する。
貧民区画からでてきた無法者が、他の区画で法を犯すことは多い。
だが簡単に対処できるなら、とっくに対応しているさ。
国の予算や回せる人員にも、限界はあるからな」
「その根城を全部潰したら、どうなると思う?」
アルベルトが苦笑を浮かべた。
「お前なら一人でそれにも対応できてしまうだろうが、やめておけ。
あの区画には、一つの社会が構築されている。
無法者たちが作り上げた、彼らなりの法と秩序がある社会だ。
その社会のバランスをむやみに崩せば、状況が悪化しかねない。
好き勝手に行動する無法者たちが、各区画で法を破るようになるだろう。
そんなことをされれば、取り締まる兵の数が足りなくなる。
特に貧民区画の荒廃は、目に余るものになるだろう。
あそこに住む民全てを救うだけの余力は、国にはない」
「ふーん、詳しいんだね」
「私も昔、なんとかできないかと頭を悩ませた時期がある。
わかったことは、言った通り『迂闊に手を出すな』ということだけだ。
あの中の情報は、あの中の住民しかしらない。
あの区画には腕の良い情報屋が居て、貧民区画内部の詳細を教えてくれるらしい。
そこから得た情報で不穏な気配を感じたら、国としても最低限の手を打つ――今はそんな感じだ」
瑞希がアニカを見た。
「アニカの仕事って、その情報屋から貧民区画の詳細を得ることだったのか」
アニカが苦笑を浮かべた。
「ここまで話されてしまっては、認めるしかありませんね。
――その通りです。
国が貧民区画の状態を把握するために、その情報屋を利用していました。
私は陛下の侍従であるグリューン様から依頼されていましたから、陛下ご自身は情報屋の詳細まではご存じないはずです。
私が乳母となって、あそこに情報を仕入れに行く従者は居なくなったはず。
詳細な情報を仕入れることが、今は難しいのではないでしょうか」
ユリアンが厳しい顔でアニカに告げる。
「前も言ったけど、そんな依頼を再び受けたら、きちんと言いなさい。
護衛をきちんとつけるわ。
今のあなたならもう、道を間違えることはないでしょうけれど、それだけあの区画で身を守る術が減ることも意味する。
必ず護衛と共に行きなさい」
瑞希がしばらく思考を巡らせた後に告げる。
「よっし! まずはその情報屋に行ってみようか! アニカ、案内して?」




